三 国境のない海
二つの日本の間には、まだ正式な国交がなかった。
昭和日本は未来日本を国家として承認しておらず、未来日本もまた、昭和日本をどのような法的存在として扱うべきか結論を出していなかった。
同じ日本語を話す。
同じ国旗に似た旗を掲げる。
同じ歴史を、ある地点までは共有している。
しかし、政府も法律も違う。
それどころか、両国が主張する領土は、地理的な位置こそ異なるものの、名称も歴史も重なっていた。
未来日本の外務省では、その問題をめぐって連日会議が続いていた。
「昭和日本を外国として扱うことに、国民の理解が得られるでしょうか」
若い官僚が尋ねた。
外務省の局長は、机の上の地図を指した。
「外国として扱わなければ、何として扱うんだ」
「同一国家の別政府という考え方もあります」
「では、どちらが正統政府だ」
若い官僚は黙った。
「昭和日本は天皇を元首とする大日本帝国だ。こちらは日本国憲法に基づく国家だ。法体系が違う。行政権の及ぶ範囲も違う」
局長は続けた。
「同じ国だと言い張れば、かえって問題が大きくなる」
「では、国家承認を進めるべきでしょうか」
「その前に、相手がこちらをどう扱うか確かめる必要がある」
局長は、机の上に置かれた報告書を開いた。
昭和日本側から、正式な外交協議の申し入れが届いていた。
議題は、両国間の連絡体制、船舶の航行、安全保障、経済協力、そして国民の往来について。
局長は、その最後の項目に目を止めた。
国民の往来。
簡単に書かれているが、これは厄介だった。
未来日本の国民が昭和日本へ渡れば、そこで何を見聞きするか分からない。
昭和日本の国民が未来日本へ来れば、八十五年後の技術や社会制度に触れる。
それだけではない。
家族の問題がある。
昭和十六年には、未来日本の国民の祖父母や曾祖父母が、若い姿で生きている。
彼らが出会えば、何が起こるのか。
「入国管理はどうしますか」
若い官僚が尋ねた。
局長は、疲れた顔で笑った。
「そこから考えなきゃならんのか」
「はい」
「まったく、外務省の仕事が増えすぎた」
局長は、窓の外を見た。
霞が関の空は、冬らしく澄んでいた。
「八十五年前の日本に、ビザを発給する日が来るとはな」
誰も笑わなかった。




