第9話 白鷺の砦潜入作戦⑤
静まり返った陣幕の中に、整いすぎた不気味な気配だけが澱んでいる。
人の形をしていながら、その温度を一切感じさせない存在が四つ。
その中心で、ただ一人だけ激しい呼吸を繰り返す少女がいた。
アルファ。
完成された構造、無駄のない配置、隙のない視線。
対して、翡翠の瞳を持つユズハは、未だ乱れた息を整えられずにいた。
「ユズハ……」
少年の掠れた声が、彼女の背中を叩く。
それでも、少女は踏み出した。
風を切り裂くような速度で前へ出る。
「そうやって物扱いして! 自分たちの都合で捨てて!」
地面を爆ぜるような勢いで踏み込み、一気に間合いを潰した。
槍が唸りを上げ、空間を薙ぐ。
振り抜き、返し、さらに猛然と叩き込む。
軌道は荒いが、そこには一切の迷いがない。
分厚い肩当てを装備した戦士が、正面からそれを受け止めた。
鈍い衝突音が響き、周囲の空気が押し潰される。
「はっ……雑だな!」
「うるっさい!」
ガレスに軽く押し返されるが、止まらない。
足を回し、軸をずらし、再び得物を叩きつける。
その瞬間、空気が凍りつくように揺れた。
魔力が集束する。
丁寧に整えられた黒髪を揺らすリリアの指先に、鋭い光が宿った。
迷いなく放たれた魔法弾は、少女ではなく――背後に立つ、鈍色の髪の少年へと向けられる。
「ノア!」
考えるよりも先に、体が動いた。
ユズハは軌道上に割り込み、槍を振るって魔力の塊を強引に叩き伏せる。
衝撃が腕を駆け抜け、骨を軋ませた。重い。
だが、逸らした。
魔法弾は進路を外れ、背後の地面を無残に穿つ。土が爆ぜ、遅れて熱波が押し寄せた。
「あら。良く反応したわね」
リリアが怪しく笑う。
「でもね? そうなるでしょう?」
たった二人のパーティ。
しかも一人は戦わない。
「私たちは捨ててないの。ノア君を助けたのよ」
エマの穏やかな微笑みは崩れない。
だが、その瞳の奥には欠片の温もりもなかった。
少女の奥歯が鳴る。怒りが、熱となって視界を焼く。
「……は? ノア、下がってて。アイツら普通じゃないよ」
ユズハは守るように
しかし、背後に立つノアは動かない。
ただ静かに、いつもの平板な声で告げた。
「ユズハ、槍の柄の方を使って」
「え? 柄って……いや、使ってる――」
違和感が走った。
手に伝わる奇妙な重さ、握った瞬間のわずかな重心のズレ。
少女が槍を持ち替えると、反対側の石突きの奥に、封じられた魔法石が鈍く輝いていた。
「保険の為にバルトさんに作って貰ってました。最初から、この中に」
「ちょっと待って……なにそれ、ズルくない?」
今までの武器は全てノアが手渡していた。
あり得る——
「って、あたし魔法使えないよ?!」
だが、少年は首を振る。
少年の言葉が、少女の脳内で繋がる。
藁束、運搬、隠蔽。五倍必要と言った藁束の意味。
全てはこのための布石だったのか。
少年は答えず、ただじっと少女の手元を見つめる。
弾いた時の感触、衝撃の流れ、逸らした軌道。
その全てが、少女の感覚の中で一つの線に繋がった。
「……あ。これ……撃てる?」
「天武無縫、ですかね。縫うことが得意な僕には無理ですが」
「いや何それ! 今それ言う?!」
リリアの魔力が再び膨れ上がる。
今度は明確に、二人を排除するための殺意が込められていた。
放たれる一直線の閃光。
少女は退かない。槍の柄を向け、魔力の奔流を正面から迎え撃つ。
流し、合わせ、通す。
内なる感覚に従い、引き金を引くように魔力を押し出した。
衝撃が走り、見えない弾丸が前へと弾き出される。
衝突。爆ぜる光。
放たれた魔法が、空中で霧散した。
「……おい、今の」
「魔力干渉……?」
「……面白いね。アナタ、何者?」
リリアの冷徹な視線が、さらに鋭くなる。
翡翠の瞳の少女は、槍を構え直して即答した。
「ユズハだよ!」
迷いのない声。
淡い金の髪をしたリーダーが一歩前へ踏み出すと、場の温度が急激に下がった。
「何者かはどうでもいい。レベルアップブーストが、才能を持つ個のみに使われる。――本気で行くぞ」
「ちっ。女を切るのはしょうにあわねぇが……。あぁ、分かってんよぉ!」
ガレスが舌打ちを鳴らし、重心を落とす。
レオン、リリア、エマ。
四人が同時に、一つの生き物のように連動して動き出した。
一対四。逃げ場のない包囲網。
「はぁ……マジか。……来なよ」
少女は不敵に口角を上げた。
獣のような男の一撃が落ち、衝撃が両腕を痺れさせる。
弾かれた隙に、横から魔術の追撃が差し込まれる。
紙一重で躱し、抉れた地面の土煙を裂いて突きを放つ。
「……っぶな!」
距離を一気に潰され、四方からの波状攻撃に身を投じる。
振り抜き、受け――。
鈍い破壊音とともに、愛用の槍が中ほどから真っ二つに折れた。
穂先が宙を舞い、地面に突き刺さる。
一瞬、時が止まった。
「……あ、そっち?」
少女は手元に残った二本の柄を見つめ、不敵に笑った。
槍先を失い、短棍と化した二つの武器。
だが、それが逆に彼女の自由度を跳ね上げる。
「丁度よかった。二本の方がやりやすいかも!」
踏み込み、左右から打ち鳴らす。
片方で受け流し、もう片方で相手の隙を打つ。
変幻自在のリズムに、英雄たちの完璧な連携がわずかに乱れた。
魔法を逸らし、リーダーの刺突を紙一重で回避する。
「対応してる……?」
「違うわ。合わせてる」
「面白れぇ女だ」
エマの驚き、リリアの冷静な分析をよそに、前衛の男が楽しげに笑った。
確かに、少女は「合わせて」いた。
しかし、地力の差は残酷だ。確実に、包囲網が狭まっていく。
その時、鈍色の髪の少年が不意に顔を上げた。
戦場の外、闇の境界線から迫る異質な気配を捉える。
少年は迷いなく踏み出し、少女の元へと一直線に走った。
突如、場違いなリュートの音が響き渡る。
柔らかく、軽やかで、芝居がかった旋律。
その音色に、少女の動きが吸い込まれるように静止した。
「……え?」
生じた一瞬の空白。
レオンが最短、最速の軌道で刃を走らせた。
その間に、少年が割り込む。
振り抜かれた一閃が、少年の背負った藁束を激しく引き裂いた。
裂けた藁が雪のように舞い散る。
だが、ユズハは無傷。少年の背中が、盾となって彼女を守っていた。
少年は視線を横へと流す。
闇の縁から、舞台役者のような所作で一人の男が歩み出た。
紫色の長い髪を揺らし、柔らかな笑みを浮かべた男。エリオット。
「全く。待ちぼうけなんて酷いよ。素晴らしい。リズムが整ったね」
男が弦を弾くと、崩れかけていたアルファの気配が、パズルのピースが嵌まるように再構成される。
少女は悔しげに唇を噛み、ゆっくりと顔を上げた。
五人の英雄が、そこにいた。
「……これで、アルファが完成……ってこと……?」




