ヴィオラも強い
俺の名前は花崎遥。強い男だった。
だが、トラックに敗北し異世界転生を果たした。
令嬢ハルカ・ブルーメケープとなった俺は3か月後に王立学園へ行くことになるらしい。
強い俺だが……学校は苦手だ……
満天の星空を見上げる。
俺は残念ながら天体には詳しくはない。
星座や星の名前も一般教養程度……というのも失礼なくらいにしか知らない。
だから今、窓から見上げているこの空が地球の空とどの程度違うのかもわからない。
あの星々のどれかが地球で、そこでは俺の両親と妹が今も暮らしているのだろうか?みな元気だろうか?
時折、転生前を思い出す。置いてきてしまった家族を思うと胸を締め付けられる。
弱い行為だとわかっていても……心配なものは心配だ。
物思いにふける間も手はゆっくりと開いて閉じてと握力を鍛えてはいく。
「ハルカは星が好きね」
背後から声をかけられてはっとする。
「おかあさま……」
「王立学園へと行ったら星を学ぶのもきっと楽しいわ」
ニコニコとほほ笑む母にまさか「前世の家族に思いを馳せていた」とは言えない。俺は曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
「メイプルはお嬢様がお星さまに詳しくなったらお星さまの事を一杯教えてほしいです!夜空を見上げながらお菓子を食べてお嬢様といっぱいお話ししたいです!」
俺は小さく笑って「そうね」とメイプルに応えると、メイプルは嬉しそうに尻尾をゆっくりとゆらゆらとさせた。
「さあ、ハルカ。もうヴィオラも眠ってしまったわ。あなたも寝ましょう」
俺はこの世界の母に手を引かれながらベッドへと向かった。
「メイプルもちょっと眠いです。おやすみなさいませ奥様、ハルカお嬢様」
メイプルが一礼すると隣に立っていたヴィオラのおつきのメイドであるアイリス、そして母のメイドであるメイプルの母も優雅に一礼する。
「おやすみなさいませ。奥様、ハルカお嬢様」
「おやすみなさいませ。奥様、ハルカお嬢様」
二人のメイドが就寝の挨拶をしている間に、メイプルがランプの灯を吹き消す。3人が寝室を出ると窓から差し込む月の光だけが部屋を照らしていた。
俺は眠気が来るまでの間、もう少しだけ空を眺め、置いてきた家族の事を想った。
「遥ちゃーん」
俺はカッとなって大嫌いなクラスメイトの男の頬に拳を叩きこんだ。
「豪岡君も遥ちゃんも喧嘩しちゃダメだろ。二人で握手してごめんなさいって言うまで先生は許さないからな」
生徒と一緒になって俺を遥ちゃんと呼ぶ担任。今思い出しても反吐が出る。
「いたい!遥ちゃんが手をひねった!」
「なんで仲直りができないんだ!」
教師のゲンコツが俺の頭の上に落ちる。
びっくりした俺は目に涙が滲むのを感じるが泣くわけにはいかない。
俺は何もしてない。諦めて握手をしただけだ。
くそっ!豪岡の野郎ッ!口が笑ってるじゃねえか!
卑怯者!大人に頼る弱い奴め!
