四 宮沢教授の忠告
二月六日、新京。
片岡信彦は、満洲で物理学を研究している宮沢敬一教授を訪ねた。宮沢は五十二歳。大学で教鞭を執るかたわら、放射線に関する研究を続けていた。
研究室には古い書籍が積み上げられ、机の上には実験記録が広げられていた。窓際には小さな鉢植えが置かれていたが、冬の寒さで葉が黄色くなっていた。
「片岡君、久しぶりだな」
「ご無沙汰しております」
「軍服を着てくると、昔の学生とは別人のようだ」
宮沢は笑った。
片岡は、鞄から資料を取り出した。
「先生に、ご相談したいことがあります」
宮沢は資料を受け取り、しばらく読んだ。
「これは、未来日本のものか」
「はい」
「なるほど」
宮沢は、椅子に腰を下ろした。
「驚くべき内容だ」
片岡は、少し安心した。
「先生にも、ご協力いただければ」
「何に協力するのだ」
「原子核研究です」
「兵器のためか」
片岡は、答えに詰まった。
宮沢は、資料を机に置いた。
「君の顔を見れば分かる」
「先生」
「原子核の研究には、大きな可能性がある。医学にも、工業にも、将来の発電にも役立つだろう。しかし、君たちが求めているのは都市を破壊する兵器だ」
片岡は、黙っていた。
「私は協力できん」
「帝国の安全保障に関わる研究です」
「安全保障か」
宮沢は、少し疲れたように笑った。
「便利な言葉だな」
片岡は顔を上げた。
「君たちは、強い兵器を持てば安全になると言う。しかし、相手も同じことを考えたらどうなる」
「軍備競争になります」
「そうだ。そして、いつか誰かが使う」
宮沢は、窓の外を見た。
「未来日本の歴史では、核兵器が実際に使われたのだろう」
「はい」
「それを知っていながら、また作ろうというのか」
片岡は、しばらく考えた。
「先生。私にも、分からなくなってきました」
宮沢は、片岡を見た。
「何がだ」
「研究を続けることが、正しいのかどうかです」
宮沢は、静かに頷いた。
「それなら、まだ間に合う」
「何にでしょう」
「考えることにだ」
片岡は、資料を鞄へ戻した。
帰り際、宮沢が声をかけた。
「片岡君」
「はい」
「未来日本の人々に、聞いてみるといい」
「何をですか」
「彼らが、過去の我々に何を教えたいと思っているのかを」
片岡は、頭を下げた。
研究室を出ると、廊下には冷たい空気が流れていた。片岡は外套の襟を立て、雪の積もった道を歩いた。
未来の科学を知ることは、未来の幸福を知ることではない。
そのことを、彼は初めてはっきりと理解した。




