第5話 ノアとの仕切り
廊下を歩く足音が、やけに響いた。
ディルクは止まらない。
ノアの部屋の前を通り過ぎる。
そのまま、何事もなかったように通り過ぎる。
「……チッ」
小さく舌打ちする。
入る気はなかった。
あの部屋に。
あの男と同じ空間に。
背後では、ユズハが面白そうに見ている気配がする。
だが、振り返らない。
階段の方へ向かう。
商人ギルドの一階は、さっきまでより静かだった。
バルトが帳面を広げている。
視線だけを上げた。
「なんだ」
先に言われる。
ディルクは鼻を鳴らした。
「工房ねぇのか」
単刀直入だった。
するとバルトの眉がわずかに動く。
「工房?」
「鍛冶場でもなんでもいい」
手をひらひらと振る。
「ここで突っ立って遊んでる気はねぇ」
バルトが椅子にもたれた。
「居候が贅沢言うな」
「そういえば、てめぇら」
ディルクが言葉を被せる。
「先ずは有難うございますだろうが」
空気が一瞬止まる。
近くで聞いていたユズハが吹き出す。
「なにそれ」
肩をすくめる。
「居候が何か言ってる」
「そうじゃねえ!」
即座に返す。
ボサボサ髪で一歩前に出る。
「知ってんぞ。——つーか、俺は当事者だ」
顎を上げる。
にやけ顔。
「てめぇらの武器作ってたのは、俺様だ」
ユズハが目を瞬いた。
「……は?」
「外注だよ」
ディルクは鼻で笑う。
「ヴァンデルから流れてただろ。名は出ねぇが、その名の出ねぇやつが俺だ」
胸元を親指で示す。
「全部とは言わねぇけどな」
そう、彼は。
職人ギルド。
「だいたい俺の仕事だと思っていい」
ユズハが腕を組む。
「え、ちょっと待って」
「それ普通にすごくない?」
「普通だ」
間を置かずに返す。
「向こうじゃな」
ディルクは肩をすくめる。
「武器なんざ片手間だ。主は別の仕事だし」
バルトの指先が止まる。
「別の仕事?」
「船だよ」
ディルクはあっさり言う。
「作って積んで運ぶ」
彼のギルドはここから北東。
産業の街だ。
「来たもん捌いて、次に流す。その方が金になる」
視線を外へ投げる。
「ヴァンデルはそういう土地だ。だから空いた手で打つんだよ」
ユズハが驚いたのは
そっちではなく
「もしかしてシャルルって」
「アイツは関係ねぇ。注文来りゃ武器作る。来なきゃ別のやつがやる」
ユズハが声を漏らすが、ディルクはディルクのアピールをする。
「じゃあほんとに職人なんだ」
「最初からそう言ってんだろ」
ディルクは苛立って、外を向いた。
「てめぇらが勝手にガキ扱いしてるだけだ」
バルトが小さく息を吐く。
「……分かった」
短く言う。
「工房は探しておく」
ディルクの目が細くなる。
「今すぐは無理だ」
先に釘を刺す。
「ここは商人ギルドだ」
「あるだろ、普通」
「ヴァンデルほど何でも揃ってるわけじゃない」
「あー、遅れてんのか」
「そういうなよ。だから外に当たる」
近代になり、色々変わった。
分業とかいう新たな仕組みも
「時間はかかる」
ディルクは少しだけ黙った。
即座に噛みつき返すかと思ったが、そうはしなかった。
「……田舎」
ぼそりと吐く。
「何を基準にするかだ。嫌なら帰れ」
バルトは素っ気なく返す。
「帰る場所がねぇから居るんだろ」
ディルクの口元が引きつる。
言い返しかけて、やめる。
すると、ユズハが横から口を挟む。
「ま、よかったじゃん。ちゃんと仕事の話してもらえて」
「はいはい、お姉さん優しー」
ディルクが雑に返す。
「誰がお姉さんよ」
「小うるせぇのは大体そっちだろ」
ユズハが半眼になる。
「は? それ今、助けてもらってる側が言う?」
ディルクがまた舌打ちする。
そこへノアが降りてくる。
足音が静かだ。
いつの間にかそこにいる。
ディルクは露骨に顔をしかめた。
「なんだよ」
ノアは少し首を傾げる。
「ごはん、食べないのかなって」
ディルクが目を細める。
「……普通に話しかけてくんな」
「なんでよー」
ユズハが呆れたように言う。
「同じ屋根の下なんだから、普通に話すでしょ」
「そこが気に入らねぇんだよ」
ノアは特に気にした様子もない。
「そっか」
それだけだった。
その反応が、余計に腹立たしい。