「お前みたいな乱暴者!ろくな大人にならねえぞ!」
「お嬢様可哀想です!この先生ずっとお嬢様の事を無視してただなんて!この先生のほうがずっとろくでもない大人だってメイプルは思います!」
俺は殴られたこと以上に目の前で耳をぺたんこのイカ耳にして尻尾を逆立てぷんすこ怒っているメイプルに驚いた。
「メイプル!?なんで学校に!?」
はっと跳ね起きる。メイプルと目が合う。
「ハルカお嬢様おはようございます!」
ベッドの脇に膝をついてずっと俺の寝顔を見ていたのだろうか。毎朝毎朝よく飽きないなと思う。
メイプルは毎朝嬉しそうに俺の顔を覗き込みながらゆらゆらと嬉しそうに尻尾を揺らしている。
「おはようございます」
あまりの夢見の悪さにまだ少し胸がドキドキしている。
強くなっても乗り越えられないものがあるのだなと少し悔しい気持ちになった。
「お嬢様、怖い夢でも見たのですか?」
表情に出ていたのだろうか?メイプルが心配そうな表情を浮かべる。
俺は大丈夫と言うと目をこすって思い切り伸びをした。
母は既に起きているようで、隣には穏やかな寝息を立てながらヴィオラが眠っている。
もうしばらくもすればアイリスがヴィオラを起こしに来るだろう。
俺は幸せそうに眠るヴィオラのほっぺたをつんとつついた。
「さあまずは着替えましょうか」
メイプルがクローゼットへとパタパタと向かうのを見て、俺はベッドから降りると部屋の真ん中あたりに立った。
メイプルは取り出したドレスをベッドの上へと広げると、俺の寝巻を手早く脱がせて洗濯籠へとしまう。そして、てきぱきと慣れた調子で紐とボタンの多いふわふわしたドレスを俺へと着せていった。
物心ついた時には着替えまでメイプル任せの生活だった。このままでは服の着方を忘れてしまいそうだなと時折思う。
メイプルがウエストの紐をぎゅっと思い切り締める。そして手慣れた様子で変わった結び方で固定をするとその上に布を巻いてリボンをてきぱきと作る。
前言撤回だ。この服はそもそも俺の知識では着れない。
「お嬢様は今日も大変可愛らしいです!さあ次は御髪ですよ!」
メイプルはさっと椅子を引いて俺に座るように促す。言われるがままにその椅子に座る俺。
「お嬢様の髪の毛は今日も綺麗です!」
「それ、まいあさいってませんか?」
「はい!毎日綺麗ですから!」
言いながらメイプルは丁寧に俺の長い金髪を梳かしていく。
今は慣れたが、転生前は丸刈りだったので髪の毛に櫛を通すという事自体が新鮮ではあった。
だが、正直、毎朝のこの時間は嫌いではない。
それでも、先ほど見た悪夢のせいか、なんだか胸の中にもやもやした物が残ったままではあった。
「はい!今日ももっと可愛くなりましたよ!」
可愛らしい赤いリボンのついた髪留めで髪をひとふさ後頭部にまとめると、メイプルは満足そうに言った。
「ありがとうメイプル」
お礼を言うとメイプルはにっこり笑ってわかりやすく尻尾を振り回した。
「それじゃあちょっとだけ、はしりこんできますわ」
何か嫌な事があった時は鍛錬に限る。俺は椅子を飛び降りると足早に中庭のランニングコースへと向かった。
「ええっ!?朝ごはんが先です!それにせっかくの髪の毛が乱れてしまいます!」
メイプルが一生懸命追いかけてくるのを感じるが、こんなもやもやした気持ちを抱えたままでいたくはなかった。
すまないメイプル。あとで好きなだけ髪の毛を触らせてやるので弱い俺を許してほしい。
メイド達がハルカロードと呼ぶランニングコースをまずは軽く一周。
俺が毎日のように走っていたためすっかり芝がはげてしまったそのコースは、一周あたりせいぜい100メートルほどしかない。
「お嬢様ーー!」
中庭のどこかで待っていればいいのにメイプルが一生懸命追いかけてくる。
「ちょっとはしったらもどりますわ!」
もう一周。メイプルの背中が見える。だがメイプルは真面目にコースを回って俺に追いつこうとしているようだ。
捕まえたいなら逆方向に走ればよいのに。
「おじょ……ぉ……さまぁ……」
もう一周。息を切らしてスピードダウンしているメイプルを追い抜く。
