八 雪の夜の訪問者
二月十五日、満洲国・新京。
片岡信彦の宿舎に、一人の男が訪ねてきた。真壁宗一郎だった。
片岡は驚いた顔をした。
「真壁大佐殿」
「突然すまん」
「いえ。どうぞ」
真壁は部屋へ入った。暖房の効きが悪く、室内は寒かった。片岡は湯を沸かし、茶を出した。
「遠路、ご苦労さまです」
「少し、話を聞きたくてな」
真壁は椅子に腰を下ろした。
「八咫烏計画についてだ」
片岡の表情が変わった。
「その名称を、どこで」
「東京でも、噂になっている」
片岡は黙った。
「原子力兵器の研究を進めているそうだな」
「基礎調査の段階であります」
「政府の承認は」
片岡は、すぐには答えなかった。
真壁は、その沈黙を見逃さなかった。
「片岡少佐」
「はい」
「私は、研究を否定しに来たのではない。ただし、帝国の軍隊が政府の統制を離れて新兵器を開発することは、見過ごせん」
片岡は、しばらく考えた。
「大佐殿。私は、科学者として研究を進めたいと思っています」
「それは、分かる」
「しかし、この計画が何を目指しているのか、私にも分からなくなってきました」
真壁は、黙って聞いていた。
「原子力には、平和利用の可能性があります。しかし、上官たちが求めているのは、兵器です」
片岡は、机の上の資料を見た。
「都市を破壊できる兵器を、帝国が手に入れることを望んでいます」
真壁は、しばらく考えた。
「少佐。君は、どうしたい」
片岡は、顔を上げた。
「分かりません」
真壁は、静かに頷いた。
「それでいい」
片岡は、少し驚いた顔をした。
「分からないことを、分からないと言える人間は必要だ。特に、未来の技術を扱うならな」
片岡は、しばらく黙っていた。
そして、机の引き出しから一冊の手帳を取り出した。
「大佐殿」
「何だ」
「これを、ご覧ください」
真壁は手帳を受け取った。そこには、研究計画の概要と関係者の名前が記されていた。
真壁はページをめくった。その中に、ある名前を見つけた。
久世貴臣。
以前、未来日本の軍事資料を不正に入手しようとした男だった。
真壁は顔を上げた。
「久世が関与しているのか」
片岡は頷いた。
「計画の初期段階で、情報提供を行ったと聞いております」
真壁は、手帳を閉じた。
久世は、すでに拘束されている。しかし、彼が残した情報は、まだ動いていた。
「少佐。この手帳を、預かってもよいか」
片岡は、少し迷った。そして、頷いた。
「お願いします」
真壁は、手帳を鞄へ入れた。
「君の身の安全については、できる限り配慮する」
片岡は、頭を下げた。
「ありがとうございます」
真壁は立ち上がった。外では雪が降り始めていた。
「片岡少佐」
「はい」
「研究を続けるにしても、やめるにしても、自分が何を作ろうとしているのかだけは、忘れるな」
片岡は、静かに頷いた。




