二 工藤和也の後悔
二月三日、未来日本の横須賀。
工藤和也は、自宅の食卓で一通の手紙を読んでいた。差出人は、工藤正志。昭和日本にいる、二十歳の祖父だった。
工藤にとって祖父とは、幼い頃に膝の上へ乗せてくれた老人のことだった。いつも背筋を伸ばして座り、昔の話をするときだけ少し遠くを見る癖があった。ところが、その祖父は昭和十九年にフィリピンで戦死したことになっている。未来日本の記録ではそうだった。工藤が覚えている祖父の姿と、公式の戦死記録は矛盾していた。
その矛盾について、政府の研究者たちはまだ答えを出していない。工藤には、難しい理屈は分からなかった。ただ、昭和日本で出会った青年が、間違いなく祖父と同じ名前を持ち、同じ顔立ちをしていたことだけは確かだった。
手紙には、丁寧な字でこう書かれていた。
『和也君。先日は会いに来てくれてありがとう。君が私の孫だという話は、まだ信じ切れないところがある。しかし、君が私を心配してくれていることは分かった。私が三年後に死ぬという話も聞いた。怖くないと言えば嘘になるが、今の私には軍務がある。君が私を救うために問題を起こしたと聞き、申し訳なく思っている。私の命を大切にしてくれるのなら、君自身の人生も大切にしてほしい。私は、できるだけ生きるつもりだ。正志』
工藤は、最後の一行を何度も読んだ。
彼は、祖父を救おうとして未来の軍事資料を持ち出した。その情報を昭和日本の久世貴臣大佐に渡したことが、今回の情報流出事件の発端になった。工藤は途中で過ちに気づいたが、資料の一部はすでに複製され、別の人間へ渡っていた。
現在、工藤は自衛隊の職務から外され、調査を受けている。制服はクローゼットの中に掛けたままだった。朝になっても出勤する場所がないということに、まだ慣れなかった。
台所から妻が声をかけた。
「ご飯、温め直そうか」
「いや、いい」
「朝から何も食べてないでしょう」
工藤は、返事をしなかった。
妻は食卓の向かいに座った。
「また、おじいさんの手紙?」
「ああ」
「何て書いてあるの」
「自分の人生を大切にしろって」
妻は、しばらく黙っていた。
「だったら、そうしたら」
工藤は顔を上げた。
「簡単に言うなよ」
「簡単じゃないのは分かってる」
妻は、静かに続けた。
「でも、あなたがここで何日も自分を責めていたって、おじいさんの命が助かるわけじゃないでしょう」
工藤は、手紙を見た。
「俺が渡した資料で、誰かが死ぬかもしれない」
「そうね」
妻は否定しなかった。
「だから、調査には全部話して。隠していることがあるなら、それも話して」
工藤は、しばらく黙っていた。
実際、彼にはまだ話していないことがあった。久世と接触した際、同席していた帝国陸軍の将校が一人いた。名前を聞いた記憶はなかったが、顔は覚えている。久世がその男を「野村君」と呼んでいたことも。
工藤は、手紙を封筒へ戻した。
「明日、調査官に話す」
妻は頷いた。
「うん」
工藤は、ようやく冷めた味噌汁に手を伸ばした。