「ぜーはぁぜーはぁ……」
もう一周。ついに疲れて座り込んでしまったメイプルを追い抜く。
「ふぇえ……お嬢様酷いですぅ……」
もう一周。少しずつスピードを落として座り込んでいるメイプルの隣で朝のランニングを終えた。
「なんだか、元気がでましたわ」
汗と一緒に嫌な夢を流せたのだろうか。
すこしすっきりとした気持ちで、疲労でぷるぷると震えるメイプルの手を引いて俺は食堂へ向かった。
午前中は礼儀作法の勉強、そして昼食をはさんで午後も1~2時間の勉強。その後は自由時間。これが俺とヴィオラ、ブルーメケープ姉妹の平日のルーチンであった。
その間、メイプルは家事をあれこれとこなし、手が空けば俺の様子を観察に来る。
ブルーメケープ家の住み込みメイドの娘として生まれたメイプルにとって、9歳下のハルカは仕える相手であると同時に年の離れた妹のようなものなのだろう。
特に俺が生まれるまでは家の中では最年少だったのだ。9歳のメイプルが大はしゃぎする姿は容易に想像できる。
「おねえさま、おうたをうたって!」
勉強が終わるや否や、ヴィオラはそう言いながら手に持っていた絵本をぐいぐいと押し付けてきた。
「ヴィオラ、えほんなの?おうたなの?」
俺は困って絵本を受け取りながらもヴィオラに尋ねる。
「りょうほう!」
「りょうほう……」
その時だ、部屋をノックしてティーセットをワゴンに乗せたメイプルが部屋へとやってきた。
「ハルカお嬢様!ヴィオラお嬢様!お勉強お疲れ様です!」
「くっきー!」
ヴィオラは嬉しそうに叫んで椅子に飛び乗るように座った。
「ヴィオラ、すわるときはどうするか、先生がおっしゃってたでしょう?」
俺が指摘するとヴィオラは椅子から降りると、スカートのすそを掴んで優雅に腰掛け直し、背筋を伸ばして膝の上で手を重ねてみせる。
「とってもじょうずね!」
可愛い。ヴィオラは強い。
両親と俺、つまりハルカと同じ澄んだ青い瞳はくりっとしておりキラキラといつも輝いている。紫がかった黒髪は肩ほどまで伸びておりふわふわでサラサラだ。よく表情の変わる顔の真っ赤なほっぺたがなんと可愛いのだろうか。
強い。ヴィオラは強い。俺はヴィオラが誕生して何度目かわからない気持ちを噛みしめる。
今なら転生前の妹ももっと可愛がれそうだ。いや、無理だな。澄麗は生意気で可愛くはなかった。6年経ってもそれは確信して言える。
「ハルカお嬢様も早く座ってくださいね。メイプルがお茶を用意しますので」
上機嫌で尻尾を揺らしながらメイプルがティーカップにお茶を注いでいく。ふさふさした尻尾をあんなに揺らしては、毛が飛び散ってお茶に入るのではないかと少し心配になる。
「ヴィオラお嬢様、アイリス姉様も仕事を終えたら来ますよ」
「はーい」
ヴィオラのお世話を主にやっているキツネの獣人メイドのアイリス。俺は彼女のことがなんとなく苦手であった
俺も椅子に座り目の前に紅茶の入ったティーカップとクッキーを差し出される。
紅茶の香りを楽しんだ後にクッキーを一口。
甘すぎる。弱い味だ。だが身体が子供だからなのだろう。それがとても魅力的で俺は夢中でそれを頬張った。
ヴィオラとメイプルを相手に、クッキーとお茶の話で盛り上がっていると、ドアが静かにノックされた。
「失礼いたします」
「あいりす!」
ヴィオラが嬉しそうに椅子を飛び降りるととてとてとアイリスの方へと向かう。
アイリスはすらりと背が高く、目つきも鋭い。銀色の髪と尻尾も相まって、どこか冷たい印象があり、背筋をピンとさせて立っている佇まいからこのメイドにマネキンのような無機質さを感じずにはいられない。
「まあヴィオラ様、こんなに口の周りを汚して。とてもクッキーが美味しかったのですね」
が、ヴィオラを前にすると別だ。
アイリスは優しい笑顔を浮かべ、屈んでヴィオラの口の周りをハンカチで拭った。
「メイプルもやりたいです!」
「わたくしはもうじぶんの口はぬぐいました」
だがメイプルは俺の言うことなど一切聞かずにハンカチで口の周りをちょんちょんと汚れてもいないのに拭う。
