第一章 十二月七日の朝 一 海から消えた世界
思う所あり、書き直しました
最初に異変に気づいたのは、東京湾を航行していた貨物船の航海士だった。
二〇二六年十二月七日、午前五時四十六分。
コンテナ船《東洋丸》は、横浜港への入港を控えて浦賀水道の手前を北上していた。冬の海は穏やかで、水平線の上にはまだ夜の色が残っていた。
三等航海士の村瀬航平は、レーダー画面を見ながら、いつものように周囲の船舶の動きを確認していた。
異変は、突然起きた。
船橋の警報音が鳴った。
村瀬は反射的に画面へ目を向けた。
GPSの測位情報が消えている。
「何だ?」
受信状態を確認する。アンテナに異常はない。機器の電源も落ちていない。だが、位置情報だけが表示されなかった。
別の航法装置を確かめた。
こちらも同じだった。
「船長、少しよろしいですか」
村瀬が呼びかけると、当直を交代したばかりの船長がコーヒーを片手に近づいてきた。
「どうした」
「衛星が拾えません」
「故障か?」
「二系統ともです」
船長はカップを置いた。
「電波妨害かもしれんな。陸に問い合わせろ」
村瀬が無線機に手を伸ばした時、雑音の向こうから声が聞こえた。
『こちら横須賀鎮守府。所属不明船舶、応答されたし』
村瀬は一瞬、耳を疑った。
横須賀鎮守府。
歴史の教科書で見たことのある言葉だった。
『繰り返す。こちら大日本帝国海軍横須賀鎮守府。貴船の所属、船名、航行目的を明らかにされたし』
船長が村瀬の手からマイクを受け取った。
「こちら日本籍貨物船、東洋丸。横浜港へ入港予定。そちらの所属をもう一度お願いします」
短い沈黙。
『日本籍とは何だ。貴船は帝国の船舶ではないのか』
船長は眉をひそめた。
「何を言ってるんだ、こいつら」
村瀬は窓の外を見た。
薄明かりの海上に、一隻の軍艦が見えていた。
灰色の船体。
細長い艦橋。
前後に並んだ砲塔。
村瀬は海軍の専門家ではなかったが、それが現代の護衛艦ではないことくらいは分かった。
「船長」
声がかすれた。
「右舷前方、軍艦です」
船長が双眼鏡を構える。
しばらくして、ゆっくりと下ろした。
「……何だ、あれは」
軍艦のマストには、旭日旗が翻っていた。
その旗そのものは現代にも存在する。しかし、目の前の軍艦がまとっている空気は、どこか別の時代ののだった。
船長は無線機を握り直した。
「こちら東洋丸。そちらの現在位置と、日付を教えてください」
返答はすぐに来た。
『本日は昭和十六年十二月七日である』
村瀬は、思わず船長を見た。
船長は何も言わなかった。
無線機の向こうでは、男が苛立ったように続けた。
『貴船の言動は不審である。直ちに機関を停止し、臨検を受けられたし』
船長はマイクを下ろした。
海の向こうで、朝日が昇り始めていた。
その光は、見慣れた東京湾を照らしているはずだった。
だが、村瀬にはもう、自分たちが知っている世界にいるという確信が持てなかった。




