第4話 武器メイカー・ディルク
整えられた柵の内側。
青々と育っていたはずの作物が、全て落ちていた。
暴力的な力ではなく、ただの落下に見える。
そこには生き物の形をした足跡が一つもない。
「……なにこれ。酷い」
彼女は低く呟き、一歩、柵の内側へと踏み込んだ。
「その前にだろ!魔物だよな、あれ」
「えぇ。そこ!」
短く叫ぶ。
次の瞬間。
何もないはずの地面から、粘りつく黒い影がムクリと立ち上がった。
それは、大まかに人の形をしていた。
しかし肉体も、表情も、色彩もない。
ただ、不気味な輪郭だけがそこにある。
「これは食べ物の分!」
ユズハが疾風のごとき速さで踏み込み、得物を振るった。
鋭い斬撃が影を捉える。
影は揺らぎ、水面のように波打つが、霧散する気配はない。
ユズハは素早く距離を取り、剣を構え直した。
「……手応えがない。硬くはないけど、切っても死なないわよ、これ!」
「効きそうにないだろ。俺にやらせろ」
ディルクが、ユズハを押し退けるようにして前へ出た。
「へへ」
「何、それ」
彼は腰のホルダーから、短銃。
一見して異質な、複雑な機構を持つ銃を抜いた。
構えに迷いはない。
ディルクは狙いを定め、引き金を引いた。
――乾いた破裂音が、一つ。
ただの弾丸ならばそのまま貫通。
だが命中した瞬間、影の輪郭が激しく震えた。
ガラスが砕けるような音を立てて崩壊する。
影はそのまま急速に薄くなり、空気の中に溶けるようにして消滅した。
「魔拳銃だ。見たかよ」
まだ熱を持つ銃身を、軽く振って見せる。
「俺の作った銃は、世界一なんだ。あんな紛い物、相手にもならねぇよ」
「はいはい、自画自賛乙。盛りすぎでしょ」
彼女は剣を鞘に収めながら、軽く流した。
「っていうかさ、冒険者なら倒す前にまず調査。基本でしょ?」
「……は?」
「一匹倒して終わった気になってんじゃないわよ。まだ『何が起きてるか』の根本的な解決になってない. 次が出る予兆はないのか。それを見極めるのが仕事なの」
「倒せりゃそれでいいだろ。結果がすべてだ」
ディルクは短く切り捨てた。
そのまま、彼の視線が静かに佇むノアへと向けられる。
「……それとも、なんだ。お前は、今のを見て何か分かったってのかよ」
ユズハは口を挟まず、ただ静かに二人のやり取りを見守る。
ノアは、黒い影が立っていた場所……今は何も残っていない地面を、無機質な瞳で見つめていた。
「……似てる」
「は?」
「……『ブラックセクト』と、似ている」
一瞬、空気がピタリと止まった。
ディルクが、信じられないものを見るように顔を歪める。
「……はぁ? おい、こいつ正気か? ブラックセクトってのは虫だろ。外殻があって、内臓があって、羽音を立てて飛ぶ害虫だ。今の影とやらとは、見た目も性質もぜんっぜん違う」
彼はノアの意見を、一顧だにせず切り捨てた。
しかし、ノアは視線を逸らさない。
「違うけど、似てる」
それだけを言い残し、ノアは歩き出した。
畑の端から、震えていた農夫が駆け寄ってくる。
泥にまみれた手で何度も頭を下げ、涙ながらに感謝を口にした。
「助かりました……! これ以上荒らされたら、もう冬を越せませんでした……!」
「いいっていいって. 困った時はお互い様でしょ」
農夫は懐から小さな布袋を取り出し、震える手で差し出した。
ユズハがそれを受け取り、中身を確認する。
「……うん。報酬、確かに預かったわ。ありがとう」
その言葉を聞いて、農夫の顔がようやく安堵に緩んだ。
ディルクはその光景を、少しだけ目を細めて見つめていた。
「……あぁ。ヴァンデルも、こんなもんだ」
独り言のような、しかしどこか懐かしむような響き。
ユズハがそれを聞き逃さず、ニカッと笑った。
「でしょ? 仕事をした後の顔ってのは、どこも同じよ」
彼女は踵を返し、意気揚々と歩き出す。
「ほら、帰るよ。お腹空いちゃった」
畑を出て、柵を越える。
次第に、遠くから日常の喧騒が聞こえてくる。
「はー、朝からだる。一仕事終えた後の炭酸水が恋しい」
「楽勝だったな。あんな程度で大げさなんだよ、お前らは」
「はいはい. だから、楽勝だからこそ調査が大事だって言ってんの」
「まだ言うかよ。しつけーな」
「言うわよ。それがあたしのやり方だもん」
間髪入れずに言い返す。
ディルクは再び舌打ちをしたが、それでも列から離れることはなかった。
文句を言いながらも、彼はしっかりと一行の後をついてくる。
ノアは、相変わらず変わらないペースで歩き続けていた。
ディルクが、その無表情な横顔をちらりと盗み見る。
だが、視線が合いそうになると、慌てて逸らした。
「……なんなんだよ、一体」
「何? また文句?」
「別に。ただ、気に入らねぇだけだ。全部な」
「誰が? ノアのこと?」
ユズハが、ニヤニヤしながらわざとらしく問いかける。
ディルクは一瞬言葉に詰まり、再びノアを見たが、すぐにフンと鼻を鳴らして前を向いた。
「……全部だと言っただろ」
「はいはい. じゃ、しばらくは我慢することね」
「は?」
「ここ、ウチなんだから. 居候は文句を言わないこと。……分かった?」
「はぁ? 誰が居候だ!」
「嫌なら帰れば?」
ディルクが、今日一番の鋭い舌打ちを鳴らす。
それでも、彼の足は商人ギルドの建物へと向かっていた。
「おかえりなさい. 無事だったようですね」
「ただいまー。 ま、余裕だったわよ」
ユズハが軽く手を挙げて応える。
ディルクはギルド内を見渡し、落ち着かない様子で視線を泳がせていた。
そんな彼に向かって、セレナが事務的な口調で告げた。
「ディルクさん. あなたの部屋、用意してあります」
「……は?」
「正確には、宿舎ですね. 今日からあなたの部屋です。 ノアと同室になりますので、そのつもりで」
一瞬、その場の時間が完全に静止した。
「……は?」
ディルクが、今までにないほど低い、掠れた声で聞き返す。
ノアは特に驚く様子もなく、ただそこに、いつものように無表情で立ち尽くしている。
ディルクは後ずさるように、一歩引いた。
「いや、待て。おい、なんでだよ!」
「空いている部屋がそこしかありませんので」
セレナの答えは、非情なほどに簡潔だった。
ディルクが助けを求めるようにユズハを見るが、彼女は心底楽しそうに、口角を吊り上げている。
「よかったじゃん。 さっき調査がどうとか言ってたし、ノアから色々と教われば?」
「……ふざけんな! 誰があんな気味の悪い奴と!」
「仲良くしなよ、相棒でしょ」
「するかよ、死んでも!」
ディルクの絶叫が、ギルドの天井に虚しく響き渡る。
しかし、誰もそれに驚く者はいなかった。
ノアは、ただ静かにディルクを見つめている。
「……最悪だ.。人生で一番最悪の気分だぜ」
ディルクは吐き捨てるように言い、力なく肩を落とした。
その場に立ち尽くす彼の背中を、ギルドの奥へと抜ける風が静かに撫でていった。




