十 八咫烏の影
二月二十日、満洲国・新京。
関東軍司令部に、東京からの命令が届いた。八咫烏計画の一時停止、研究資料の提出、関係者への事情聴取。
命令を受け取った野村清隆大佐は、しばらく黙っていた。机の上には、東條首相の名が記された文書が置かれている。
野村は、ゆっくり椅子へ腰を下ろした。
部下が尋ねた。
「大佐殿。どうされますか」
野村は命令書を見た。
「東京は、何も分かっていない」
部下は黙っていた。
「未来日本が現れたということは、世界の力関係が変わるということだ。米国も、ソ連も、ドイツも、未来の技術を求めている」
「はい」
「その中で、帝国だけが研究をやめればどうなる」
部下は、慎重に答えた。
「取り残される可能性があります」
「そうだ」
野村は、机の上の資料を指した。
「八咫烏計画は、帝国のために必要なのだ」
部下は、少し間を置いた。
「しかし、政府の命令であります」
野村は部下を見た。
「命令には従う」
部下は、少し安心した顔をした。
しかし、野村は続けた。
「表向きはな」
部下の表情が変わった。
「大佐殿」
「研究資料を分散させろ。主要な記録は、別の場所へ移す」
「しかし」
「命令だ」
部下は黙った。
「研究者の一部も移動させる」
「どちらへ」
野村は地図を指した。満洲の北部、人里離れた地域だった。
「ここだ」
部下は地図を見た。
「施設は、まだ整っておりません」
「整えればよい」
野村は、机の上の命令書を畳んだ。
「東京が何と言おうと、帝国には力が必要だ」
その声には迷いがなかった。