「てめぇな」
「ほら、食べるなら食堂行くよ」
するとまたお姉さん。
ユズハが勝手に話を切る。
「立ち話しててもしょうがないし」
バルトもそれ以上は何も言わなかった。
ディルクも舌打ちしながら、結局ついていった。
「しけてんな。パンとハムとチーズとビール」
食事は簡素だった。
「あんた、未成年でしょう」
焼いたパン。薄いスープ。
干し肉と、刻んだ野菜。
商人ギルドらしく、質素だが無駄がない。
「つまり成長期だ」
「へぇ。それが限界じゃないんだ」
ユズハは慣れた手つきで食べる。
「あ?どういう意味だよ」
ノアは静かに食べる。
ディルクだけが、少し居心地悪そうだった。
「なんだよ」
視線に気づいて言う。
ユズハがスプーンを持ったまま笑う。
「いや、ちゃんと食べるんだなって」
「当たり前だろ」
「もっと斜に構えてんのかと思った」
「腹減ってんのに構えてどうすんだよ」
ディルクはパンをちぎる。
「そこは普通なんだ」
「うるせぇな」
ノアはスープを口に運ぶ。
その感じがまた、ディルクにとっては気に入らない。
「……なんで、お前。普通に馴染んでんだよ」
ディルクがぼそりと漏らす。
「ノア?」
ユズハが聞き返す。
「そうだよ」
ディルクは睨むように言う。
「なんでコイツ、最初からここに居るみてぇな顔してんだ」
ノアはスプーンを置く。
「ここに居るからじゃない?」
真顔だった。
ユズハが吹き出す。
「やば。でも、そうだよ。ノアの帰る場所はここ!」
ディルクが額を押さえた。
「……はぁ?」
意味が分からない。
だが、本人は本気で言っている。
そのズレが、妙に腹立たしい。
「ここは居候管理ギルドか?」
食事を終えるころには、空気も少しだけ緩んでいた。
とはいえ、ディルクの機嫌が直ったわけではなかった。
むしろ、さっさと部屋に戻って線を引きたかった。
食器を下げて、階段を上がる。
今度は部屋の前で止まらない。
勢いよく扉を開ける。
中は簡素だった。
ベッドが二つ。
小さな棚と窓。
それだけだ。
「狭ぇ」
第一声がそれだった。
ノアが後ろから入ってくる。
「そうかな」
「そうだよ」
即答する。
ディルクは部屋の中を見回す。
そのまま、迷わず棚に手をかけた。
ずらす。
音が鳴る。
ベッドの位置も変える。
建具も引っ張る。
「なにしてるの?」
ノアが聞く。
「見りゃ分かるだろ」
ディルクは吐き捨てる。
「仕切りだよ」
棚を斜めに立てる。
建具を動かして角度を作る。
即席の壁だった。
職人らしく、手際だけは妙にいい。
わずかな空間を無理やり二つに割る。
「線引きだ」
ディルクは満足げに顎を上げる。
「こっから向こう、お前の」
「こっからこっちは俺のだ」
ノアは仕切りを眺める。
「ふうん」
「ふうん、じゃねぇ」
ディルクが睨む。
「勝手に越えてくんなよ」
「分かった」
あまりにもあっさり返される。
それも気に入らない。
「……ほんとかよ」
「たぶん」
「そこは分かっとけよ!」
思わず声が大きくなる。
ノアは少しだけ目を瞬いたが、特に堪えた様子もない。
自分のベッドに腰掛ける。
ただ、気になることも言った。
「うん。寝やすい」
「当然だろ。仕切りは必要だ」
「うん。流石はディルク」
ディルクが呆れる。
「はぁ?突然誉めんなよ」
「寝る。今日は色々あったし」
ノアが言う。
「眠くない?」
「眠くねぇよ」
即答する。
「はぁ、アイツと相部屋とか」
仕切りの向こうへ視線をやる。
「眠れるかよ」
ノアはもう横になっている。
「そっか。武器、道理で上手く作れてる」
それだけ言う。
「あ?それ……。って、寝息。鬱陶しい」
部屋が静かになる。
窓の外から夜の気配が滲む。
建具の向こうに気配がある。
それだけで、妙に落ち着かない。
ディルクは不機嫌に、ベッドに腰を下ろす。
靴を脱ぐ。
ジャケットを雑に椅子へ投げる。
「……ま、でも今日は確かに色々あったし」
ぼそりと呟く。
「流石に眠――」
そこで、意識が切れた。
言葉が最後まで形にならない。
身体が、すとんと落ちる。
呼吸が静かに整う。
部屋の中だけ、やけに穏やかだった。




