第9話 追放男は快適に目覚める
目が覚める。
意識の混濁はなく、やけに頭がすっきりとしていた。
身体も羽のように軽い。
窓から流れ込む空気はどこまでも澄み渡り、小鳥の囀りが心地よい旋律となって耳を揺らした。
それは単なる自然の音ではない。
精密に計算され、整えられた音楽のようにすら聞こえ——
「……なんだよ、これ」
茶髪の青年は独り言を漏らし、ゆっくりと身体を起こした。
昨日は、どうしようもなくむしゃくしゃしていたはずだ。
胸の奥に溜まっていた不快な感情が、今は綺麗に消え去っている。
あまりの拍子抜けに、ディルクは鼻先で小さく笑った。
「冷静に考えると、バレバレだ。あぁ、そうだよ。アイツに当たってどうする。俺は追放されて……」
呟いた言葉は、自分でも驚くほど軽かった。
そしてふと、仕切りの向こうに気配を感じる。
薄い壁一枚を隔てた先に、誰かが潜んでいる。
「盗み聞きしても何も出ねぇぞ」
わざとらしく声を投げると、ガサリと衣擦れの音がした。
青年は苛立ちを隠さず舌打ちを鳴らすと、乱暴に仕切りの向こうを覗いた。
そこにいたのは当然、鈍色の髪の少年だ。
ノアは焦ったように顔を強張らせ、何かを言い淀んでいる。
「その……ゴメン」
「気持ち悪」
謝罪を間髪入れずに吐き捨てる。
苦しげに顔を歪めた少年が、なおも言葉を紡ごうとした。
「追い出されるって辛――」
「……っ!」
顔を見た瞬間、青年の拳が反射的に動いた。
重い打撃音が室内に響く。
鳩尾を突かれた少年の身体が大きく揺れた。
拳がまだ、短く鋭く空気を震わせる。
激しい足音が廊下に響き、扉が勢いよく蹴開けられた。
「ちょっと!? 何やってんの!」
そこに少女が、部屋の中へと飛び込んでくる。
ユズハは転がった少年と、拳を握りしめる青年を交互に見比べ、瞬時にその場の空気を読み取った。
青年は面白くなさそうに視線を外す。
「……どうでもいい」
吐き捨てて部屋を出ると、そこは商人ギルドの廊下だった。
重厚な扉を開けた瞬間、独特の空気が鼻腔をくすぐる。
古い木材と紙、そして硬貨が擦れ合う金の匂いだ。
カウンターの向こうでは、男が待ち構えていた。
「で……何があったんだ?」
バルトの短い問いかけに、青年は首を鳴らして応えた。
「いいから、仕事の話だ。場所寄越せ」
「段取りってもんがある。条件は? 資金は?」
返される言葉は淡々としており、付け入る隙を与えない。
青年は再び舌打ちをしたが、それ以上は言い返さなかった。
商いの論理を理解している。
だからこそ、反論が意味をなさないことも理解する。
そこへ、凛とした足音が近づいてくる。
「おはようございます。まず、整理しましょうか」
セレナが柔らかな、しかし逃げ道を塞ぐような鋭い声で告げた。
金髪の受付嬢に見据えられ、青年は鼻を鳴らしてその場に踏み止まる。
再び扉が開き、軽い足取りの少女が現れた。
「おはよー……って、セレナさん、もう来てんの?」
後ろに鈍色の髪の少年が続いている。
一瞬だけ、一人だけ、張り詰めた沈黙。
青年は無言で視線を逸らし、少年は一歩遅れて室内へと足を踏み入れる。
男が軽く手を叩き、会議の開始を告げた。
「揃ったな。で、ディルクの件だ。つまるところシャルルに泣きついたと」
「違え! 連れてこられただけだ」
「保護、に近い形ですね」
青年の否定は即座に被せられた。
荒らげた声とは裏腹に、その双眸からは刺々しさが僅かに消えている。
「知らねぇよ。勝手に拾われただけだ」
金髪の女性の冷静な分析を、青年は吐き捨てるように拒絶した。
