俺の名前は花崎遥
俺は自分の名前が嫌いだ。
「花崎遥」弱い名前だ。小学校では散々名前をバカにされ女扱いをされた。
だから俺は強くなった。
身体を鍛えスポーツもケンカも強くなった。社会人になってからも、パワハラ上司にイビられても理不尽なクレームがあっても折れなかった。
なぜなら俺は強いからだ。
だが、トラックはもっと強かった。
道路にガキが飛び出した。気づくと俺はガキに飛び掛かるように道路に飛び出していた。呆然としているガキの首根っこを掴んで歩道で呆然としている親へ向かって投げ捨てる。よかったなガキ。俺が強くなかったら今頃死んでたぞ。
こいよトラック。俺は強いぞ。
これが前世の最期の記憶だ。
6年前、俺はこの世界のとある貴族の長女として生を受けた。いわゆる異世界転生というものだろう。
2歳だか3歳だかにもなると少しずつ自分の置かれた状況がわかってきた。
俺は小さな女の子の身体になった。弱い、弱すぎる身体。お約束のチート能力とやらもわからない。こんな脆弱な身体には都合のいい能力など貰えなかったのかもしれない。
「おれは……よわい……」
この世界の両親が言うには、俺がこの世界で最初に喋った言葉はこれだったらしい。
「じゅーはち……」
この世界で6歳となった俺は、メイド達が洗濯物を取り込む横で懸垂をしていた。
「じゅーー……きゅう……」
そんな俺をメイド達がにこやかに微笑みながら見守る。
転生前では100回を超えてもじっとりと汗をかく程度だった懸垂なのに、今の細い腕ではすでに汗だくだ。
ゆったりとした癖のある美しい黄金の髪が汗で額にべっとりと張り付き鬱陶しい。
「ハルカお嬢様は本当に運動がお好きですね」
皮肉なことに転生先でも忌み嫌っていたハルカという名前がついてきていた。クソッタレが。
ハルカ・ブルーメケープという名のすこしおてんばな貴族令嬢。それが今の俺だ。
胸の前で手を組んで目をキラキラさせているネコミミのメイドに対して、俺は6年ですっかり板についた幼い貴族令嬢としての振る舞いで答える。
「うん。わたくし、うんどう、だいすきよ」
身体は鍛えられてもなかなか舌は鍛えられない。
物干しざおにぶら下がったまま、まだ少し舌ったらずな喋り方をしながら、表情筋に力を入れ澄んだ真っ青な瞳でメイドに満面の笑顔を作ると、それにメイドも嬉しそうに笑い返してきた。
俺が前世で経験したことのない反応だ。
俺の両親もいい人だった。だがこの世界の両親もいい奴らだ。メイド達も。
果たしてこの世界で俺は強くなる必要があるのだろうか?
「にーー……じゅう!」
そんな疑問が毎日のように浮かんでは消える。
前世の俺が死んだ原因であるトラック事故に思う所がないわけじゃない。だが、俺が弱かったらトラックのガキは助からなかった。
だから強いことは少なくとも悪いことではない。
今もそう思っているから、転生前もそうしていたように俺はこの世界でも強くなるための日々を送っている。
「二十回も懸垂を!?ハルカお嬢様すごいです!」
大げさにメイプルという名の一番若いメイドがぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ。それに合わせてメイプルの背中で琥珀色の長い三つ編みとふさふさの太い尻尾が一緒にはねた。
懸垂だけではない。メイプルはスクワットをしても腹筋をしてもランニングをしても、大げさに自分の事のように喜んでくれる。
そこに悪意や嫌味は一切感じない。家族の成長を喜ぶ姿が少しくすぐったくもあった。
「メイプルはちゃーんと覚えてますよ!二十回は新記録です!」
そんなことはないのだが……メイプルは得意げな顔で尻尾をゆったりと揺らしているのであえてそこを追及はするまい。
「えへへ、ありがとうございます」
物干し竿から飛び降りると、両親に少し厳しめに叩きこまれている礼儀作法の通りに少し泥で汚れてしまった白いスカートの端を掴み一礼をする。
するとメイプルはとてとてとこちらへと近づいてきて、すぐにスカートのポケットから出したハンカチで俺の顔の汗をぽんぽんと優しく拭った。
「お嬢様、晩ごはんは何がいいですか?」
「たんぱくし……ささみ!」
この世界にプロテインはないがささみがあったのは幸いだった。
「ふふ、お嬢様はお肉が本当にお好きですね!メイプルも鶏さん大好きです!」
そんな会話をしていた時だ。正門から入ってきた一人の男がメイプルへと声をかけた。
「郵便です」
「はーい」
メイプルはメイド服のスカートとエプロンをはためかせながら配達員の元へと向かうと、愛想よく一礼しながら郵便物を受け取った。
「あ……そっか……もうなんですね……」
郵便を受け取ったメイプルの顔が少し寂し気になり耳と尻尾も元気なくしおれる。
「なんのおてがみ?」
