六 消えたドイツ人
三月十五日、上海。
ヴェーバーは、シュタイナーの手配した自動車に乗り込もうとしていた。
未来日本側との接触は、数日後に予定されていた。まず上海から離れ、別の港を経由して日本へ向かう計画だった。
しかし、出発の直前、通りの向こうに黒い自動車が現れた。
ヴェーバーは、足を止めた。
車から二人の男が降りた。
一人はドイツ人。もう一人は日本人だった。
ドイツ人が声をかけた。
「ヴェーバー博士」
ヴェーバーは、ゆっくり振り返った。
「人違いではありませんか」
「ベルリンがお待ちです」
男は、穏やかな声で言った。
「ご同行願えますか」
シュタイナーが間に入った。
「この方は、私の客人です」
ドイツ人は、シュタイナーを見た。
「外交上の問題にはしたくありません」
「それはこちらも同じです」
短い沈黙があった。
ヴェーバーは、鞄を握り直した。
「私は、ベルリンへ戻るつもりはありません」
男の表情が変わった。
「命令に背くのですか」
「そうです」
次の瞬間、通りの向こうから銃声が響いた。
誰が撃ったのか、ヴェーバーには分からなかった。
近くの窓ガラスが割れ、人々が悲鳴を上げた。
シュタイナーがヴェーバーの腕をつかんだ。
「伏せてください!」
二人は車の陰へ身を隠した。
さらに銃声が続いた。
ヴェーバーは、鞄を抱え込んだ。
中には、未来日本の電子機器が入っている。
シュタイナーが叫んだ。
「裏通りへ!」
ヴェーバーは立ち上がり、走り出した。
狭い路地へ入り、濡れた石畳を滑りそうになりながら進んだ。背後では男たちの怒鳴り声が聞こえていた。
路地の先に、人力車が停まっていた。
陳文徳が待っていた。
「先生、早く!」
ヴェーバーは、驚いた顔をした。
「陳君!」
「説明はあとです!」
ヴェーバーは人力車へ乗り込んだ。
陳は車夫へ行き先を告げた。
人力車が走り出す。
ヴェーバーは、息を切らしながら振り返った。
シュタイナーの姿は、もう見えなかった。
その夜、上海のドイツ関係者の間で、一つの情報が広まった。
未来日本の資料を所持していたヴェーバーが、行方不明になった。
ドイツ側は、彼が未来日本へ亡命を試みていると判断した。
しかし、実際に彼がどこへ向かったのかは、誰にも分からなかった。