僅かな間の後、彼は前を見据えたまま、絞り出すように言い切った。
「……俺は悪くねぇ。たまたま見えただけだ」
ジャケットのポケットに手を入れて、視線を泳がせる。
「魔法石の削りカスだよ。どうやっても出るやつ。魔法石って魔力を増幅させるだろ。だったら、もっと簡単に、もっと直感的に使えそうって。俺、魔法が使えねぇから。俺みたいな弱い奴でも戦える……かもって。今みたいな状況だからこそ、……必要だろ」
ポケットの中。
拳を軽く握り込む青年の言葉に、周囲が静まり返る。
「……で、ちょっとだけ盗み見て、ダメなヤツだったっぽくて。──見つかった」
思ったよりも曖昧な独白。
少女が眉を寄せる。
「それ普通にヤバいの?」
「わっかんねぇよ。ま、……ヤバい場所の資料だったけど」
「それは普通にヤバいじゃん」
「わっかんねぇだろって!」
「極秘資料の閲覧。理由は分かりました。それで、追放ということですね」
受付嬢が深く頷き、青年は沈黙した。
男が小さく喉を鳴らして笑う。
「成程。つまり、売れるな、それ」
「え?いいの?!」
「居候代も貰ってねぇんだ。シャルルの奴が悪い」
「うっわ。でも、みんなで魔物倒せるって便利じゃん」
「……だろ?」
青年の口元が僅かに歪み、商売男の野心的な瞳が光が宿る。
そこで、今まで沈黙を守っていた少年が、迷いながらも口を開いた。
「……でも。あの人、悪い人じゃない」
「え?!あたし、殺されかけたんだけど? 普通に。あの森で」
少女が即座に言い放つと、少年は言葉を失った。
「……あれは」
「……シャルルはどうでもいい」
空気を切り裂くように青年が言い放つ。
だが、少年はもう一歩、現実へと踏み込んだ。
「だったら、教えてくれない?」
「しつこい。……ってか、てめぇはアベリオン人だろ。そもそもアベリオンの技術だって話だ。聞いてどうする? 祖国に密告でもするのか?」
青年の瞳が冷酷に細められる。
少年は固まった。そのまま、何も言い返せない。
少女が一歩前に出ようとするが、少年は声を詰まらせた。
「ダメじゃん。そーゆーの!」
「僕は」
「……ま、関係ねぇ。……どうでもいいし」
そして、青年は完全に視線を切った。
セレナが、事務的な響きを持って割って入る。
「それでは、工房の条件を整理しましょうか」
「先ず、ディルクには引き続き、武器を作って欲しいんだが」
現実的な提案に、青年は短く息を吐いて頷いた。
「分かったよ。んで得意武器は?」
その落ち着きかけた空気を、少女が腕を組んで崩しにかかる。
「ノア。あたしの得意武器って何?」
「いや、なんでソイツに聞くんだよ! 昨日のを見れば、えっと弓と短刀と――」
「昨日は昨日だって。えっと、先ずはフォークでしょ?」
ディルクの眉が寄る。
「それからレイピア。……あと、棒のやつ」
少年の控えめな補足に、少女が勢いよく指を鳴らした。
「クォータースタッフ」
「そうそう、それ!」
「それから――」
「ちょっと待て!」
青年が額に手を当て、歪んだ顔を向ける。
「いくつか作ったけど……はぁ? まさか――」
「あぁ、ヴァンデルの工房に依頼した武器は、全部ユズハ用だ」
男の咳払いとともに放たれた事実に、室内が凍りついた。
青年は言葉を失い、口を開けたまま固まる。
当の少女は、悪びれもせず肩をすくめて見せた。
「……やっぱユズハ姉はちが――」
「ねぇ、ノア。あたしが一番ノってたのって何?」
少女の問いかけを遮るように、青年が短く吐き捨てた。
「……で!やっぱ、てめぇは認めねえ」