メイプルの反応が気になった俺はぴょんぴょんと跳ねて郵便物を覗き込もうとする。
獣人であるメイプルに対して失礼な考え方だとは思ったが、耳と尻尾のせいで予防接種の案内でも来たのかと考えてしまった。
「これはですね、お嬢様の王立学園の入学案内です」
今にも泣き出しそうな顔をしたメイプルは俺のために屈むと、なにやら豪華で複雑な模様の入った大型の封筒を俺へと見せた。
「……おおりつがくえん」
俺は前世の学校を思い出して暗い気持ちになった。
夜、憂鬱な気持ちのまま、メイプルを含む数人のメイドと共に食堂へと向かった。
食堂では既にこの世界の父が椅子に座っており、愛おしそうに俺の様子を見ていた。
だが、恐らく憂鬱な気持ちが表情に出ていたのだろう。穏やかだった父親の表情はすぐに心配そうになる。
まだ俺の身体には高い椅子によじ登るように座ると、父が口を開く。
「ハルカ、何か良くない事があったのか?」
低く威厳はあるが優しい声。時々、今の父の声を聴いている時に転生前の親父はもっと頼りなく疲れた弱い声をしていたなと思い出すことがある。
今回のように娘を心配している時は特にだ。
「いえ……なにも……」
『学校へ行きたくない』それだけは口にはしたくなかった。
小学校にはいったばかりの弱い俺はすぐに『花崎遥』という名前が原因でいじめられた。
身体と声がでかい男が俺の名前を「女、女」とからかいだすと、弱いあいつらは群れて俺をからかった。
その屈辱が耐えがたく、入学から一週間後には俺は涙ながらに『学校へ行きたくない』と母親へと訴えたのだ。
思い出しても自分の弱さに情けなくなる。
(女扱いが嫌だった?今の俺は扱いも何も『ハルカお嬢様』じゃないか)
ふっと自嘲的な笑いが零れてしまいはっとして口をおさえる。
貴族のご令嬢として非常にはしたない事を厳しいお父様の前でしてしまった。
「お、おとうさま!しつれいいたしました」
舌ったらずな口で慌てて失態を詫びる。
「そんなため息までついて。体調でも悪いのか?」
だがそれは父にはため息に聞こえたようだ。
「ええっ!?お嬢様大丈夫ですか?お熱ありますか?メイプルが測りますね!」
メイプルがパタパタと駆け寄ってきて太い尻尾を心配そうにぶんぶんとゆすりながら俺の額に手を当てた。
俺は心底心配そうな父に顔を合わせられず、気まずげに顔を背けフォークとナイフとナプキンだけが並んでいるテーブルに視線を落とした。
動いた額に合わせてメイプルの手もついてくる。体温が測れているかはわからないが。
「ご主人様!ちょっと汗をかいてますがお嬢様はたぶん平熱です!」
「そ、そうか……」
父は少し困ったように答えると最年少のメイドに下がるよう手で合図をする。
ざらざらとした気持ちが詰まった胸にじっとりと汗ばんだ右手を当てて、口をもごもごさせながら父へと伝える言葉を探す。
「おとうさま……」
俺は覚悟を決めて父へと顔を向けた。
その時だ。廊下の絨毯を踏む足音が近づいてきたので、父と俺は釣られて食堂の入り口をみる。
「あらあら、ハルカったらお父様の顔をそんな真剣にみてどうしたのかしら?」
母がくすくすと上品に笑う。母の右手はまだ4歳の妹の手を握っていた。そしてその後ろには妹のおつきのメイドも控えている。
「おねえさま!」
その妹は母の手を離すと小走りでこちらへと駆け寄ってくる。
「おしょくじしたら、おねえさまもごほんよんで!」
「ヴィオラ、おぎょーぎがわるいですよ」
「はーい」
不満そうに口をとがらせながらも、今度は走らずにお行儀よく母の元へと向かう。
豪華なドレスから伸びるまだわずかに赤子らしさが残る少しむっちりした手足を含め、まるで人形が歩いているようで可愛らしいなと微笑ましくなる。
「ごほんはおねえさまがよんであげる」
そう妹の背中に言うと、妹ヴィオラは紫がかったまだ短い髪を揺らしながら満面の笑みでこちらを振り返ったあと、嬉しさがおさえきれないといった様子でぴょんぴょんと跳ねるように母の元へと向かう。
『ヴィオラ』
それに見かねた父と母が同じタイミングで妹の名を強めに呼ぶと、ヴィオラはしゅんとして母の元へとむかった。
そうこうするうちに、席に着いた俺達の元へメイド達が料理を並べ始めた。
配膳が終わり、この世界の神様へと食事の感謝の祈りをささげる。
そして俺は厳しく教え込まれたテーブルマナーに従い、上品に切り分けたささみのステーキを自身の小さな口へと運ぶ。
さっぱりとしてたんぱく質を感じる鶏肉の風味にこの世界ではポピュラーらしい香りのよいスパイス。名前は何と言ったか……以前メイプルに聞いたが忘れてしまった。
ただ名前がわからなくとも美味しいものは美味しい。思わず頬が緩むのを感じながらもう一切れを口へと運んだ。
「ヴィオラ」
父が低い声で妹のマナー違反を指摘したようだ。
