十二 上海からの電報
二月二十八日、上海。
ヴェーバーは、ホテルの部屋で荷物をまとめていた。ベルリンへの帰国命令が、正式に届いていた。
未来日本の資料を持参し、ドイツ政府へ報告する。それが、彼に与えられた任務だった。
しかし、ヴェーバーは帰国を迷っていた。
未来の歴史を知ったことで、彼の中には疑念が生まれていた。ドイツは、このまま戦争を続けてよいのか。総統は、未来の敗北を知ったとき、どう行動するのか。そして、自分が持ち帰る情報は、戦争を終わらせるために使われるのか。それとも、戦争を続けるために使われるのか。
ヴェーバーは机の上の電子機器を見た。
その小さな機械には、未来の歴史が詰まっている。
彼は電源を入れた。画面に、未来のドイツに関する資料が表示された。
ベルリンの壁、東西ドイツの分断、再統一、そして現代のドイツ。
ヴェーバーは、しばらく画面を見つめた。
ドイツは、敗北したあとも存在している。国は消えなかった。人々は暮らしを続けた。都市は再建された。新しい国家が生まれた。そして、再び一つになった。
ヴェーバーは、静かに息を吐いた。
ドイツを守ることと、現在の政権を守ることは、同じではないのかもしれない。
その考えは、彼にとって危険なものだった。
廊下で足音がした。扉が叩かれた。
「ヴェーバー先生」
陳文徳の声だった。
ヴェーバーは扉を開けた。
「どうした」
陳は緊張した顔をしていた。
「先生。日本の憲兵が、先生のことを調べています」
ヴェーバーの表情が変わった。
「いつからだ」
「分かりません。ただ、ホテルの従業員に質問しているようです」
ヴェーバーは、机の上の電子機器を鞄へ入れた。
「陳君」
「はい」
「君は、今夜ここへ来なかったことにしろ」
陳は顔を上げた。
「先生は、どうするのです」
ヴェーバーは、しばらく考えた。
「帰国する前に、会わなければならない人間がいる」
「誰ですか」
ヴェーバーは答えなかった。
鞄を持ち、外套を着た。そして、部屋の明かりを消した。
上海の夜には、雨が降っていた。
ヴェーバーは裏口からホテルを出た。通りには、人力車が一台停まっていた。
彼は車夫へ行き先を告げた。
向かう先は、ドイツ大使館ではなかった。
未来日本との接触を仲介できる、中立国の外交関係者のもとだった。




