四 戦艦長門の夜
戦艦《長門》の艦内で、東條英機は報告を読み終えた。
会談のために訪れていた榊原直人は、向かい側の椅子に座っていた。
二人とも、疲れた顔をしていた。
東條は書類を置いた。
「二十三人か」
「現時点での推計です」
榊原が答えた。
「まだ増える可能性があります」
東條は頷いた。
「真珠湾攻撃は、まだ行われていない」
「はい」
「にもかかわらず、日米の軍人が死んだ」
榊原は黙っていた。
東條は窓の外を見た。
夜の瀬戸内海は静かだった。
「未来日本が現れなければ、この戦闘は起きなかったのだな」
榊原は、その言葉を聞いて顔を上げた。
「その可能性は高いと思います」
「ならば、あなた方にも責任がある」
「あります」
榊原は、すぐに答えた。
東條は少し驚いたようだった。
「否定しないのか」
「できません」
「しかし、あなた方は戦争を止めるために来た」
「そうです」
「それで人が死んだ」
榊原は、しばらく考えた。
「私たちが来なければ、もっと多くの人が死んだはずです」
東條の表情が硬くなった。
「それは、まだ起きていないことだ」
榊原は口を閉じた。
「未来の記録にはそう書かれているのだろう。しかし、我々にとっては、まだ起きていない」
東條は続けた。
「今日死んだ二十三人は、現実に死んだのだ」
榊原は、その言葉を否定できなかった。
会談室の時計が、低い音を立てた。
しばらくして、東條が言った。
「榊原総理。私は戦争を望んでいるわけではない」
榊原は黙って聞いた。
「しかし、国家には国家の事情がある。米国は石油を止めた。中国からの撤兵を要求している。国内には、これ以上譲歩すれば国が立ち行かなくなると考える者も多い」
「分かっています」
「本当に分かっているか」
東條の声が少し強くなった。
「あなた方は、八十五年後の豊かな日本から来た。食料も、石油も、機械も、我々とは比較にならぬほど持っているのだろう」
「豊かではあります」
榊原は答えた。
「ただ、その豊かさは海外との貿易に支えられています」
「では、外国に依存しているのか」
「そうです」
「それでは独立国家として危ういではないか」
榊原は苦笑した。
「危ういと思います」
東條は意外そうな顔をした。
「認めるのか」
「はい。私たちの国にも弱点はあります。食料自給率も高くありませんし、エネルギー資源の大部分を海外に頼っています」
「それで、どうして国家を維持できる」
「外国と取引を続けることで、何とか」
東條は、しばらく考えていた。
「つまり、あなた方の国は、外国との関係が壊れれば危うくなる」
「そうです」
「我々と同じではないか」
榊原は、その言葉に返答できなかった。
八十五年の間に、日本は驚くほど発展した。
しかし、島国であるという条件は変わらない。
資源に乏しいという事情も変わらない。
戦争を避けるために貿易を選んだ未来日本も、その貿易が途絶えた今、深刻な危機に直面している。
東條は、机の上の地図を見た。
「未来日本は、我々を救いに来たつもりかもしれん」
榊原は顔を上げた。
「しかし、あなた方もまた、救われる必要があるのではないか」
その言葉は、榊原の胸に深く残った。




