三 空の向こうの零戦
午前七時四分。
航空自衛隊の戦闘機二機が、東方海域へ向かっていた。
編隊長の桐生拓真は、操縦席の中で、管制官から送られてくる情報を聞いていた。
『目標は単発のプロペラ機。国籍識別なし。高度約三千メートル』
「了解」
桐生は速度を落とした。
雲の切れ間から、小さな機影が見えた。
細い胴体。
長い主翼。
丸いエンジンカウリング。
主翼には赤い日の丸が描かれていた。
「……零戦?」
思わず声が出た。
機体は、間違いなく旧日本海軍の戦闘機に見えた。
ただし、博物館で見た復元機とは違う。
塗装には使用感があり、機体はわずかに振動しながら飛んでいる。
操縦席には人がいた。
桐生は慎重に接近した。
相手の操縦士がこちらを見る。
飛行帽。
ゴーグル。
酸素マスク。
その男は、桐生の機体を見て明らかに驚いていた。
当然だった。
彼の時代には、こんな戦闘機は存在しない。
零戦が翼を傾けた。
桐生も応じた。
二機はしばらく並んで飛んだ。
無線の周波数は合わない。
言葉は交わせない。
桐生は、操縦士の顔を見た。
若かった。
二十代前半だろうか。
彼がこれから向かう戦争を、桐生は知っていた。
太平洋戦争。
ミッドウェー。
ガダルカナル。
マリアナ。
レイテ。
沖縄。
特攻。
多くの操縦士が帰らなかった。
目の前の男も、その一人になるかもしれない。
『桐生、状況を報告しろ』
管制官の声がした。
桐生は少し間を置いて答えた。
「目標を確認。旧日本海軍の零式艦上戦闘機と思われます」
『操縦士は』
「います」
『敵対行動は』
「ありません」
桐生は、もう一度零戦を見た。
相手の操縦士が、こちらへ敬礼した。
桐生は一瞬迷い、それから敬礼を返した。
八十五年という時間が、二つの操縦席の間に横たわっていた。




