第8話 白鷺の砦潜入作戦④
夜の拠点は、音を完全に失っていた。
人がいるはずの場所でありながら、そこからは生物的な気配だけが極限まで削ぎ落とされている。
少し離れた場所に光がある。
その手前。
静止した世界の中心に、『アルファ』が陣取っていた。
無駄を排した立ち位置。寸分の狂いもない視線の交差。
彼らにとって戦闘とは「解くべき数式」であり、そこには情操の入り込む余地などない。
陣形は既に完成されており、一歩も動かずとも対峙する者の本能に死を予感させる。
「……やば。え、ちょっと待って。アルファじゃん! 本物? マジで? うわ、レオンだ……」
翡翠の瞳が輝く。
少女は、思わず感嘆の声を漏らした。
恐怖を塗り潰すほどの興奮が、ユズハの全身を駆け巡る。
乱れのない淡い金の髪を持つ男、英雄レオン。
獣のような威圧感を放つ戦士、ガレス。
表情が凍りついたように変わらず、機械的な美しさを持つ魔女、リリア。
そして、柔らかな光を纏う支援魔法の柔和なヒーラー、エマ。
隙のない四人の圧は、それだけで物理的な重みとなって少女を押し潰そうとする。
だが、少女は小さく頭を振ると、瞬時に憧憬を思考の奥底へ押し込めた。
翡翠の瞳を鋭く細め、真正面から英雄たちを見据える。
「アルファの皆さん! ここ、おかしいんです!」
静寂を貫く叫びに対し、誰も動かない。
淡い金の髪をしたリーダーは、乱れぬ姿勢のまま静かな、しかし絶対的な冷徹さを湛えた瞳で少女を捉えた。
「そうか。そういう依頼もあるか」
僅かに考える仕草。
「なら、そのまま問題なかったと伝えればいい」
「……は? え、ちょっと待って。アルファでしょ? 英雄パーティでしょ? おかしいって分かってるなら、ちゃんとやるべきじゃないの?」
正論だった。
だが彼らにとって、それは解くに値しない雑音でしかなかった。
突如、空気が鋭く裂ける。
計算され尽くした術式が展開され、魔術の光が閃光となって視界を焼いた。
少女は反射的に横へ跳ね、踏み込みを断ち切るように後退する。
直後、彼女がいた場所の土が爆ぜ、熱風が頬を掠めた。
「っぶな……!」
「これで分かったでしょう。戦力なら足りてるわ」
丁寧に整えられた黒髪をわずかに揺らし、リリアが温度のない声で議論を終わらせる。
その隣で、柔らかな色の髪を揺らす女性が、穏やかな微笑みを湛えたまま言葉を重ねた。
「ね? 大丈夫だから。ギルドにも上手く伝えておくから。ノアくんにとっても、こっちの方がいいと思います」
エマの声音はどこまでも優しいが、その瞳の奥には欠片の感情も宿っていない。
本質的な冷徹さを、合理的な慈愛で包み込んでいるだけだった。
「伝えるって……何をですか! ここが動かないから、みんな困ってるんですよ! あたしのパパも!」
「関係ないわ」
「いや、関係あるでしょ普通に!」
眉を動かすこともなく、黒髪の魔術師は余地を断ち切った。
即座に言い返す少女の前に、分厚い肩当てを装備した屈強な体躯が立ちはだかる。
ガレスが獣のような鋭い視線を向け、一歩踏み出すだけで場の圧が変質する。
「だから帰れって言ってんだろ」
そして溜め息。英雄は肩をすくめた。
「もういい、十分に警告はした」
「えぇ。宿舎が静かすぎるのも気になるし」
「ま、そうだな」
「仕方ないよ」
四人の意志が、一つの冷徹な結論へと収束していく。
装備の音、立ち姿、視線の動き。その全てに無駄がない。
「あぁ、排除する」
「は? ちょ、ちょっと待って待って!」
少女は一歩下がる。
軽い口調こそ崩さないが、その背中を冷たい汗が伝えていた。
相手は魔物ではない。ルガイア王国の英雄。
そして何より、魔物よりも遥かに底の見えない恐怖そのものだった。
そんな中、手の中に冷たい金属の重みが押し付けられた。
渡された槍の感触が、現実を引き戻す。
「え?」
「僕たちの任務は終わってない。多分、アルファは関係ない。けど、アルファの先にいかないと」
鈍色の髪をした少年は、動かなかった。
人ではなく、歪んだ構造そのものを見ているような静かな言葉。
少女は息を呑み、隣に立つ、麦わらを背負った少年の横顔を見る。
「無理無理無理。だってアルファだよ?」
「寝たから大丈夫」
「え……と、そか!」
ノアのいつもと変わらない平板な声。
だがそれが、不思議なほど彼女の心に安らぎを与えた。
「……うん、行ってみる!」
強く頷き、恐怖を意識の隅へ追い遣る。
ポニーテールが弾け、少女は地面を蹴った。
真正面から突っ込んでくる黒い鎧の戦士とぶつかり合う。
重い。圧が違う。
「うっわ、マジで重っ……!」
重戦車と軽やかな馬の激突。
だが、その馬は跳ねる。
「ちっ。この女、見ない顔なのになかなかやるじゃねぇか。動き、無駄がないね」「単体の技量じゃないわ」
ユズハの動きに目を剥く。——普通なら
「後ろのあいつだ。……女」
「ユズハだよ!」
英雄はどこまでも上から。
だが、殆ど無表情でこう言った。
「ユズハ。そいつはレベルアップブーストだ」
リーダーの淡い金の髪がわずかに揺れる。
上からの目線で名前を呼ばれただけで、少女の喉が締まるような感覚に陥った。
「……は? そいつって……ノアのこと?」
「カルンから同時期に二つ。暁紅蓮と青葉。ランクEから騎士団候補」
「再現性があるなら、尚更危険ね」
「うん。このままにしておく理由はないかな」
「つまり、先に潰すってことだな」
四人はちゃんと知っている。
そして、見据える。
「ちょっと待って。なんであんたたちが、ノアのことそんなに知ってんのよ!」
少女の声が、怒りで震える。
金羊毛ギルドで共に、「アルファだ」とノアと見た記憶を思い返し、翡翠の瞳が鋭い問いを突きつけた。
レオンは視線を微塵も動かさず、淡々と真実を投下した。
「聞いていないのか。そいつは元々、アルファの冒険者だ」
◇
一瞬、時間の歯車が止まった。
翡翠の瞳が大きく見開かれ、隣に立つ少年を捉える。
彼は何も言わない。
ただ、いつものようにそこに存在しているだけだった。
「アルファにもいた?でも……ちょっと待ってよ。さっきから何それ。ブーストって何それ。ノアは道具じゃないし! 勝手に決めつけてんじゃないっての!」
少女が震える足で一歩前へ出た。英雄たちを正面から見据える。
声音から軽さが消え、代わりに強固な芯が宿る。
空気が鋭利に切り裂かれた。
「とんだじゃじゃ馬だな」
「うるっさいっ!」
翡翠の瞳の少女が、爆発的な勢いで踏み込む。
放たれた槍が鋭い光を放ち、英雄との戦闘が再び激しく幕を開けた。




