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昭和十六年の日本国  作者: 秋雲 榛名


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二 逃げた男の靴


 同日、午前九時四十分。


 研究所の警備室。

監視カメラの映像には、停電直前の廊下が映っていた。

時刻は午後十時十二分。

白衣を着た研究員が一人、画面を横切る。そのあと、清掃用具を載せた台車が通った。

小野寺は、映像を止めた。

「この人は?」

警備担当者が画面を覗いた。

「清掃業者の方です」

「名前は?」

「少々お待ちください」

担当者は、勤務記録を確認した。

「西田浩二。四十二歳です」

「昨日の勤務時間は?」

「午後六時から十時半までです」

小野寺は、画面を見つめた。

西田は帽子を深くかぶり、顔がよく見えない。しかし、台車を押す足取りに不自然なところがあった。

右足を踏み出すとき、わずかに体が傾く。

「この人、足を悪くしているんですか」

警備担当者は首を振った。

「聞いたことはありません」

小野寺は、映像を数秒戻した。

台車の下に、黒い靴が見えた。

靴底が厚い。

そして、右足のかかとの外側が、ひどくすり減っているように見えた。

「別のカメラに、この人は映っていますか」

担当者が操作した。

数分後、裏口の映像が表示された。

午後十時二十六分。

停電が起きた直後だった。

清掃用の制服を着た男が、裏口から出ていく。

その男は台車を押していなかった。

代わりに、大きな布袋を肩に掛けている。

小野寺は、椅子から身を乗り出した。

「止めてください」

映像が静止した。

男の右足が、わずかに外側へ向いている。

「この人、さっきの西田さんですか」

警備担当者は、しばらく画面を見ていた。

「たぶん、そうだと思います」

「本人に連絡を」

「はい」

数分後、担当者が戻ってきた。

「西田さんは、昨日から出勤していないそうです」

小野寺は顔を上げた。

「どういうことですか」

「清掃会社へ確認したところ、昨日は体調不良で休んでいたと」

小野寺は、画面を見た。

「じゃあ、この男は誰なんでしょうね」

誰も答えなかった。

彼女は、研究所の平面図を机に広げた。

三階の研究室から別館へ通じる非常用の連絡通路がある。普段は施錠されているが、停電時には避難のため解錠される仕組みだった。

クラウスは窓から飛び降りたのではない。

窓を割って警察官の注意を引き、その間に別の通路へ移動したのだ。

そして、清掃員に変装していた協力者と合流した。

「二人いたんじゃありません」

小野寺は言った。

「少なくとも三人です」

若い捜査員が顔を上げた。

「三人?」

「クラウスと、研究室にいた日本人。それから、この清掃員」

小野寺は、画面を指した。

「この人が逃走経路を確保したんです」

捜査員は、すぐに無線機を取った。

小野寺は椅子に座り直した。

一つ分かったところで、事件が終わるわけではない。

むしろ、研究所の内部事情を知る人物が協力していたという、新しい問題が生まれていた。

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