第二章 撃たなかった男 一 北太平洋、午後六時四十九分
最初の爆弾は、空母《赤城》からおよそ三百メートル離れた海面に落ちた。
水柱が立ち上がったとき、水城孝介二等海佐は、それが本当に爆弾だったのか判断できなかった。護衛艦の戦闘指揮所には外の景色がない。壁面の表示装置に映し出される航跡と、通信士の報告と、艦内を走るわずかな振動だけが、彼にとっての海だった。
「米軍機、二機が急降下。帝国海軍機、迎撃に入ります」
水城は腕時計を見た。
二〇二六年十二月七日、午後六時四十九分。
時刻表示の数字は正常だった。艦内時計も、発電機も、戦闘システムも動いている。衛星測位だけが失われ、地図に描かれている海岸線の意味が変わっていた。
世界が狂っても、時計だけは律儀に進むものらしい。
「米軍機からの通信は」
「ありません。国際緊急周波数、軍用周波数ともに呼びかけています」
「続けろ」
「艦長、赤城から発光信号です」
通信員が読み上げた。
「『貴艦ハ何故戦闘ニ参加セザルヤ』」
水城は一瞬、返答に迷った。
《赤城》の艦橋にいる南雲忠一は、目の前の艦を同じ日本の軍艦だと思っている。少なくとも、先ほどまではそう思っていたはずだ。
しかし《まや》は帝国海軍の艦艇ではない。
水城が指揮するのは、二十一世紀の日本国が保有する護衛艦だった。憲法も、法律も、指揮系統も、そして国家が武力を使うことについての考え方も、昭和十六年の日本とは異なっている。
その違いを、戦闘中の南雲にどう説明すればよいのか。
「『本艦ハ交戦ヲ望マズ。双方ノ航空機ハ直チニ離脱サレタシ』」
通信員が復唱した。
「送れ」
返答を待つ間に、帝国海軍の零戦が一機、画面上から消えた。
「帝国軍機一機、墜落を確認」
水城は口の中が乾くのを感じた。
誰かが死んだ。
その事実だけは、八十五年の時間を隔てても変わらない。
「救助準備。可能な範囲で墜落地点を記録しろ」
「了解」
戦闘指揮所の空気が変わったのは、その直後だった。
「艦長、米軍機一機が本艦方向へ接近」
「針路は」
「接近を継続。攻撃意図は不明です」
水城は画面を見た。
速度、距離、高度。
数字が次々に更新される。
彼の部下たちは、訓練された動作で持ち場についていた。誰も声を荒らげない。だが、平静な声の下に緊張があることは分かった。
「艦長、対空戦闘の準備を」
副長が言った。
「まだだ」
「本艦が攻撃される可能性があります」
「分かっている」
水城は、短く答えた。
彼は戦闘を経験したことがなかった。
災害派遣も、海賊対処行動も、緊迫した警戒監視も経験している。艦長として必要な訓練を受け、何度も模擬戦闘を行ってきた。
しかし、人間が乗っている航空機を撃ち落とすという命令を、実際に下したことはなかった。
画面の中の光点は、相変わらず近づいてくる。
「艦長」
副長の声が少し強くなった。
「自衛措置の判断が必要です」
水城は、ゆっくり息を吐いた。
「兵装使用の準備。発射は命令するまで待て」
「了解」
戦闘指揮所の空気が、さらに硬くなった。
そのとき、通信士が声を上げた。
「米軍機、離脱します」
水城は画面を見た。
光点が針路を変え、遠ざかっていく。
誰も歓声を上げなかった。
ただ、誰かが小さく息を吐いた。
水城は椅子の肘掛けに置いていた手を見た。
指先が白くなっていた。
自分が思っていたよりも強く、握り締めていたらしい。




