七 戦艦長門
午後。
瀬戸内海。
戦艦《長門》。
帝国海軍の将校たちは、見慣れない船が近づいてくるのを甲板から眺めていた。
未来日本の連絡船だった。
船体は白く、窓が大きい。
その船から、一人の男が乗り移った。
榊原直人。
未来日本国総理大臣。
東條英機は、長門の艦内で彼を迎えた。
二人は、互いに深く頭を下げた。
「東條英機です」
「榊原直人です」
短い挨拶だった。
しかし、その場にいた者たちは、歴史上あり得ない光景を目撃していることを理解していた。
昭和十六年の首相と、八十五年後の首相。
二人の日本人が、同じ机を挟んで向かい合っている。
東條が先に口を開いた。
「未来日本は、我が国の開戦を止めたいと」
「はい」
「なぜです」
榊原は答えた。
「日本が負けるからです」
東條の表情は変わらなかった。
「敗北が確実だと?」
「私たちの歴史では、そうなりました」
「歴史は変えられるのではありませんか」
榊原は少し驚いた。
東條は続けた。
「あなた方が現れた時点で、すでに歴史は変わっている。ならば、我々が戦っても勝つ可能性があるのではないですか」
榊原は、すぐには答えなかった。
その理屈は間違っていない。
未来日本が現れたことで、史実はすでに変わり始めている。
戦争の結果も、必ずしも同じにはならないだろう。
しかし、それでも。
「可能性はあります」
榊原は答えた。
東條が眉を動かした。
「認めるのですな」
「はい」
榊原は続けた。
「でも、勝てる可能性があるから戦争を始めるというのは、危険すぎます」
「国家には、戦わねばならぬ時がある」
「分かっています」
「石油を止められ、資源を断たれ、国の将来を脅かされている」
「それも分かっています」
東條は榊原を見た。
「未来日本には、資源があるのですか」
榊原は首を振った。
「いいえ」
「ない?」
「私たちの日本も、石油の大部分を輸入に頼っています」
東條は意外そうな顔をした。
「八十五年後も?」
「はい」
「それで、どうやって国を維持している」
「貿易です」
榊原は答えた。
「戦争ではなく、貿易で資源を確保してきました」
東條は黙った。
榊原は続けた。
「もちろん、私たちの時代にも問題はあります。資源の供給が止まれば、国はすぐに苦しくなります。際、今、そうなりかけています」
「ならば、未来日本も弱い」
「弱いところはあります」
榊原は率直に認めた。
「ただ、私たちはその弱さを、戦争だけで解決しようとはしませんでした」
東條は、しばらく考えていた。
「榊原総理」
「はい」
「あなた方の日本は、戦争に負けたからそうなったのですか」
榊原は、答えられなかった。
その問いは、彼が考えないようにしていたことだった。
未来日本の平和と繁栄は、敗戦と無関係ではない。
占領。
憲法改正。
軍の解体。
戦後復興。
日米同盟。
それらを経て、現代日本は生まれた。
では、敗戦を避ければ、その未来も失われるのか。
榊原は、ゆっくりと答えた。
「分かりません」
東條は意外そうに見えた。
「未来から来たのに?」
「はい」
榊原は苦笑した。
「未来を知っているつもりでした。でも、ここへ来てから、分からないことばかりです」
東條は、初めて小さく笑った。
「それなら、我々と同じですな」
榊原も笑った。
二人の間に、わずかな沈黙が生まれた。
その沈黙は、敵意ではなかった。