抵抗しても仕方がないので、俺は観念してメイプルのさせたいようにする。
「ハルカお嬢様!綺麗になりました!」
「そう……ありがとうメイプル」
何も変わってはないと思うが一応お礼を言うとメイプルが嬉しそうに尻尾を振り回す。いつか尻尾をぶつけて何か壊してしまいそうなので、メイプルを褒める時は周囲に気を付けたほうがいいかもしれない。
「あのねあいりす!きょうはね!おねえさまがえほんをよみながら、おうたをうたってくれるの!」
「まあ!ハルカお嬢様は器用ですね」
ちらりとこちらを見たアイリスの鋭い目が冷たい。俺が言ったことではないというのに。
「アイリス、たすけてくれませんか?」
だがアイリスは非常に優秀な強いメイドだ。俺が困り果てた様子で助けを求めるとすぐに状況を察したようだ。
「ヴィオラお嬢様、ハルカお嬢様のお口は一つしかないのですよ。お歌を歌いながら絵本を読むことはできません」
「おねえさまでも?」
ヴィオラの中で俺はどんな存在なんだとたまに不安になる。信頼されているのは本当に嬉しくはあるのだが。
「はい。おねえさまでもできません」
俺は一つしかない口を指さしてみせた。
「ざんねん。おねえさまのおうた、すきなのに」
ヴィオラは昔から俺の歌を聞きたがる。転生前はカラオケにもろくにいかず、接待でたまに行ったとしても奇声をあげながらタンバリンを狂ったように叩いていた俺の歌が上手いとはとても思えない。
残念だが歌は鍛えていなかった。弱いかどうかは自分ではわからないが、少なくとも強い事は絶対になかっただろう。
それでもかわいい妹が好きだと言うのなら歌わないわけにはいかない。
俺は座ったまま、すぅと小さく息を吸うとラララで転生前に好きだったロックを口ずさんだ。
ラララにしたのは、そのままの歌詞で歌うとヴィオラの教育に大変悪い事になる事は容易に想像できたからだ。
アイリスなど卒倒するか俺のことを殴ってでも黙らせるかはしてきそうだ。
しばらくの間、部屋に自分では上手いのか下手なのかわからない歌声が響いた。
「ハルカお嬢様お上手です……」
歌い終わるや否や、メイプルがうっとりとした顔で言う。
「ハルカお嬢様の歌は独特のリズムとメロディーですね。悪くはありません」
アイリスは少々辛辣だ。だがメイプルよりよっぽど客観的な評価だろう。
「おねえさまのおうたすてき!」
ヴィオラがそう言うのならば頑張った甲斐があったというものだ。
「えへへ……」
少し照れ臭く変な笑いが零れてしまった。
「メイプル、その紙?」
アイリスがティーセットを運んできたワゴンの下段に置いてあった小冊子のようなものに気づいて目を向けた。
「アイリス姉様気になりますか!?これはですねー!」
「ではなくワゴンの下段に乗せていいものは……」
アイリスはメイプルのマナー違反を指摘したかったようだが、そんなことには気づかず、メイプルは楽しそうにふっさふっさと尻尾を振りながらしゃがむと、両手で小冊子を頭の上に掲げてみせた。
「王立学園のパンフレットです!ご主人様がどんな場所か目を通すようにってくださりました!」
学校の話か……と楽しかった気持ちがみるみるうちにしぼんでいく。
「そう……」
俺の反応に気分を害することもなく、メイプルは続ける。
「大丈夫ですよハルカお嬢様!お嬢様の分もあります!」
そう言って俺の前に冊子を一冊渡す。ヴィオラも興味津々なのでそれをヴィオラへと渡してあげる。
「絶対楽しいです!楽しそうな事いっぱい書いてありました!メイプルも楽しみです!わかんないこともいっぱいありましたけど!」
「そう」
心底楽しそうなメイプルを前にすっかり毒気を抜かれ、今度は先ほどより少し柔らかく答える。
「アイリス姉様も!」
メイプルがパンフレットを机に広げて先輩メイドに声をかけると、アイリスは仕方がない子と顔全体に出したまま机へと向かってくる。
「ヴィオラもみる!ヴィオラもみる!」
まだ読める文字、読めない文字のあるヴィオラが俺が渡したパンフレットを机の脇に避けて、身を乗り出してメイプルが開いたパンフレットを覗き込んだ。
