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レオンハルトは無言で、もう一口、さらに一口と味噌汁を飲み進めた。
「泥水」と吐き捨てたスープを、まるで極上の霊薬でも飲むかのように慈しむように味わっている。
次に彼の箸が向かったのは、メインの『銀鮭の塩焼き』だ。
箸先で身をほぐすと、パリッとした皮の音と共に、ふっくらとしたサーモンピンクの身が現れる。そこからジュワッと脂が滲み出した。
そのまま一口、口に運ぶ。
「……う、美味い」
ポツリと、無意識のうちに言葉が漏れたようだった。
強火で焼かれた皮の香ばしさ、適度な塩気が引き出した鮭本来の甘み、そして口の中でとろける上質な脂。
すかさず、彼は炊きたての『銀シャリ』をかき込んだ。
「!!」
しょっぱい鮭の脂と塩気を、ふっくらと甘い白米が受け止める。この「塩気のあるおかず」×「白米」の相乗効果は、日本人(の魂を持つ私)のみならず、異世界の皇帝の脳内麻薬すらもドバドバと分泌させたようだ。
「な、なんだこれは……!? 魚と草の実を一緒に食べただけだというのに、口の中で味が爆発したぞ!?」
「それが『定食』の醍醐味です。おかずでご飯を進ませ、味噌汁で口を潤す。この無限ループからは、皇帝陛下といえども逃れられませんよ」
レオンハルトは私の言葉などすでに耳に入っていない様子で、猛然と鮭とご飯の往復運動を開始した。
そして、最後に残った黄色いブロック――『出汁巻き卵』へと箸を伸ばす。
一口噛んだ瞬間。
ジュワァァァッ……!
「なっ……!?」
レオンハルトは驚愕のあまり、危うく箸を落としそうになった。
限界までたっぷりと含ませた極上の出汁が、ふんわりとした卵の層から滝のように溢れ出し、口の中を満たしたのだ。
「卵焼きから……スープが溢れてきただと!? それにこの卵、空の雲を食べているかのように柔らかい……!」
「それが私の特製『出汁巻き卵』です。甘さと塩気のバランス、絶妙でしょう?」
「くっ……! 美味い……美味すぎる……! ムカつくな」
レオンハルトはもはや皇帝としての威厳などかなぐり捨て、無我夢中で和定食を平らげていく。
昨日よりも洗練された、しかし圧倒的な「旨味の暴力」。
宮廷料理の、見た目ばかりを重視してソースで味をごまかすような薄っぺらい料理とは違う。素材の味を極限まで引き出し、食べる者の本能を揺さぶる「食の力」がそこにはあった。
ものの十分で、彼はお櫃のお代わりご飯も含めて、全ての料理を綺麗に完食した。
「ふぅぅぅぅ……」
レオンハルトは背もたれに深く寄りかかり、天を仰いで深いため息をついた。
その表情は、国を救った英雄のような、あるいは長年の悲願を達成した聖人のような、穏やかで満ち足りたものだった。
クラウス様や周囲のメイドたちは、その光景を信じられないものを見るような目で見つめ、感動のあまり密かに涙ぐんでいる者までいた。
「お粗末様でした」
私が空になった器を下げるために進み出ると、レオンハルトはハッと我に帰り、またしても耳まで真っ赤にして咳払いをした。
「……こ、コホン! ま、まぁ、悪くはなかった。見た目は相変わらず奇妙だったが、味の方は……その、合格点を与えてやってもいい」
「それは光栄です」
私はニッコリと微笑み、エプロンのポケットから数枚の羊皮紙の束を取り出し、レオンハルトの目の前にバサッと置いた。
「では、味が合格点とのことなので、本題に入りましょう」
「ん? なんだこの紙束は?」
「『宮廷厨房管理に関する改善提案書および契約書』です。通称、稟議書ですね」
「りん……ぎ?」
きょとんとするレオンハルトをよそに、私は早口で説明を始めた。
