第13話 ノアが作る寝床
鍋の湯気が、ゆるやかに揺れている。
木々に囲まれた林の中。
風は穏やかで、葉の擦れる音が遠くに広がっていく。
先ほどまでの緊張は、嘘のようにほどけていた。
だが。
完全には消えていない。
静けさの奥に何かが残っている。
張り詰めていたものは砕けたが、形を変えて居座っている。
ユズハはスプーンを動かしながら、ぽつりと言う。
「で、あれ何?」
顔は上げない。
興味はある。
だが、踏み込みすぎない距離感。
「貴族の反乱。諸侯連合の軍だ」
淡々と。
ノアの手が、わずかに止まる。
スプーンの縁から、スープが一滴、ポトリと落ちた。
ユズハは変わらない。
「なんで?」
直球。
バルトは、火に薪を一本くべる。
ぱち、と乾いた音が弾けた。
「冒険者ギルドの白鷺の紋章が、やりすぎたらしい」
ノアとユズハが抜け出た後。
「中央平原で通行税を取っていた」
「え」
「無断でな」
ユズハの手が止まる。
スプーンが、鍋の中で静かに沈む。
「は?マジ?」
「冒険者の立場を使ってだ」
バルトは視線を火に落としたまま続ける。
商人たちも噂で持ち切りだった。
「検問を張って、通す代わりに金を取る」
幸い、近年は北部のみで経済が回っていた。
「拒めば、通さない」
とは言え、近代を迎えたルガイア王国だ。
火が、もう一度弾ける。
「ありゃ、封建時代と同じだな」
ユズハが顔を上げる。
その視線を受け止めるように、バルトが言葉を置く。
「貴族らの主張はこうだ」
火の粉が、小さく舞い上がる。
「かつて王が我らから取り上げた地で」
意味が分からないとえんじの髪が揺れる。
「我ら以上の狼藉を王が許可したギルドがやっていた、とな」
ユズハが、息を吐く。
スプーンの先から、もう一滴。
ポトリ、と落ちる。
「……マジ、やば」
納得と呆れが混ざった声。
バルトは頷く。
「だから軍を出したらしい」
ノアは興味なさそうにスープを飲む。
「過去の領地を取り戻すために」
ユズハは椅子にもたれた。
木の背もたれが、かすかに軋む。
「めんどくさ……」
本音。
父は否定をしない。
そして続ける。
「ま、ウチはそんなに被害がない。で、問題はそこじゃない」
ゆっくりと息を吐く。
過去の領地なんて、頭から抜けていた。
「重なった」
そもそも、滑るように軍隊が割って入った。
誰も止めようともしなかった。
「国王陛下の誕生会と」
ユズハが顔を上げる。
「それ、わざと?」
「狙っていたんだろうな」
即答。
器を静かに置く。
木の机に、控えめな音が響く。
「王族系の諸侯が王城に集まる」
「軍も、権力も、すべてだ」
「その場で動かず」
火の揺れが、顔に影を落とす。
「余りの事態に、中央は動けない」
「下手に軍を動かせば、内乱になるかも、だと」
静かな声。
だが、揺れない。
「だから、止められない」
ノアの視線が上がる。
湯気の向こうで、揺れる。
バルトは、そのまま続ける。
「結果」
薪が崩れ、火の形が変わる。
「国は一夜で、中央から分断された」
言葉が、沈む。
ユズハが椅子から飛び起きる。
「最悪じゃん」
「ま。そうだな」
バルトは感情を乗せない。
ただ事実だけを述べる。
しばらく、沈黙。
「あー」
火が、規則的に鳴る。
ユズハが、ふと思い出したように口を開く。
「そういえばさ」
スプーンを軽く揺らす。
表面がわずかに波打つ。
「アルファが言ってたんだけど」
問答無用。
ではないが、襲われた。
「ノアのこと、“レベルアップブースト”って」
立ち上がり、拳が振るう。
バルトは肩をすくめた。
寧ろ、そっちが本番。
そんなことに娘が巻き込まれていた。
「やれやれ」
だが
「ユズハ、お前は気付いていなかったのか」
ユズハ、顔をしかめる。
「ちょ、何よ!聞いてないし」
バルトは指先でカップの縁をなぞる。
「これはなぁ。ただの一般論だ」
片眉が上がる。
「人間は寝ている時に回復する」
頬が膨れる。
「負荷がかかった分だけ、上乗せして回復する」
火の揺れと同じく、ポニーテールが小さく揺れる。
「超回復、なんて言われているな」
その原理は単純。
「それって筋トレじゃん」
「神経系も同じだ」
バルトはノアを見る。
「寝ている間に情報を整理する」
ユズハは少し首を傾げ、同じくノアを覗く。
「ん?」
「ノア。そこんとこ、どうなんだ?」
視線が集まる。
ノアは少しだけ迷ってから答える。
「……合ってる、と思います」
正直に。
「え、そうなんだ」
ならば、と。
バルトは眉を顰めた。
「俺が話したのは一般論だ。心当たりがあるなら、お前の口からちゃんと言え」
ノアは背筋を伸ばした。
湯気が、その動きに揺れる。
俯く。
「でも……ベッドメイキングは、普通のことです」
真面目に言う。
「快適な目覚めのために」
「空気の通り」
「水の通り」
丁寧に。
丹念に藁を重ねる。
確かに、そうだった。
いや、
「マナの通りを意識して――」
「全然普通じゃない!」
ユズハは飛びあがり
バルトも立ち上がった。
「マナってな、魔力だよな?」
ノアのスプーンが、鍋の縁に当たって軽く鳴る。
「え……そうだと思います?」
「ノア、お前はそこまで見えていたのか?」
目を瞬かせる。
「……え?」
本気で分かっていない顔。
ユズハが額に手を当てる。
「やば……これ無自覚だ」
バルトが息を吐く。
白い息が、夜気に溶ける。
「だからか」
ポンと音。
「途中で捨てられるということか」
「捨てるとかノアの前で言わないでよ!」
それはそう。
でも、もう一つ。
明かされた話。
「いや、まさかあのアルファにも所属していたとは」
ユズハが即座に顔を上げる。
「襲われたんだからっ!」
声が、わずかに強くなる。
「……って、なんで“だから”?」
ユズハの瞳が揺れる。
「あ。あたしは捨てないよ?なんで捨てるの」
「ノアの力で。青葉と暁紅蓮隊は、ランクBまではいけた」
バルトは淡々と。
ユズハが黙る。
スプーンを握る手に、少し力が入る。
「でも!その後、捨てたんでしょ」
「えと」
「もう!あたしは捨てないから!」
真っ直ぐに言う。
バルトは軽く手を上げた。
「その話は二人でしてくれ」
気まずそうに手を下ろした。
「俺が言いたいのは、こういうことだ」
原理。
考えられること。
冒険者から聞いたことがある程度。
曖昧にだった。
「レベルってのは、限界に近づくと伸びにくい。伸びにくくなった時に」
ノアの視線がまた落ちる。
ユズハの肩がぶつかる。
「メリットとデメリットが入れ替わる。守らないといけない義務を、重く感じる」
薪が崩れ、火の形が変わった。
ノアは押し黙った。
ユズハは
「うわ……。最悪じゃん」