「メイプルは大事そうなところはちゃんとチェックしました!」
言いながらメイプルは腕を組んで得意げに目を閉じた。
「まずはお嬢様が通うセレシア王立学園の歴史と概要です!」
そう言いながらメイプルはパンフレットの一ページ目を開いた。
「聖女様がみてる!」
メイプルが元気よく大きく書かれた校訓らしきものを読み上げる。詳しくはないがそんなタイトルのライトノベルがあったような気がする。
「セレシア王立学園は200年以上の歴史のある世界で最も古い名門女子校です。初等部、中等部、高等部を有し、貴族として必要な学力と礼儀作法を一貫して学ぶことができます」
「メイプル、書いてあることを読んでるだけでは?」
俺は思わずつっこむがメイプルは気にも留めない。
「勉学だけではなく寮生活やイベントを通して生涯の友人との出会いも支援しております」
パンフレットの概要を音読しただけのメイプルだったが、感極まって自分の身体を抱きしめながらくねくねと身もだえ始めた。
「ご令嬢達が集まり仲睦まじく一生の思い出を作る美しい世界!ああ!まるで花園……!」
やたら嬉しそうなメイプルには悪いが、俺は学園と花園と言われてもラグビーしか連想できない。この世界にラグビーがあるかは知らないが。
「はなぞの!」
ほら見ろヴィオラまで真似してしまった。
「では次の大事なポイント!」
パラパラと数ページめくっていったが、恐らく最も大事であろう学習内容のページは容赦なくすっとばされた。
そしてあるページでメイプルはパンフレットのある場所を指さした。
「寮!寮です!ハルカお嬢様とメイプルが一緒に暮らすおうちです!」
「いっしょの部屋なの?」
俺は少し驚きながら尋ねる。
「はい!メイプルはお嬢様といつでも一緒ですよ!」
それはメイプルの願望では。メイプルは楽しげにさらに寮の紹介を続けた。
「ここがリビング、ここがベランダ、そしてキッチン、それでこっちがお風呂で……」
メイプルがイラストを指さしながら次々と部屋を紹介してくれる。
「広いですわね……」
俺の中の寮の概念が崩れる。狭い部屋にテレビが一つ、二段ベッドくらいしかプライベートのスペースはない過酷な環境というイメージがあった。
これはもう寮というより高級タワマンとか言うやつではないだろうか。いや貴族が長年暮らすのだからこのくらいが普通なのかもしれない。
「メイプルが掃除するのが大変そうね」
「メイプルはお掃除も大好きだからご心配には及びません!」
「メイプルはつよいわね」
それは心の底から出た言葉だった。
「ちなみにメイプルのお部屋はここです」
そう言って指さした部屋は押し入れやトイレよりも狭い一角であった。本当に部屋なのだろうか。
「メイプルがそれでよいのなら……」
本当にどうするかは実際に部屋を見てから決めよう。メイプルの情報を鵜吞みにするのはよくなさそうだ。
「メイプルのおへや、ちがうところになるの?」
ヴィオラが不思議そうにメイプルに尋ねる。
「そうです!ハルカお嬢様と学園で暮らすのです!」
「おねえさまも?」
「はい!」
「おでかけ?」
「おとまりです!」
「おとまり?」
メイプルとヴィオラが微笑ましい会話をしているが、ヴィオラの表情が少しずつ不安げになっていく。
「おとまりって?」
「おそとでお部屋を借りて寝て起きるんですよ!」
「わたくしは、いっしょじゃないの?」
その悲しげなヴィオラの言葉を聞いてメイプルの耳と尻尾がしおれていく。
そしてちらっとアイリスの方をみた。
「ヴィオラお嬢様はお留守番ですよ」
アイリスはメイプルが言えなかった言葉を丁寧に伝えた。
「やだ!!」
急に大声でヴィオラが叫んだので3人とも驚いてびくりとしてしまう。
「ヴィオラもおねえさまとおとまりがいい!」
ヴィオラは椅子から飛び降りて俺へとかけよると、俺の手を両手でぎゅっと握った。
痛いくらい強く手を握られながらも俺はもう片方の手でヴィオラの頭をなでる。
「だいじょうぶ。できるだけ、おうちにはかえるようにするから。メイプル、かえれるよね?」
「え!?」
尻尾を逆立てて驚くメイプル。そこにすかさずアイリスが助け舟をよこした。