「現在、宮廷の厨房は人手不足により機能不全に陥っています。私が引き続き陛下の専属料理人として働くにあたり、いくつか条件があります」
「じょ、条件だと!? 皇帝であるこの私に、一介の平民が条件を突きつけるというのか!」
「ええ、そうです。嫌なら私は今日限りで辞めます。元の無一文に戻るだけですから。昨日のカツ丼も、今日の和定食も、もう二度と食べられなくなりますが、よろしいですか?」
その言葉を聞いた瞬間、レオンハルトの顔色が変わった。
『もう二度と食べられない』。その事実が、彼の胃袋をどれほど脅かしたか。
「ぐっ……! き、貴様……私を脅す気か!」
「交渉と呼んでください。誰も富が欲しいなどとは言っていません。条件は簡単です」
私は羊皮紙の項目を指差した。
「一つ、厨房における全権限を私に委譲すること。仕入れからメニュー決定まで、全て私が決めます。もちろん監査はご自由に」
「二つ、私の料理の味や見た目に対する理不尽なクレームは一切禁止。文句があるなら残してください。そして、どうして欲しいのか具体的に仰って下さい。その都度、皇帝陛下のお口に合うメニュー、味付けに全力で改良致します」
「三つ、私に必要な助手を早急に手配すること。私が面接をして決めます」
「な、なんだこの不敬極まりない条件は! 皇帝である私に『意見を述べる』だと!? ふざけるな!」
バンッ!とテーブルを叩いて立ち上がるレオンハルト。
しかし、私は一歩も引かない。
「そうですか。では、交渉決裂ですね。短い間でしたがありがとうございました。クラウス様、お世話になりました」
「ま、待て待て待て待てルミナ!!」
私が踵を返そうとした瞬間、レオンハルトが半狂乱になった。
「く、くそ……!」
クラウス様の悲痛な叫びに、レオンハルトはぐっと言葉を詰まらせた。
彼の視線が、空になった和定食の器と、私の顔を忙しなく往復する。
プライドか、食欲か。
若き皇帝の脳内で、凄まじい葛藤が繰り広げられているのが手に取るようにわかった。
「……ああ……! 卑怯だぞ、貴様……!」
「私はプロジェクトマネージャー……いえ、料理人として、最高のパフォーマンスを発揮できる環境を要求しているだけです。それで、サイン、いただけますか?」
私は懐から羽ペンを取り出し、レオンハルトに差し出した。
レオンハルトは悔しげに唇を噛み締め、プルプルと震える手で羽ペンを受け取ると、羊皮紙のサイン欄に乱暴な筆致で自身の名前を書きなぐった。
「書いたぞ! これで満足か、この魔女め!」
「魔女だなんて人聞きが悪い。最高の専属シェフと呼んでくださいね、陛下。私はただ、美味しい料理を作りたいだけですので」
私はサインの入った羊皮紙を満足げに回収した。
よし、これで宮廷の厨房は完全に私のテリトリー(管轄)だ。予算も食材も使い放題。私の料理への探求心を満たすには、これ以上の環境はない。
「あ、そうですわ。陛下」
「……なんだ、まだ何かあるのか」
「明日は、宮廷の皆さんに私の実力をお披露目するために、少し大掛かりなことをしようと思います。お楽しみに」
「大掛かりなこと、だと……? おい、何を企んでいる!? 教えろ!」
レオンハルトの警戒する声を背に受けながら、私は足取り軽くダイニングルームを後にした。
気弱で借金まみれだった少女ルミナの人生は終わった。
ここからは、過労死アラサーOLの底力と前世の世界一のグルメ国家の知識をフル動員して、この帝国の食文化を根本から変革してやる。
まずは手始めに――このプライドばかり高い宮廷に、「賄い(まかない)」という名の革命を起こすことから始めようじゃない。
私の異世界厨房無双は、まだ始まったばかりだ。




