三 東京の朝食
同日、午前七時十分。
未来日本・東京都内。
榊原直人は、首相官邸の食堂で朝食を取っていた。
焼き魚、味噌汁、漬物。それに小さな茶碗の麦飯。
以前なら、ごく普通の朝食だった。
しかし、今では食材の確保にも気を遣うようになっていた。
官邸の食堂でも、米の使用量が減らされている。輸入小麦の不足を補うため、国内産の雑穀が使われることも増えた。
榊原は、味噌汁を一口飲んだ。
向かい側には、官房長官が座っていた。
「茨城の研究所の件ですが」
官房長官が言った。
榊原は箸を置いた。
「三浦さんは無事だったんですね」
「はい。軽い打撲と疲労があるものの、命に別状はありません」
「それはよかった」
榊原は、少し息を吐いた。
昨年十二月にも、三浦は軍人に誘拐されている。
同じ研究者が二度も狙われた。
偶然では済まされない。
榊原は箸を持ち直した。
「研究所の警備は、どうなっていたんですか」
「内部の協力者がいた可能性があります」
榊原は、箸を止めた。
「内部?」
「まだ断定できません。ただ、侵入者は施設の構造を把握していたようです」
榊原は、しばらく考えた。
「研究者たちの身辺警護を強化してください」
「すでに警察庁と調整しています」
「それから、職員全員を疑うようなことは避けたい」
官房長官は頷いた。
「分かっています」
榊原は、麦飯を口に運んだ。
食事をしながら仕事の話をすることには、もう慣れてしまった。
しかし、今日は妙に箸が進まなかった。
「総理」
官房長官が、別の資料を差し出した。
「こちらも、ご確認いただきたいのですが」
榊原は受け取った。
国立歴史資料保存機構からの報告書だった。
そこには、時空間異常発生後に確認された歴史資料の変化について記されていた。
一月以降、昭和十七年の歴史が変わるにつれて、未来日本に残る記録にも変化が現れ始めている。
写真の人物が消える。
戸籍の一部が書き換わる。
古い新聞の記事が、別の内容へ変化する。
そして、最近になって、さらに深刻な事例が報告されていた。
榊原は、その部分を読み返した。
『一部の国民について、本人の記憶と公的記録との間に重大な不一致が確認された。』
「これは、どういう意味ですか」
官房長官は、表情を曇らせた。
「本人は結婚していると記憶しているのに、戸籍上は独身になっている例があります」
榊原は顔を上げた。
「配偶者は?」
「本人は存在を覚えています。しかし、周囲の人間は、その人物を知らないと」
榊原は、資料を見つめた。
「その人は、今どこに?」
官房長官は、答えるまでに少し時間がかかった。
「確認できていません」
食堂の時計が、七時半を告げた。
榊原は、冷めかけた味噌汁を見た。
父の写真が薄くなっていくことだけでも、十分に恐ろしかった。
しかし、もし人間そのものが消え始めているのなら。
歴史を変えることは、誰かの命を救うだけではない。
別の誰かを、この世界から消してしまうことにもなる。
榊原は、朝食を残した。




