第10話 白鷺の砦潜入作戦⑥
吟遊詩人が、舞台の幕が上がるのを待っていたかのように、ゆっくりと一歩前へ出た。
その足運びには一切の迷いがなく、呼吸さえも制御し尽くされた無駄のないものだ。
羽飾りのついたハットの下で、紫色の長い髪が夜風を捉えてふわりと流れる。
戦場の只中であるにも関わらず、エリオットが纏う気配だけはどこか現実から半歩だけ外れた、芝居がかった異質さに整っていた。
軽く腰を折り、恭しく一礼する所作は洗練の極致にある。
丁寧に整えられているはずの髪は、あえて崩したような計算された自然さを保ち、肩から滑り落ちる一房までもが空気を掬い上げるように靡く。
風はない。それでも揺れる。
まるで、これから鳴らされる旋律に、世界が先回りして応じているかのようだった。
ゆっくりと顔を上げたその唇に、柔らかな笑みが浮かぶ。
「先に始めないでよ」
軽い声音。場の張り詰めた緊張を、絹糸で撫でるように入り込む。
淡い金の髪をしたリーダーは、視線だけをその同胞に向けた。
「過去の因縁だ。お前には関係ない」
レオンは短く言い切り、再び焦点を鈍色の髪の少年へと戻す。
紫髪の男は肩をすくめ、舞台役者のように小さく笑った。
「いやいや。僕がいてアルファは完成でしょ?」
自然な動作でリュートを構える。
細い指先が弦に触れた瞬間、夜の静寂を塗り替える音が生まれた。
たった一音。
それだけで、場の質が劇的に変わる。
張り詰めていた緊張は柔らかくほどけるが、それは決して“緩み”ではない。
逃げ場のない魔力の網が、静かに、そして全方位へと広がっていく。
空間を侵食するように音が満ちていく。
柔らかく、だが確実に。心拍に絡みつき、意識を支配する。
「眠りっていいよね。身も心も安らぐ」
もう一音。
重厚な体躯を持つ前衛の肩から、余計な力が抜ける。
黒髪の魔導師の魔力は澄み渡り、無駄な揺らぎが削ぎ落とされる。
聖女の如き微笑を湛えた支援役の視線は落ち着く。
パーティ全体の呼吸が完璧に揃っていく。
「夢なんて、素晴らしいモノも見れる」
音が、さらに深く、重力を持つように沈む。
翡翠の瞳を持つ少女の足取りが、目に見えて鈍った。
瞼が重くなり、鋭かった思考の回転がわずかに遅れる。
「でも、生物的にもっとも無防備。それに……眠りだけが、癒し?」
一拍の間。音が身体の自由を奪うように絡みつく。
エリオットが微笑むと、弦が激しく震えた。
「そうじゃないよね」
音が変わる。
今度は、欠けたパーツを埋めるように満たしていく。
金の髪のリーダーの動きは研ぎ澄まされ、ガレスの踏み込みは岩をも砕く鋭さへと変質した。
リリアの詠唱は極限まで短縮され、エマの支援が全ての動きの隙間を埋める。
全てが噛み合う。これが彼らの掲げる完成された戦闘、最適解の暴力だ。
その完璧な調律の中で、屈強な戦士が口を開く。
「勘違いしてんじゃねぇぞ。俺たちは“強いから勝ってる”んじゃねぇ。勝つためにやってるだけだ。無駄は入れねぇ」
「パーティは役割で構成される。戦闘に寄与しない要素は排除。それだけの話よ」
黒髪の女性に続き、慈愛に満ちた表情のままエマが柔らかく笑う。
「ね? ノアくんのためでもあったの。危険な場所から外すのが、一番いいから」
「実際、生きてるだろ。結果は出ている。それが正解」
不完全な二人に対し、アルファという一つの巨大な個が立ちはだかる。
レオンが一歩、死神のような足取りで前に出た。
「サポーターに留まればいいものを。でしゃばるな」
一拍。踏み込む。
獣のような咆哮と共に前衛が動き、魔力が走り、支援が重なる。
蹂躙が始まる。
ユズハは音が絡みつく泥濘に足を取られ、思うように動けない。
それでも、肺の底から声を絞り上げる。
「ノアには夢があるんだよ!」
英雄の刃が、その叫びを切り捨てる。
「極楽鳥の羽毛布団か。……くだらない」
最短距離で剣が振られる。
絶体絶命。その瞬間。
光が走った。
不快な音と共に、支配を司っていたリュートの弦が断ち切られる。
支配が揺らぐ。支配者の表情が、初めてわずかに歪んだ。
ほんの僅か。だが、それで十分だった。
少女の足が動きを取り戻す。背後にいたノアを抱え、一気に後方へと距離を取った。
肺に酸素が戻る。その直後。
闇の奥から、三つの異質な影が現れた。
最初に見えたのは、柔らかく流れる金の髪。
細められた糸のような目をした優男、シャルルが気だるげな笑みを浮かべてそこにいた。
隣には、波打つように広がる豪奢な髪を揺らし、厚めの化粧で美しさを作り込んだヴァネッサ。
そして最後。黒髪をオールバックに撫でつけた巨体の男、バルカスが無言のまま一歩前に出る。
その顔は険しく、立っているだけで周囲を威圧した。
アイアンループ。
足音が揃う。登場するだけで場の空気が塗り替えられる。
「っ! お前らは――アイアンループの」
リーダーの声が低く響き、アルファの四人の視線が新たな侵入者へと向けられた。
「あぁ、そうそう。ノア、それから……誰だっけ?」
「ユズハでしょう?」
「そう、ユズハ。ここはボクたちが引き受ける」
「……勘違いすんな。助ける、とかじゃねぇ。そっちは……お前らの領分だ」
強面の男がわずかに視線を逸らし、再び前方へと戻す。
オールバックの髪を揺らし、重厚な声を響かせた。
「……ボクらがやると、面倒になる。ルール違反になる、ってこと」
「この先に居るのは――シルバーチェイン。アタシらは、そっちには手が出せないからねぇ」
金の髪の男が不敵に笑う。
ヴァネッサが指で示す。
バルカスが、静かに少年を見つめた。
「……だから。死ぬなよ。……ま、あいつは死なねぇか」
その直後。
レオンが地を蹴った。
剣が唸り、リリアの魔力が四散する。
「アイアンループのごろつきが。邪魔をするな」
「邪魔なんてしないって。ちょっと手を出すだけ」
衝突。火花。
ヴァネッサが魔法を弾き飛ばし、バルカスが放たれた刃を鉄壁の守りで止める。
押し返さない。だが確実に、英雄たちの足を止める。
時間を稼ぐための拮抗。
金の髪の男が、肩越しに振り返る。
「ボクたちじゃもって数分。ノア、ユズハ」
二人の頭上を通り過ぎようとした魔法を、即座に叩き落とす。
そして、静かに、だが力強く言った。
「走れ」




