二 御前にて
昭和十六年十二月九日、午前十時。
宮中では、東條英機が天皇への報告を控えていた。
東條は、手元の書類を何度も確かめていた。陸軍大臣としても首相としても、これまで幾度となく重大な報告を行ってきた。しかし、今日ほど説明に苦しむ案件はなかった。
未来から日本が現れた。
しかも、その日本は帝国ではなく、天皇を国家の象徴とする立憲国家であるという。
陸海軍は解体され、国民は選挙によって政治家を選び、女性にも参政権が認められている。
そして何より、大日本帝国は昭和二十年に戦争に敗れる。
その事実を、どのような言葉で伝えるべきか。
東條は、まだ答えを見つけられずにいた。
やがて、報告の時刻となった。
昭和天皇は、提出された資料を静かに読んでいた。
未来日本の写真。
東京の街並み。
国会議事堂。
新幹線。
そして、戦後の皇室に関する記録。
東條は、緊張した面持ちで説明を続けた。
「以上が、未来日本政府より提供された資料の概要でございます」
天皇は、しばらく資料を見つめていた。
「この国は、日本であるのか」
「そのように称しております」
「称している、ということは、確かではないのか」
「国家としての実在は確認されております。ただ、その成り立ちにつきましては、なお調査を要します」
天皇は、写真の一枚に目を落とした。
そこには、戦後の東京が写っていた。
焼け野原から復興した街。
広い道路を走る自動車。
高層建築の間を行き交う人々。
「国民は、暮らしているのだな」
「はい」
「戦争に敗れた後も」
東條は、一瞬言葉を失った。
「左様でございます」
天皇は、資料を置いた。
「戦争を避ける道は、ないのであろうか」
その問いは、静かだった。
東條は背筋を伸ばした。
「米国との交渉を再開する方針でございます。しかしながら、中国における事変、石油禁輸、国内の情勢など、解決すべき問題は多くございます」
「難しいことは承知している」
天皇は、ゆっくりと言った。
「しかし、難しいからといって、考えずに済むことではない」
東條は頭を下げた。
「はっ」
「未来の日本が伝えてきたことが、すべて正しいとは限らぬであろう」
「仰せのとおりでございます」
「それでも、国民が大きな苦しみを受ける可能性があるのなら、慎重に判断せねばならぬ」
東條は、再び頭を下げた。
その言葉が、胸に残った。
宮中を退出した後、東條は車に乗り込んだ。
窓の外には、東京の街が広がっていた。
人力車、自転車、路面電車。冬の外套を着た人々が行き交っている。
未来日本の写真にあった東京とは、まるで違う。
しかし、ここに暮らす人々も、同じ日本人だった。
東條は、車内で目を閉じた。
自分たちは、この国を守るために戦争を始めようとしていた。
だが、戦争を始めなければ国を守れないという考えは、本当に正しかったのだろうか。
その疑問が、初めて明確な形を取った。




