第61話 凶器
テュレンヌ公は手袋をした手で汗をぬぐった。
公爵は国主を輔弼する参謀として、長年にわたり王国を支えてきた功臣。
その補佐なしに現王の政は立ち行かないと言われるほど、位人臣を極めた人物だ。
しかし国王ナタンの右腕であり、義理の父でもある名宰相は今、暗い庭園の片隅にあえなく蹲っていた。
「な、何を……」
リオネルの剣先を喉元に付きつけられて、テュレンヌ公は低くうめいた。
「これは何かの間違いです! 王弟殿下も皇女殿下も誤解をなさっているのです!」
見苦しくわめく声が響いても、アンジェラは冷静に質問を返した。
「テュレンヌ公。先ほどメイドからいったい何を受け取ったのですか?」
「そ、それは……」
「当ててさしあげましょうか。私がオルタンス様にお渡しした贈り物のうちの一つですね」
「違っ……!」
「そうです!」
かぶせるように叫んだのは、若いメイドだった。
先ほどテュレンヌ公爵に絞められた首を痛そうにさすり、けほけほと咳き込みながら、メイドは必死に訴える。
「公爵閣下が私に命じたのです! 王妃様の元から皇女殿下の贈り物を回収してこいと──」
「黙れ! 余計な口を叩くな!」
テュレンヌ公爵は鬼気迫る表情で、メイドの発言をかき消そうとがなり立てた。
「ありがとう」
アンジェラはメイドに礼を言い、にっこりと微笑んだ。
「私はオルタンス様に四つの贈り物をさしあげたわ。その中で公爵があなたに回収を命じたのはひとつだけ。目薬、でしょう?」
「はい、その通りです」
メイドがうなずくと同時に、リオネルは手燭を再び足元の地面に置いた。
空いた手でテュレンヌ公爵の胸ぐらをつかみ、服の内側を探る。
ころりと転がりながら出てきたのは、小さな色硝子の小瓶だった。
「そ、それです!」
メイドが駆け寄り、小瓶を受け取ってアンジェラへと手渡した。
「確かに私がオルタンス様に贈った目薬です。ラベルの底に付けた印も同じですわ」
テュレンヌ公爵が真犯人ではないかと目星をつけてから、リオネルとアンジェラはどうすれば周到な公爵が馬脚を露すか、彼を動かすための罠を話し合った。
その結果、撒き餌として用いたのがこの目薬だった。
だから目薬がすり替えられる可能性も想定して、あらかじめ目印を刻んでおいたのだ。
オルタンスはアンジェラが皇后ジョゼフィーヌの実子ではないと知っていた。オルタンス単独で調べたとは思えない。父のテュレンヌ公の諜報力だろう。
テュレンヌ家の父娘は、それほど密に連絡を取りあっているのだ。
皇女がオルタンスと仲良くなりたいと媚び、山ほど贈り物を献上してきたことも、すぐテュレンヌ公の知るところになるだろうと想定していた。
もしも本当にテュレンヌ公が犯人なら、贈り物のうちの一つに──目薬にきっと反応する。
何かしらの手段を用いて、この目薬をオルタンスに使わせないようにするはずだ。
その後、テュレンヌ公がオルタンス付きのメイドに接触する動きがあったことから、どうやらすり替えるのではなく、現物を盗み出すつもりらしいと推測できた。
そしてテュレンヌ公は静まり返った夜更けに、人目につかない場所でメイドと落ち合ったばかりか、目薬を受け取った後は彼女を殺めようとした。
一連の行動は、リオネルとアンジェラが推理した通り、テュレンヌ公がこの目薬の危険性を知っていることを物語っていた。
アンジェラは深く息をついた。
「でも、テュレンヌ公。残念ながらこの目薬は偽物ですの」
「は……?」
「オルタンス様を騙す形になって申し訳ないのですが、これはごく普通の目薬なのです。瞳孔を開く効果はありませんわ」
オルタンスにはこの目薬が瞳を魅力的に見せる効果があると話したし、前王妃ディアーヌの愛用品だとも伝えたのだが、実際は違う。
何の変哲もない、ごくありふれた目薬である。
「急な計画だったので、"本物"を用意する時間はなかったのです」
「……な……な……」
言葉を失って唖然とするテュレンヌ公爵。
リオネルは剣の柄をにぎった手に力を込めて、そんな公爵を冷然と見下ろした。
「テュレンヌ公。私は昔、ある人から教わったことがある」
子供の頃、リオネルはジュリエットから様々なことを教えてもらった。
たとえば馬鈴薯は芽を取り除けば食べられるとか、ベラドンナの実はブルーベリーに似ているが猛毒だから気をつけるようにといったことを。
「公はこの目薬に、ベラドンナの汁液が含まれていると思ったのだろう?」
ベラドンナは乾燥地域に広く分布する多年草の植物だ。
夏になると釣り鐘状の下垂した花をつけるが、この花が咲く時期の葉を採取して絞った汁には「散瞳」の効果がある。
散瞳──つまり瞳を大きくすることだ。
人間の目は白目の割合が大きいと、厳しく冷たい印象を与えてしまう。逆に黒目の割合が大きいとつぶらで愛らしく、魅惑的な印象を与えることができる。
しかしベラドンナは猛毒である。汁液に散瞳の効果があるのも、含まれた毒が中枢神経を麻痺させ、副交感神経を抑制するからだ。
副交感神経が抑えられれば、交感神経の働きが強まる。これにより目がぱっちりと開き、まるで愛くるしく輝いているかのように見えるのだ。
「テュレンヌ公は十五年前、ベラドンナの毒が入った目薬を王妃ディアーヌ様に献上したのですね」
点眼するだけで魅力的な瞳になって、王妃はさぞ喜んだことだろう。
王妃は本当に気に入った品は誰にも教えなかった。他の女たちに広まらないよう独占し、出どころを伏せさせたから、テュレンヌ公からの献上品だと知られることもなかったのだ。
アンジェラは静かに前へと進み出た。
「──王妃様を殺した犯人はあなたです。テュレンヌ公」