「お姉様をみなさい。お肉は切り分けたらすぐに食べなさいと教えただろう」
そういえば俺もテーブルマナーを教えられたばかりの時、前世でしていたような三角食べを真っ先に咎められたなとふと思い出した。
俺の中では汁物とオカズと米をバランスよく食べられる強い食べ方なので、マナーを気にする必要のない場所では実は今もやっていたりするのだが。
ああ、それとメイプルが「その食べ方おいしそうです!さすがはお嬢様です!」と真似をしてメイド長にこっぴどく叱られたらしいのでメイプルの前でもやらないようにはしている。
父にマナー違反を指摘された妹は口を尖らせた。
「わたくしはおねーさまとちがって、まだがくえんへいかないのに」
妹が言った言葉に俺は思わずびくりと反応してしまった。
「……ハルカ?」
母がすぐに俺の様子に気づいて心配そうに声をかけてくれた。
学園の話はきっと避けては通れない。うじうじとこの話題を避けるのは本当に強い行為なのか?いやいうまでもなく弱い行為だ。
俺は覚悟を決めて不安を口にした。
「わたくしは、がくえんへいくのですか?」
少し驚いた顔を見せた後、父は優しげに微笑んだ。
「なるほど、ハルカは王立学園へ行くのが不安だったのだね」
「……はい」
俺は強い。だが強くても人間だ。不安になる事もある。
それにトラックにも勝てなかった。
「……こわいです」
自分が口にした言葉に驚き思わず口を両手で覆う。
(怖い?強い俺が?)
最終的に強くなった俺を小学校でバカにするような奴は一人もいなかった。
俺は強くなって自分の楽しい小学校の生活をもぎ取ったのだ。
(この脆弱な身体で……同じことができるのか?いや、できるできないじゃない。強いなら「やる」のだ)
それにもしかしたらチート能力とやらがそろそろ発現するかもしれない。
……そんなものに頼ろうとするなんて、やっぱり俺は弱いじゃないか。
「ハルカ、3か月後には王都へと向かい王立学園で過ごすことになる」
「おうとはどんなばしょですか?とおいのですか?」
考えてみると俺はこの世界の事を全然知らないのだなとふと気づかされる。
東京みたいな場所なのだろうか?いや、時代的に江戸か?それも違うな……
「王様が暮らすこの大陸の中心……あーー。とても広くて賑やかで華やかな場所だよ」
「すごいばしょなのですね」
俺の知っている世界はこのブルーメケープ家の敷地と父に連れられて行く領地の数か所、そしてそこへ向かうためにのる馬車の中くらいだ。
大陸の中心と言われても自分が住む世界の地図も思い浮かばない。
この世界についてわかっている事なんて陽は登って沈む。四季はあり夏は暑く冬は雪が降る。それくらいだ。
「とおいのですか?」
もう一度尋ねると父は少し悩んだ後にこたえた。
「ああ、だからみんな寮で過ごすんだ」
不安げな娘をさらに不安にさせてしまうかもしれないと悩んだのだろうが、はっきりと父は伝えてくれた。
「……」
寮生活か……前世を含めても未知の経験になる。不安のあまり思わず俯いてしまった。
「不安な気持ちはわかる。だが一人ではいかせないから安心してほしい」
父はそう言うと、そわそわと俺を見ながら不安げにしているメイプルの方へと向いた。
「メイプル、お前にはハルカに同行して寮生活を支えてほしい」
驚いて目をぱちくりとさせ、俺の後ろで待機しているメイプルを身体ごとひねって見る。するとメイプルも目を見開いて驚いていた。
「ご、ご主人様!よいのですか!?メイプルはみんなの中で一番若いし一番経験も少ないのに……」
「ハルカを一番近くで見守り面倒を見ていたのはお前だよメイプル。ずっと前からお前に任せるつもりだったさ」
そう父が言うとメイプルは目に涙を浮かべて喜んだ。
「はい!よかった……お嬢様と離れてしまうなんて……考えただけで寂しくて寂しくて寂しくて死んでしまうかと思ってました!」
大げさすぎるとは思ったが悪い気はしない。このやりとりを母は微笑ましそうに、妹は不思議そうに眺めていた。
「ハルカお嬢様!メイプルは荷造りしてきますね!」
「まってメイプル!がくえんは、さんかげつごだっておとうさまが……」
俺が一礼して足早にというかスキップしながら去っていくメイプルを止めるため食事のマナーを破って席を飛び降りると、メイプルのスカートを掴もうと手を伸ばしたが間に合わなかった。
「メイプル!ご主人様たちのお食事中ですよ!」
他のメイドが怒鳴ってそれを追いかける。
数秒後、三つ編みを引っ張られながら引きずり戻されたメイプルをみると、なぜか不安が少しだけ和らいだ。
3か月後、ハルカとメイプルはセレシア王立学園で暮らします。
他の令嬢との交流、学校イベント、判明する能力……
今後も様々な出会いと事件がハルカを待ち受ける予定なので楽しみにしていただけると幸いです。




