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第1話 お墓参り

 マルシェリアから、かなり西。

 ブレアヴァンという地方。


 海から吹き上げる湿った風が、低い丘をなめるように渡っていく。

 草は短く、どこまでも風に伏せるように揺れる。

 その向こうには灰色の石垣が細く長く続いていた。

 森は深くないが、木々は海風に削られたように枝ぶりを偏らせる。

 痩せた地面にしがみつくように根を張っている。


 遠くに見える空は広い。

 雲の流れが速く、晴れているのに、どこか翳りを残した光だった。

 ここが古い土地だと、すぐに分かる。

 人が踏み固めた道、低い石積み、名もない祈りが何度も置かれてきたような静けさ。


 そのブレアヴァンで、ブラックセクトの群れが出現したという依頼だった。

 黒い虫の群れがダクネスを呼び、ダクネスが濃くなったところにブラックセクトが現れる。


「見つけた。もうしつこいってば!」


 翡翠色の瞳を険しく細め、少女が顔をしかめる。

 えんじ色の髪を揺らし、巣穴に向かって火を叩き込んだ。

 黒がひとところに寄った一瞬を待っていた、見事な一撃。

 火は迷いなく走り、巣穴ごと焼き払う。

 滞留していたダクネスが、そこでふっと途切れた。


「これだけ倒してランクEって、割に合わないし」

「単体だと弱いから」

「えー。数も考慮しろし」


 今回の武器は珍妙なラケット。

 振るたび、炎が発生する対虫武器。

 ユズハは首を傾げて、少年を誘導した。

 鈍色の髪を揺らし、少年が静かに応じる。


「ノア。休憩しよっか!」



 さっきまでは轟音の羽音。

 あれだけいたのに、嘘みたいに静かになる。

 砕けた外殻だけが地面に残っていた。

 黒く乾いたそれは陽に照らされても鈍く、命を失った途端にただの殻へ戻っている。


 少女が肩を揺らす。


「このまま行く?」

「うん」


 二人は歩き出す。

 森の奥へ。

 音が戻り、風が通る。

 虫の羽音も、今はただの森のそれだった。


 やがて森がゆるやかに開けていく。

 木々の密度が薄くなり、光が地面に落ちる面積が増えていく。

 その先に、小さな丘があった。

 低くなだらかで、長い風に磨かれたような形をしている。


 古い石が並んでいる。

 どれも大きくはないが、どっしりと地面に根を下ろしたように、動かしがたい重さを持っていた。


「……ここ?」

「うん」


 少年が歩き、一つの石の前で止まった。

 手を伸ばし、表面の土を払う。

 何も言わない。ただ、そこに立つ。


 少女は少し離れて立ち、静かに手を合わせた。


「……ただいま」


 海の方から来たのだろう、乾いた懐かしさを含んだ風が吹く。

 少年が、静かに口を開いた。


「……おじいちゃんに。よく褒められてた」

「なにを?」

「僕が用意した布団だと――よく眠れるって」


 切なげな横顔。

 言葉が、ゆっくりと落ちる。


「あーね」


 少しだけ間が空く。


「……眠るように、死んでた」


 風が止まる。

 少女の動きも、凍りついたように止まった。


「もしかしたら。僕のせいかもしれない」


 沈黙。

 風が戻り、草が揺れる。


「……は?」


 少女が低く言い、一歩、距離を詰める。

 逃がさないように少年の肩をぶつけた。


「なに言ってんの。それさ、めっちゃいい死に方じゃん」


 瞳も逃がさない。


「苦しんで死ぬより、全然いい。眠って、そのままなんて最高じゃん。しかもさ。ちっちゃいノアが、頑張って作ったんでしょ?」

「う……ん」

「じゃあ、それでいいじゃん。おじいちゃん、幸せだったってことでしょ」


 少年は一度目を閉じ、ゆっくりと開いた。


「……うん。でも、僕は」



 二人は並んで立っていた。

 開けた場所、視界は遠くまで抜けている。

 草地の向こうに低い石垣、その先に灰色の空と海の気配。


「……ね。ヨーゼフお爺ちゃんの畑ってさ。今は別の親戚なんでしょ?」

「うん」

「挨拶、する?」


 一瞬だけ少年は考えて、首を振った。


「……いないよ。お爺ちゃん、ここで生まれてない」


 少女の眉が、少しだけ跳ねた。


「もっと、北。海の向こう。アベリオン」

「アベリオン……アベリオンってこと?」

「うん」


 少女が小さく笑う。


「北方民族だっけ」


 少年は少しだけ視線を落とした。


「ちょっとだけ、気がかりなことがある。白鷺の人たちを送る時。中央平原、見た」

「そういえば、あんまり見たことない紋章ばっかりだったかも」

「多分。アベリオンの家系」


 風が吹き、草がざわめく。

 翡翠色の瞳が険しく細められた。


「……へぇ。それ、ちょっとじゃなくない?」

「そうかも」

「いや、そうでしょ! 百年続いた戦争は、アベリオンとうちの国との戦争だよ」

「そうかも……」

「もっと早く言ってって。あの時は白鷺が鬱陶しくて」


 少女が空を見上げる。

 雲の流れが速い。


「ノクス・マテールの戦い。僕もピンとこないけど。宗教で戦ってたから。厄介だったって。お爺ちゃんが教えてくれた」


 しばらく風だけが通り、遠い土地の冷たさを運んでくる。

 少女がぽつりと、指先で風を受けながら呟いた。


「……あ。ある意味、今も一緒だよね。任務ってさ、教義っぽいし」


 身体の芯にじわりと入る冷たさ。

 少年が、わずかに身を震わせた。


「寒い……」

「当然だよ。だってノア」


 少女が、少年の背中を指さす。

 えんじ色のリボンがついた、いつもの藁束がない。


「あれ、背負ってないし」

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