九 京都宣言
三月二十五日、京都。
会議場には、未来日本、昭和日本、米国、中国、英国などの代表団が集まっていた。
ドイツとソ連も、外交関係者を通じて会議の内容を確認していた。ただし、正式な共同声明への参加については態度を明らかにしていなかった。
榊原直人は、演壇の前に立った。
会議場には、報道関係者も入っていた。昭和日本の新聞記者たちは、未来日本の撮影機材や通信設備を興味深そうに見つめていた。
榊原は、用意された原稿を開いた。
「本日、私たちは京都に集まりました」
会場が静かになった。
「現在の世界は、大きな転換点にあります。我々、未来日本の出現によって、これまで知られていなかった科学技術と歴史の情報が、昭和十七年の世界へもたらされました」
榊原は、少し間を置いた。
「その中には、人々の生活を豊かにする技術もあります。病気を治療する技術、食糧生産を改善する技術、災害から人命を守る技術です」
会場の代表者たちは、静かに聞いていた。
「しかし、同時に、非常に危険な技術も存在します」
榊原は、原稿から顔を上げた。
「核兵器です」
会場がざわめいた。
「未来日本の歴史では、昭和二十年に核兵器が実戦で使用されました。広島と長崎において、多くの人々が命を落としました」
昭和日本の代表団は、厳しい表情で聞いていた。
「私たちは、その歴史を知っています。そして、同じ悲劇を繰り返してはならないと考えています」
榊原は、静かに続けた。
「本日、未来日本政府は、核兵器の開発と拡散を抑制するための国際的な協議を提案します」
会場が再び静かになった。
「これは、特定の国家の科学研究を否定するものではありません。原子力の平和利用については、各国との協力を進める用意があります」
榊原は、原稿の最後のページをめくった。
「しかし、都市を破壊し、無数の人命を奪う兵器については、国際社会が慎重に向き合わなければなりません」
演説が終わると、会場には拍手が起こった。
しかし、すべての代表者が拍手したわけではなかった。
昭和日本の東條英機は、静かに榊原を見つめていた。
米国代表団は、互いに小声で話し合っていた。
中国側の宋子文は、資料に何かを書き込んでいた。
そして、会場の後方に座っていたドイツの外交関係者は、険しい表情を浮かべていた。
京都宣言は、全会一致で採択されたわけではなかった。
未来日本、昭和日本、米国、中国、英国の代表団は、核兵器の危険性に関する共同認識を示し、今後の協議を継続することで合意した。
しかし、研究の禁止や査察制度については、結論が出なかった。
各国には、それぞれの事情があった。
それでも、昭和十七年の世界で核兵器の危険性が公に議論されたことは、歴史上初めての出来事だった。




