第7話 白鷺の砦潜入作戦③
いびきと寝息の重奏に支配された宿舎を後にしたユズハを、ひやりとした夜気が迎えた。
その冷たさの中に、一人の少年が佇んでいる。
「あの……」
「思い出した!」
少女は歩み寄り、ノアの額に軽いデコピンを見舞った。
夜空にえんじ色の髪が舞い、びしっとばしっと指をさす。
「暁紅蓮隊の、あの貴族っぽい……えっと、そう、シエラ! あの子が言ってたのってこれのことね。悪い虫を追い払ったって話。戦わないあんたがやる、別の戦い」
「……え、と」
詳しい説明こそ受けていなかったが、目の前の少年の「仕事」を理解するには十分だった。
少女は少しだけ声を張り、すぐに不満げに顔をしかめる。
「流石にこれくらいは言わせて。先に言ってよ! あたし、普通に怖かったんだから」
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声。
背中に藁束を背負った少年は、視線を泳がせ、言い訳すら浮かばない様子で立ち尽くしている。
少女はそれ以上は追及せず、軽く肩をすくめた。
「ま、何かあったらぶん殴ってたけど! ……行こ」
二人は夜陰に紛れ、音を殺して動き出した。
足音を消し、呼吸を浅く保ちながら、拠点の深部へと潜り込む。
「あいつら言ってたわ。夜からが本番だって」
「……ごめんなさい」
「もう怒ってないってば! あいつら、仕事する気ゼロだったし」
少女は鈍色の髪をした少年の肩を軽く小突いた。
それでも、少年の表情は暗いままだ。
「大丈夫だって。あいつら昼まで寝るって言ってたし」
「うん。……多分」
その不穏な肯定に、少女の目がわずかに見開かれる。
「もしかして……」
「……ごめんなさい」
「なんで謝るのよっ」
少女は歩幅を落とし、昼間に見た灯りの配置を頭の中でなぞる。
二人は布で仕切られた区画の裏手へと回り込んだ。
昼間は近づくことすら許されなかった場所だが、足元の土は固く、頻繁な往来があったことを示している。
なのに――今は、気味が悪いほどに静まり返っていた。
「ねぇ。ここ、逆に不自然じゃない?」
返辞はない。
少年の視線は、もはや何かを「探す」ものではなく、ある事実を「確認」するものへと変わっていた。
「さっきからさ、あんたちょくちょく消えてたわよね。……何してたの?」
少年は布の端にそっと手をかけた。
「見る?」
「見る」
めくられた布の先、そこは簡素な寝所となっていた。
寝台の上に横たわる者たちは、全員が深い眠りに落ちている。
一個や二個の建物ではない。隣も、そのまた隣も、同じ光景が続いていた。
「……ちょっと待って。これ全部? あんた、これを一人で順番にやったの?」
「うん」
淡々とした肯定。
少女は息を吐き出し、少年の横顔を見つめた。
順番に、一軒ずつ、静かに意識を刈り取っていくその姿を想像し、背筋に冷たいものが走る。
「規模がおかしいでしょ……。ねぇ。これ、ただ寝てるだけよね?」
一瞬、少年の瞳が揺らぎ、視線が足元へと落ちた。
その沈黙が、少女には何よりも雄弁な答えだった。
「……ふーん。ほんと、あんたのやることは極端すぎるわよ」
「頑張った……でも」
「あれでしょ。全員眠っているうちにってやつ。セレナさん、絶対にここまで考えてた」
「その……。ユズハ、ちょっと疲れてる。仮眠しよ」
「今?!」
少年に促され、少女は困惑しながらも寝る。
「よし。頭スッキリ!」
「うん。仮眠程度だけど」
「これがノアにとっての仮眠。概念がどうにかなりそ」
そして、改めて。
二人は拠点のさらに奥へと足を踏み入れる。
資材の積み方も通路の取り方も完璧に整っているが、そこには「生活」の芯が欠落していた。
少女の足が、拠点の外縁部で止まる。
そこには、内側を仕切るためのものではない、外の世界を「隠す」ための巨大な布が垂らされていた。
「これ、外よね? なんで景色ごと覆われてるのよ。……ノア、これどう思う?」
「……奥を」
少年の短すぎる言葉に従い、二人は暗がりの中にある人工の光へと近づく。
一歩踏み出した、その瞬間だった。
風を切り裂く鋭い音が響き、少女の足元の土が爆ぜた。
深く突き立ったのは、一本のジャベリン。
闇の中から、低い笑いを含んだ重厚な声が落ちてきた。
「なーんかネズミが混じっていると思ってたが……やっぱ俺の見間違いじゃねぇみたいだな」
ゆっくりと顔を上げた先にいたのは、全身を黒い鎧で包んだガレス。
アルファの一角にして、マルシェリアでも知らぬ者はいない剛勇。
男は冷徹な眼光を少年に向け、言葉を叩きつけた。
「てめぇら、そこで何をしている!」




