二 存在しない日本
午前六時二十三分。
東京都千代田区。
総理大臣官邸。
榊原直人が官邸に到着した時、建物の中はすでに異様な緊張に包まれていた。
普段なら挨拶を交わす職員たちが、廊下を足早に行き来している。電話が鳴り続け、会議室からは複数の声が漏れていた。
官房長官が出迎えた。
「総理、こちらへ」
「何が起きたんです」
「説明が難しい状況です」
「難しくても説明してください」
官房長官は、歩きながら答えた。
「衛星通信が全系統で途絶しました。GPS、気象衛星、通信衛星、すべてです」
「太陽フレアですか」
「現時点では確認できません。それから、海外との通信もほぼ途絶しています」
「ほぼ?」
「国内の通信網は生きています。インターネットも国内の一部サービスは使えますが、海外のサーバーに接続できません」
榊原は足を止めた。
「海外との通信が全部?」
「はい」
「海底ケーブルは」
「陸揚げ局から先の接続が確認できません」
会議室の扉が開いた。
大型モニターには、日本列島の地図が映っていた。
その東側に、もう一つの列島が描かれている。
榊原は立ち止まった。
「これは?」
防衛省の幹部が答えた。
「現在、航空自衛隊および海上自衛隊が確認している地形です」
「地形?」
「はい」
「日本列島が二つあるように見えますが」
「実際に、二つ存在しています」
誰も笑わなかった。
榊原は椅子に座らず、画面を見つめた。
「もう一度、説明してください」
幹部は慎重に言葉を選んだ。
「本日未明、我が国の東方海域に、別の日本列島が確認されました。地形、主要都市、港湾の位置は日本と酷似していますが、都市構造や交通網は異なります」
「異なるというのは」
「昭和初期のものに近いと考えられます」
榊原は画面から目を離した。
「つまり、何ですか」
幹部は一度、息を吸った。
「総理。現時点で最も整合性のある仮説は、昭和十六年の日本が、我々の世界に存在しているというものです」
沈黙が落ちた。
榊原は、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。
「昭和十六年」
「はい」
「何月何日です」
「十二月七日と確認されています」
榊原の顔から血の気が引いた。
「……明日じゃないか」
官房長官が頷いた。
「日本時間では、明日が十二月八日です」
真珠湾攻撃。
その五文字が、会議室にいる全員の頭に浮かんだ。




