二 ハワイへ向かう飛行機
未来日本の羽田空港では、政府専用機の出発準備が進んでいた。
榊原直人は、搭乗口の手前で外務大臣から最後の説明を受けていた。
「米国側の出席者は、ルーズベルト大統領の代理としてハル国務長官、陸海軍の高官、それに大統領特使です」
「大統領本人は来ないんですね」
「戦時下の移動ですから、やむを得ません。大統領との直接会談については、無線を利用する方向で調整中です」
榊原は頷いた。
先日届いた米国からの招請は、正式な首脳会談を意味するものではなかった。少なくとも、ルーズベルトがハワイへ来ることを約束したわけではない。
その点について、米国側は慎重だった。
未来日本が本当に八十五年後の国家なのか、まだ判断できない。
仮にそうだとしても、何を目的として現れたのか分からない。
しかも、その国家は現在の米国を上回る航空技術を持っているらしい。
米国政府が警戒するのは当然だった。
「昭和日本の代表は?」
榊原が尋ねた。
「駐米大使館の野村吉三郎大使が参加する方向です。ただし、現地での権限には制約があります」
「それでも構いません」
榊原は答えた。
「当事者を外したまま、戦争を止める話をするわけにはいきませんから」
外務大臣は、少し考えてから言った。
「総理。今回の会談では、未来の軍事技術に関する質問が必ず出ます」
「分かっています」
「米国は、ドイツやソ連へ技術が渡ることを警戒しています。逆に、我々が米国へ技術を提供するのかも尋ねるでしょう」
「どちらにも渡しません」
「医療技術や産業技術は?」
「協議します。ただし、軍事転用の可能性が高いものは慎重に扱う」
外務大臣は頷いた。
「それから、もう一つ」
「何です」
「米国側は、未来の歴史について知りたがっています」
榊原は、少し疲れた顔をした。
「そうでしょうね」
「特に、現在進行中の欧州戦争の結末です」
榊原は窓の外を見た。
駐機場には、政府専用機が静かに待っていた。
二〇二六年の日本にとって、ドイツの敗北も、冷戦も、ソ連の崩壊も、すでに歴史だった。
しかし、一九四一年の世界では、どれもまだ起きていない。
未来の出来事を伝えることは、単に事実を説明することではない。
それを知った国家が、未来を変えようとする。
ドイツが敗北を知れば、作戦を変えるだろう。
ソ連が将来の国際秩序を知れば、外交方針を変えるかもしれない。
米国もまた、自国が戦後の世界でどのような立場になるのかを知れば、今とは違う判断をする可能性がある。
「歴史の資料は、外交上の武器になってしまうんですね」
榊原が言うと、外務大臣は答えた。
「すでになっています」
搭乗を告げる声が響いた。
榊原は、鞄を持ち直した。
「行きましょう」
飛行機へ向かう途中、彼はふと足を止めた。
「大臣」
「はい」
「今回の会談が失敗したら、どうなりますか」
外務大臣は、すぐには答えなかった。
「少なくとも、我々は米国と昭和日本の双方から疑われることになります」
「成功したら?」
「それも、まだ分かりません」
榊原は小さく笑った。
「外交というのは、難しいものですね」
「総理になられて、ずいぶん経つでしょう」
「それでも、八十五年前の米国と交渉するのは初めてです」
外務大臣も、ようやく笑った。




