九 榊原直人の選択
五月十九日、未来日本・東京。
榊原直人は、歴史改変現象に関する緊急会議を開いていた。
出席者は、官房長官、文部科学大臣、研究機関の代表者、そして黒田統合幕僚長だった。
森田圭介も、研究機関の担当者として参加していた。
榊原は、報告書を机へ置いた。
「人間が消えているというのは、事実ですか」
森田は、慎重に答えた。
「現時点では、そう考えざるを得ません」
「なぜ、消えるのですか」
「分かっていません」
榊原は、森田を見た。
「歴史が変わったからですか」
「その可能性があります」
「可能性?」
森田は、少し緊張した。
「総理。私たちは、時空間異常の仕組みを理解できていません。歴史改変と現象の間に関連があることは確かですが、因果関係を証明できていないのです」
榊原は、しばらく黙っていた。
「では、歴史を変えることをやめれば、人々は消えなくなるのでしょうか」
森田は、首を振った。
「それも分かりません」
会議室に沈黙が落ちた。
榊原は、机の上の資料を見た。
真珠湾攻撃を中止した。
中国との停戦交渉を始めた。
核兵器の開発を抑制するための国際協議を進めた。
それらは、多くの人命を救うための決断だった。
しかし、その結果として、未来日本の人々が消え始めているのだとしたら。
榊原は、ゆっくり顔を上げた。
「一つ、確認したいことがあります」
森田が頷いた。
「はい」
「もし、私たちが昭和日本へ干渉しなければ、元の歴史に戻るのでしょうか」
森田は、しばらく考えた。
「分かりません」
榊原は、苦笑した。
「分からないことばかりですね」
森田は、申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません」
「謝らないでください」
榊原は、静かに答えた。
「誰も経験したことのない現象です」
彼は、出席者たちを見渡した。
「しかし、私たちは決断しなければなりません」
誰も口を開かなかった。
榊原は続けた。
「昭和日本との協力を続けるのか。それとも、歴史への干渉を減らすのか」
黒田が口を開いた。
「総理」
「はい」
「軍事的な観点から申し上げれば、昭和日本との協力を停止することは危険です」
「なぜですか」
「すでにドイツの情報機関が活動しています。関東軍の一部も、未来技術を利用しようとしています。私たちが関与をやめても、彼らの活動が止まるとは限りません」
榊原は頷いた。
「そうですね」
黒田は続けた。
「むしろ、情報を持つ者だけが歴史を変えることになるでしょう」
榊原は、しばらく考えた。
「それでは、私たちが何もしないことも、一つの選択になる」
「はい」
榊原は、机の上の写真を見た。
父の写真だった。
顔は、ほとんど見えなくなっている。
榊原は、静かに言った。
「私たちは、歴史を元に戻す方法を探します」
出席者たちは、顔を上げた。
「しかし、そのために戦争を再開させることはしません」
榊原は続けた。
「真珠湾攻撃を起こさせることも、中国での戦争を続けさせることも、できません」
森田は、黙って聞いていた。
榊原は、ゆっくり息を吐いた。
「人々が消える現象を止める方法を、科学的に探してください」
森田は頷いた。
「承知しました」
榊原は、最後に言った。
「そして、昭和日本との協力は続けます」
会議室には、重い沈黙が残った。




