五 母の写真
その夜、神谷は一人で宿舎の机に向かっていた。
引き出しから、小さな写真を取り出す。
古い家の前で撮られた家族写真だった。
父、母、姉、そして幼い神谷。
父は日露戦争に従軍した元軍人で、神谷が十歳のときに病死した。母は女手一つで二人の子供を育てたが、長年の無理がたたり、五年前に亡くなった。
神谷が陸軍大学校を卒業したとき、母はまだ生きていた。
卒業証書を見せると、母は涙を流して喜んだ。
「修一、お前は立派な人になったね」
その言葉を、神谷は今でも覚えている。
しかし、母が本当に喜んだのは、息子が優秀な軍人になったことだけではなかったのかもしれない。
今になって、そう思うことがある。
父のように戦場で苦労せずに済む。
家族を養える。
人並みの暮らしができる。
母は、そんなことを願っていたのではないか。
神谷は写真を裏返した。
未来日本の資料によれば、大日本帝国は戦争に敗れる。
東京は焼かれ、広島と長崎には想像を絶する兵器が使われる。
そして、帝国陸海軍は消滅する。
神谷は、その未来を受け入れることができなかった。
自分が信じてきた国家が敗れ、軍人として積み重ねてきた人生が否定される。
その恐怖を、彼は誰にも話したことがなかった。
同僚の前では、帝国の威信を守ると叫ぶ。
部下には、未来の兵器を手に入れれば勝てると言う。
しかし、夜になると、別の考えが頭を離れなかった。
もし、未来日本の歴史が正しいなら。
もし、どれほど努力しても帝国が敗れるのなら。
自分たちが信じてきたものは、何だったのか。
神谷は、写真を引き出しへ戻した。
机の上には、ドイツ側の協力者から届いた手紙が置かれていた。
ベルリンは、未来の技術に強い関心を示している。
とりわけ、航空機、通信装置、新型兵器に関する情報を求めていた。
神谷は、その手紙を読み返した。
ドイツと協力すれば、帝国の技術力を高められるかもしれない。
米英に対抗できるかもしれない。
そして、敗北を避けられるかもしれない。
神谷は、ランプの明かりを落とした。
暗闇の中で、母の声が聞こえたような気がした。
立派な人になったね。
神谷は目を閉じた。
自分は、まだ立派な人間なのだろうか。
その問いに答えることはできなかった。




