九 帰投命令
北太平洋。
空母《赤城》。
南雲忠一は、司令部から届いた電文を読み返していた。
『対米攻撃作戦ヲ中止ス。艦隊ハ所定ノ海域ヲ離脱シ、帰投セヨ』
短い命令だった。
しかし、その一文が持つ意味は途方もなく大きかった。
南雲は、電文を机に置いた。
参謀たちは黙っていた。
やがて、一人が口を開いた。
「司令長官」
「何だ」
「本当に、引き返すのでしょうか」
南雲は顔を上げた。
「命令だ」
「しかし」
「命令だと言っている」
参謀は口を閉じた。
南雲は、窓の外を見た。
飛行甲板では、整備兵たちが忙しく動いていた。
零戦。
九九式艦上爆撃機。
九七式艦上攻撃機。
それらは、真珠湾を攻撃するために準備された航空機だった。
操縦士たちは、長い訓練を積んできた。
艦隊は、厳重な秘密の下に北太平洋を進んできた。
そして今、すべてを中止するという。
南雲は、未来日本の護衛艦を思い出した。
見たこともない装備。
驚くほど正確な通信。
そして、戦闘に参加しなかったこと。
あの艦は、なぜ撃たなかったのか。
南雲には理解できなかった。
圧倒的な兵器を持ちながら、それを使わない。
戦闘に勝つ能力がありながら、戦闘そのものを避けようとする。
それは、南雲が知る海軍の常識とは違っていた。
「司令長官」
別の参謀が言った。
「未来日本の艦から、通信です」
「内容は」
「負傷者の引き渡しについて協議したい、と」
南雲は少し考えた。
「応じよう」
「よろしいのですか」
「負傷者は我が軍の兵だ」
南雲は答えた。
「帰してもらわねばならん」
そして、少し間を置いて続けた。
「それに、聞いてみたいことがある」
「何をですか」
南雲は、遠くの海を見た。
「八十五年後の海軍が、なぜ海軍という名を捨てたのか」