「夏休み冬休みといった長い休みでは家へと帰る学生が殆どです。それに自主的な休暇で帰省する学生もおります」
「アイリス姉様のおっしゃる通りです!」
アイリスの冷たい視線がメイプルに突き刺さる。が、メイプルは気にも留めない。
「ヴィオラ、いっぱい会えない分、いっぱいおみやげをもってかえるわ」
「でもやだ……おねえさまといっしょがいい」
ヴィオラの気持ちは嬉しいが少し困った。
「アイリス……」
メイプルのように俺もアイリスに助けを求める。
「ヴィオラ様、ハルカ様も本当は一緒にいたいのです」
「ならいかないでぇ!」
だがそれでもヴィオラがボロボロと大粒の涙をこぼしながらわがままを言う。アイリスの目が俺に言葉を促すようにちらりとこちらを見た。
アイリス、俺が6歳児な事を忘れていないか?メイプルに同じことをしても対応できないぞ。
だが、せっかく助けてくれたのだ。心の中でアイリスに感謝をしながら俺は口を開いた。
「アイリスのいうとおりです。おねえさまだって、とてもさびしいんです」
これは本心だ。スマホもないこの世界では会えないだけではなく話を聞くこともできない。ヴィオラに会えない間の様子もわからない。
「さびしい……」
想像したら辛くなってしまった。俺は確かに強いが、6歳の子供としては当然の感情だろう。こんな言葉が零れても仕方がない。
「おねえさま……」
ヴィオラの顔が心配そうな顔になる。
「わたくしだってヴィオラといっしょにいたい。でもがまんするの。おねえさまは強いから」
「おねえさまはつよい……」
「ヴィオラはおねえさまの妹なのよ。ヴィオラにだってできますわ」
アイリスが小さくため息をついた。何か問題があったのだろうか。やはり少しこのメイドのことは苦手だ。
「ねえヴィオラ、いっしょにお歌をうたいましょう」
「……うん」
まだ気持ちに整理がつかないのだろう。いつもなら大喜びで真っ先に歌いだすのに、ヴィオラは俺の手をじっと見たまま何も言わない。
「さびしくなったら、お歌をうたっておねえさまのことをおもいだして。その時はきっと、学園でおねえさまもいっしょに歌うから」
ヴィオラは小さく頷く。
それを見た俺はヴィオラを促すように歌をうたう。ヴィオラが見上げる。俺は微笑む。ヴィオラも笑う。
そしてまた最初から、転生前に好きだったロックの歌詞をラララにして歌ってみせる。幼いしたったらずな二人の歌声が部屋を包むと、メイプルはうっとりとした表情を浮かべ、アイリスも目をつぶり聞きほれる。
あのロックバンドもまさか「ぶち壊せ」「ぶん殴る」「折れた前歯」といった歌詞を耳が壊れそうなほどに気持ちよくて激しいドラムにのせて歌ったものが、異世界で子供達に優しく歌われているとは想像もできないだろう。
ギターでビルに殴りかかるMVを思い出し、今とのギャップに歌いながら笑いそうになってしまった。
3か月間、これでもかとヴィオラを甘やかし、一緒に出掛けたり、遊んだり、歌ったり、鍛錬したり……時には一緒に怒られて……ヴィオラにたくさんの思い出を残してやり、そして俺自身も夏休みまでのヴィオラとの思い出をたっぷりと補充した。
父の視察についていくときよりも立派な馬車が家の前で待っている。メイプルが荷物を手際よく荷台へと詰め込んでいく傍ら、俺は父と母とそしてヴィオラを順番に抱きしめた。
家族相手にこんなことをしたことは転生前にはなかったので少し恥ずかしい。
ヴィオラは涙を流していたが、わがままを言わず母の手を握り体を震わせて耐えていた。
ヴィオラ。強いぞ。俺は、いやお姉様はお前の事が誇らしい。
「行ってきますお父様」
「行ってきますお母様」
「行ってきますヴィオラ」
家族に別れの挨拶を済ませた俺は、メイプルに手を引かれて学園へと向かう馬車へと乗った。
馬車の窓から家族の姿が見えなくなると、俺は遠い空を見上げて、空の向こうの家族を探した。
ついにセレシア王立学園と向かったハルカとメイドのメイプル。
まずはお引越し!
学園では一体どんな出会いがありどんな事件が起こるのか……!




