第1話 お墓参り
マルシェリアから、かなり西。
ブレアヴァンという地方。
海から吹き上げる湿った風が、低い丘をなめるように渡っていく。
草は短く、どこまでも風に伏せるように揺れる。
その向こうには灰色の石垣が細く長く続いていた。
森は深くないが、木々は海風に削られたように枝ぶりを偏らせる。
痩せた地面にしがみつくように根を張っている。
遠くに見える空は広い。
雲の流れが速く、晴れているのに、どこか翳りを残した光だった。
ここが古い土地だと、すぐに分かる。
人が踏み固めた道、低い石積み、名もない祈りが何度も置かれてきたような静けさ。
そのブレアヴァンで、ブラックセクトの群れが出現したという依頼だった。
黒い虫の群れがダクネスを呼び、ダクネスが濃くなったところにブラックセクトが現れる。
「見つけた。もうしつこいってば!」
翡翠色の瞳を険しく細め、少女が顔をしかめる。
えんじ色の髪を揺らし、巣穴に向かって火を叩き込んだ。
黒がひとところに寄った一瞬を待っていた、見事な一撃。
火は迷いなく走り、巣穴ごと焼き払う。
滞留していたダクネスが、そこでふっと途切れた。
「これだけ倒してランクEって、割に合わないし」
「単体だと弱いから」
「えー。数も考慮しろし」
今回の武器は珍妙なラケット。
振るたび、炎が発生する対虫武器。
ユズハは首を傾げて、少年を誘導した。
鈍色の髪を揺らし、少年が静かに応じる。
「ノア。休憩しよっか!」
◇
さっきまでは轟音の羽音。
あれだけいたのに、嘘みたいに静かになる。
砕けた外殻だけが地面に残っていた。
黒く乾いたそれは陽に照らされても鈍く、命を失った途端にただの殻へ戻っている。
少女が肩を揺らす。
「このまま行く?」
「うん」
二人は歩き出す。
森の奥へ。
音が戻り、風が通る。
虫の羽音も、今はただの森のそれだった。
やがて森がゆるやかに開けていく。
木々の密度が薄くなり、光が地面に落ちる面積が増えていく。
その先に、小さな丘があった。
低くなだらかで、長い風に磨かれたような形をしている。
古い石が並んでいる。
どれも大きくはないが、どっしりと地面に根を下ろしたように、動かしがたい重さを持っていた。
「……ここ?」
「うん」
少年が歩き、一つの石の前で止まった。
手を伸ばし、表面の土を払う。
何も言わない。ただ、そこに立つ。
少女は少し離れて立ち、静かに手を合わせた。
「……ただいま」
海の方から来たのだろう、乾いた懐かしさを含んだ風が吹く。
少年が、静かに口を開いた。
「……おじいちゃんに。よく褒められてた」
「なにを?」
「僕が用意した布団だと――よく眠れるって」
切なげな横顔。
言葉が、ゆっくりと落ちる。
「あーね」
少しだけ間が空く。
「……眠るように、死んでた」
風が止まる。
少女の動きも、凍りついたように止まった。
「もしかしたら。僕のせいかもしれない」
沈黙。
風が戻り、草が揺れる。
「……は?」
少女が低く言い、一歩、距離を詰める。
逃がさないように少年の肩をぶつけた。
「なに言ってんの。それさ、めっちゃいい死に方じゃん」
瞳も逃がさない。
「苦しんで死ぬより、全然いい。眠って、そのままなんて最高じゃん。しかもさ。ちっちゃいノアが、頑張って作ったんでしょ?」
「う……ん」
「じゃあ、それでいいじゃん。おじいちゃん、幸せだったってことでしょ」
少年は一度目を閉じ、ゆっくりと開いた。
「……うん。でも、僕は」
◇
二人は並んで立っていた。
開けた場所、視界は遠くまで抜けている。
草地の向こうに低い石垣、その先に灰色の空と海の気配。
「……ね。ヨーゼフお爺ちゃんの畑ってさ。今は別の親戚なんでしょ?」
「うん」
「挨拶、する?」
一瞬だけ少年は考えて、首を振った。
「……いないよ。お爺ちゃん、ここで生まれてない」
少女の眉が、少しだけ跳ねた。
「もっと、北。海の向こう。アベリオン」
「アベリオン……アベリオンってこと?」
「うん」
少女が小さく笑う。
「北方民族だっけ」
少年は少しだけ視線を落とした。
「ちょっとだけ、気がかりなことがある。白鷺の人たちを送る時。中央平原、見た」
「そういえば、あんまり見たことない紋章ばっかりだったかも」
「多分。アベリオンの家系」
風が吹き、草がざわめく。
翡翠色の瞳が険しく細められた。
「……へぇ。それ、ちょっとじゃなくない?」
「そうかも」
「いや、そうでしょ! 百年続いた戦争は、アベリオンとうちの国との戦争だよ」
「そうかも……」
「もっと早く言ってって。あの時は白鷺が鬱陶しくて」
少女が空を見上げる。
雲の流れが速い。
「ノクス・マテールの戦い。僕もピンとこないけど。宗教で戦ってたから。厄介だったって。お爺ちゃんが教えてくれた」
しばらく風だけが通り、遠い土地の冷たさを運んでくる。
少女がぽつりと、指先で風を受けながら呟いた。
「……あ。ある意味、今も一緒だよね。任務ってさ、教義っぽいし」
身体の芯にじわりと入る冷たさ。
少年が、わずかに身を震わせた。
「寒い……」
「当然だよ。だってノア」
少女が、少年の背中を指さす。
えんじ色のリボンがついた、いつもの藁束がない。
「あれ、背負ってないし」




