六 ドイツ大使の沈黙
五月十三日、昭和日本・東京。
ドイツ大使オイゲン・オットは、大使館の執務室で一通の報告書を読んでいた。
未来日本の研究施設が襲撃され、ドイツ人のフリードリヒ・クラウスが関与していた疑いがある。
報告書には、そう記されていた。
オットは、額に手を当てた。
数日前、クラウスは大使館を訪れていた。
未来日本の技術を入手する必要があると主張し、研究施設に関する資料を見せていた。
オットは、非合法な活動を認めないと伝えた。
しかし、クラウスは聞き入れなかった。
そして、事件が起きた。
オットは、秘書官を呼んだ。
「ベルリンから、何か連絡は」
「まだありません」
「クラウスの所在は?」
「不明です」
オットは、報告書を閉じた。
「日本政府は、いずれ説明を求めてくるだろう」
秘書官は頷いた。
「はい」
「そのとき、何と答えればいい」
秘書官は、黙った。
オットは、窓の外を見た。
東京の街には、初夏の陽射しが降り注いでいた。
しかし、ドイツと日本の関係は、少しずつ冷え始めている。
昭和日本は、真珠湾攻撃を中止した。
米国との戦争を回避し、中国との停戦協議を進めている。
そして、未来日本と協力しながら、軍部の独断を抑えようとしている。
ドイツにとって、望ましい変化ではなかった。
しかし、オットは理解していた。
昭和日本が米国との戦争を避けたことは、日本自身にとって大きな利益だった。
ドイツのために、わざわざ米国と戦争を始める理由はない。
それをベルリンが認めようとしない。
オットは、机の引き出しを開けた。
中には、家族から届いた手紙が入っていた。
彼は、しばらくその手紙を見つめた。
戦争が終われば、ドイツへ帰りたい。
しかし、未来日本の歴史によれば、ドイツは数年後に敗北する。
ベルリンは破壊され、国家は分断される。
その未来を知ってしまった以上、以前のように職務を続けることは難しかった。
オットは、手紙を引き出しへ戻した。
「クラウスの件について、正式な調査を始める」
秘書官が顔を上げた。
「大使閣下」
「大使館として、彼の行動を把握しておく必要がある」
「ベルリンの許可は?」
オットは、少し考えた。
「外交官として、必要な調査だ」
秘書官は、頭を下げた。




