第62話 手袋
「でたらめです!」
テュレンヌ公は否定の声を張りあげた。
「先ほどから何をぺらぺらと世迷い言を! いくら帝国の皇女殿下といえどお戯れが過ぎますぞ!」
さすがは熾烈な権力闘争を勝ち抜き、辣腕をふるってきた名宰相と言うべきか。
テュレンヌ公は王弟と皇女を同時に相手にしても怯むことのない胆力を見せつけ、
「……私が犯人? いったい何のことだか見当もつきません……」
と、深い嘆きを込めたため息を吐いた。
「私はただ"瞳を魅力的に見せる"という触れ込みの目薬には、しばしば人体に有害な成分が含まれると聞いたことがあっただけです」
訴えるテュレンヌ公はいかにも生真面目そうで、実直という表現がよく似合った。
正々堂々と張った胸と、嘘偽りなど一切存在しないかのごとく澄んだまなざしは、演説であればさぞかし聴衆を魅了したことだろう。
「アンジェラ皇女殿下はご存知ないのだと、すぐにお察しいたしました。殿下はただ純粋なご好意で贈り物をご用意くださっただけ。決して大げさに騒ぎ立てることがあってはなりません。事を荒立てないためにも、秘密裏に持ち去るのが一番だと考えたのです」
「──では、なぜ彼女を手にかけようとしたのだ」
リオネルは若いメイドに視線を向けた。
「私の目には、あなたが口封じのために彼女を殺そうとしたようにしか見えなかったが」
リオネルが詰問し、メイドも大きくうなずく。
先ほど首を絞められ、懐刀で刺し殺されそうになった恐怖を忘れてはいない。リオネルが助けてくれなければ、今頃は天国にたどり着いていただろう。
「……証拠は?」
テュレンヌ公は奥歯を軋ませながら、リオネルを睨んだ。
「言いがかりです! そもそも私が目薬を持ち去ろうが、この女を手にかけようが、前王妃様の死とはつながりません! それとも何か証拠があるとでもいうのですか!?」
「証拠か。では見せてもらおうか」
リオネルは冷静沈着に告げ、アンジェラも首を縦に振った。
「ええ。証拠は私たちが持っているのではありません。あなた自身がお持ちです、テュレンヌ公」
「は……?」
──公自身が証拠を持っている、とはどういう意味だ。
テュレンヌ公は当惑したが、逡巡する間はなかった。
アンジェラがたおやかに手を伸べて、公爵の手元を指さしたからだ。
「その手袋を取っていただけませんか?」
「て……手袋……?」
テュレンヌ公の両手を包むのは上質な皮製の手袋。今日だけ装着しているわけではない。日頃から常用している品だ。
「はい。確かめたいことがあるのです。お願いします」
アンジェラが言い、公爵の顔には拒否の色がありありと浮かんだ。
「て……手袋など、何の関係もな……」
「関係あるかないかは、あなたが決めることではない」
リオネルが厳然と詰め寄り、テュレンヌ公は抵抗もむなしく手袋を剥ぎ取られた。
「これは……!」
あらわになった両手には、酷い皮膚炎を患った痕跡が残っていた。
もう膿んではいないが、爛れた傷跡は今なお痛々しい。
──やはり、とつぶやいてアンジェラは公爵の手を見つめた。
「その傷は、ベラドンナに直接触れたことによる皮膚炎ですね」
ベラドンナは全体に毒があるが、特に葉の表面には猛毒の油が浮いている。素手で葉に触れれば炎症を起こし、腫傷が生じるのだ。
「違……違います……。これは漆でかぶれただけて……」
テュレンヌ公は強くかぶりを振った。
「高貴な方々にはお見苦しいかと思い、お目に触れぬよう手袋をしていたまで。疚しいことは何もありません!」
「では、医師に診察をお願いしましょう」
アンジェラは泰然と提案した。
「その傷が漆によるものか、それともベラドンナによるものか、専門の医師ならば診断できるでしょう。受傷したおおよその時期もわかるはずです」
正確な年月まで割り出すのは難しくても、ここ最近負った傷ではないことや、十年以上の年月が経過していることは診察できるだろう。
「いや……こ……これは……」
手の傷を隠しながら言いよどむ公爵に、アンジェラはさらに切り込んだ。
「テュレンヌ公。私はあなたがその手袋を付け始めた時期を知っています」
「は……?」
「十五年前、王家の側近たちが神殿にやって来て、聖女ジュリエットに王妃様の治療をせよと命じました。その中の一人があなたでしたね」
「な、何を見てきたかのようにおっしゃるのです!?」
見てきたから言っているのだが、言っても信じてはもらえないだろう。
アンジェラは質問には答えず、言葉を続けた。
「あなたはあの時、ジュリエットを素手で小突いた……」
十五年前。神殿で祈りを捧げていたジュリエットの前に、王家の側近たちが押し入ってきた。
『聖女ジュリエット!』
『早くしろ! 王妃様のお召しだ!』
あの時、とまどうジュリエットを側近の一人が素手で小突いたが、今思えば彼こそが当時は侯爵だったテュレンヌ公だったのだ。
そして、その翌日。
『──ジュリエット! この偽聖女め!』
さらに激しく軍靴を鳴らして、王太子ナタンが神殿に乗り込んできた。
『捕らえろ! 大逆を謀った弑逆者だ!」
罵倒の言葉が投げつけられ、武装した兵士に取り囲まれて、ジュリエットは神殿の床に引き倒された。
あの時、ジュリエットの頭をつかんで石畳にひざまずかせたのは白い手袋をはめた男の手だった。
あの手が誰のものであったか、言うまでもない。
テュレンヌ侯だ。彼は前日まで素手だったはずなのに、翌日には手袋を着用していたのだ。
「なぜ、たった一日で変わったのですか?」
アンジェラは尋ね、自ら答えを紡いだ。
「あなたはベラドンナの葉に触れて手に傷を負ったのですね。ジュリエットが王妃様を癒してから、王妃様が亡くなるまでのわずかな間に」
真犯人が用いた毒はいったい何なのか。アンジェラとリオネルが推測した時、ヒントとなった点は二つだった。
一つは瞳孔の散大。亡くなる前日の王妃の様子から、瞳孔を開く効果のあるベラドンナの汁液が候補に浮上した。
そしてもう一つは、テュレンヌ公が欠かさず着用している手袋。
彼が急に手袋を付け始めたタイミングを思い出した時。触れれば炎症を起こすベラドンナの毒を使った可能性がますます強まったのだ。
アンジェラもリオネルも何の物証も持っていない。あるのは前世の記憶を元にした推理だけだ。
だが、もしもテュレンヌ公の手にベラドンナによる古傷が残っていたなら──それは彼が前王妃の暗殺に関与した証拠となることだろう。




