第63話 動機
テュレンヌ公爵は慄然とした。
「あ……あなたはいったい……何者なのです……!?」
不思議なのは、アンジェラ皇女の口調に伝聞や想像が感じられないことだった。
十五年も前の状況を、まるでその場に居合わせたかのように正確に語る皇女の言葉は、テュレンヌ公の心胆を寒からしめるに十分だった。
「テュレンヌ公。あなたがディアーヌ様の暗殺に踏み切ったのは、オルタンス様のためですね」
再び娘の名を出されて、テュレンヌ公爵の双肩がこわばった。
「すべてはオルタンス様を守るためにしたこと。そうなのでしょう?」
「オ、オルタンスは……」
「オルタンス様はあなたがディアーヌ様を暗殺したことをご存知ないのですね。だから言えなかったのでしょう? この目薬を使ってはいけないと」
オルタンスに四種類の贈り物を進呈した時、アンジェラは彼女の反応を注意深く観察していた。
もしも目薬の危険性を知っていたなら、わずかでも動揺を見せるだろうと考えていたが、オルタンスはアンジェラからの贈り物を素直に受け取り、満足そうに喜んでいた。前王妃が愛用していた品だと聞いても警戒する様子はなかった。
オルタンスは父の犯した罪を知らない。かつて王妃ディアーヌが目薬によって毒殺された事実を知らないのだ。
アンジェラは可憐な顔を、悲しそうに憂いに染めた。
「でも……何もディアーヌ様を殺す必要がありましたか? 確かに潔癖なお方ではありましたが……」
十五年前。ナタンとオルタンスの間に浮いた噂があることは、聖女のジュリエットですら耳にしたことがあった。
男女関係に厳しかった王妃は二人の接近を快く思わなかっただろうが、思えば王妃が意外なほどおとなしかったのは、すでにベラドンナの毒を盛られ、体調を崩していたからなのかもしれない。
しかも当時のナタンは王太子で、オルタンスは侯爵令嬢だ。
ナタンは必ず妻を迎えなくてはならない立場だし、そのためにはオルタンスに限らず、複数の令嬢との縁談が持ち上がることは避けられない。
いくら王妃が神経質な性格でも、噂話くらいでいちいち相手の令嬢を処罰することはできない。侯爵令嬢となればなおさらだ。
「それなのになぜ、ディアーヌ様を殺めたのですか?」
なぜディアーヌを衰弱させてオルタンスから目を反らさせただけではなく、殺害にまで踏み切ったのか。
「これは私の推測だが……」
リオネルは眉をひそめて言った。
「ナタンがオルタンス殿に手を出したのではないか?」
「……!」
テュレンヌ公は心臓に刃を突き立てられたような顔をした。
リオネルは長く息を吐く。
「やはり、そうか……」
オルタンスはまだ正式な婚約を結ぶ前に、ナタンに体を許した。
おそらくは王太子妃にしてやるとささやかれて、その気になったのだろう。
父親としては本来なら、娘の操を奪われたと王家に訴え、責任を取れと言って正式な結婚を迫りたいところだが、あの王妃を相手にそれは悪手でしかなかった。
結婚前と結婚後ではまったく違う。少なくともあの神経質な王妃ディアーヌにとってはそうなのだ。
ディアーヌは夫である国王の度重なる浮気に際しても、相手の女に怒りと憎しみをぶつけていた。
風紀の乱れはとにかく女の責任。言い寄ったのが男側だろうと何だろうと、貞節を守らない女がすべて悪い。
婚姻関係にない男女の不純な交遊はことごとく女側の罪。ディアーヌはそう考える人物なのだ。
ただでさえ若い女を敵視し、聖女ジュリエットにさえ息子を誘惑するなと牽制するような王妃が、婚前交渉の件を知ればどれほど激昂したかは想像に余りある。
爆発したディアーヌによって難癖をつけられ、事実をねじ曲げられて、オルタンスだけがふしだらな悪女に貶められることだろう。
オルタンスは社交界から追放され、王太子妃になるどころか、生涯誰にも嫁ぐことは不可能になる。
──なんという軽はずみな真似をしたのか……!
テュレンヌ候は娘の軽率さを嘆いたが、起きたことはもう取り消せない。もはや手を拱いている暇はない。
何よりもテュレンヌ候の決意を促したのは、ディアーヌが国王の愛人と隠し子をこれまで幾人も葬っているという事実だった。
ディアーヌはただ癇性が強いだけでなく、悪い意味で行動力のある女なのだ。
国王と関係を持ったという理由だけで、いったい何人の女たちが抹殺されてきたことか。
その憎しみがオルタンスに向けられない保証はどこにもない。
ちょうどその頃、国王は視察の名目で長く城を留守にしていた。
実際はどこで浮気相手と遊び呆けているのかわからないが、王の不在は千載一遇のチャンスだ。逃すわけにはいかない。
その日、テュレンヌ候は覚悟を固めた。──殺られる前に殺るしかない、と。




