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第5話 白鷺の砦潜入作戦①

 ギルドの重厚な扉を抜けた瞬間、肌を撫でる空気が一変した。

 背後で喧騒が遠ざかり、静寂が街の路地に染み出している。


 鈍色の髪をした少年は、一定の歩調で歩みを進めていた。

 だが、その視線は足元の石畳に落ちたまま、内省の海に深く沈んでいる。


 翡翠の瞳の少女は、隣を歩く少年の横顔を幾度も盗み見た。

 項で一つに括られた毛束が、彼女の不安な心根を映すように小さく揺れる。


 明らかに、いつもとは違う。


「……ねぇ」


 返答はない。

 聞こえていないのではなく、意識の全てが別の場所へ向けられているのだ。

 ユズハは不満げに眉を寄せ、今度は少し強く声を張った。


「ちょっと!」


 ノアの視線が、わずかに上がる。


「うん」


 それだけを短く返し、また思考の底へと戻っていく。


「……考えすぎじゃない?」

「……うん」


 否定すらしないその態度が、余計に彼女の焦燥を煽った。


「なに……考えてんの?」

「……配置です」


 あまりに短い言葉に、少女は呆れたように息を吐く。


「……ほんと、好きだよねそういうの」


 口ではそう言いながらも、彼女はその視線を少年から外さなかった。

 彼の中で何かが激しく胎動している。それを本能的に察知していた。



 家の扉を開けると、慣れ親しんだ生活の匂いが二人を迎え入れた。


「ただいまー」


 少女の軽い声が室内に響く。

 奥から、軋むような椅子の音が返ってきた。


 机に広げられた書類から顔を上げたのは、バルトだった。


「……帰ったか」


 鋭い眼光が二人をなぞる。

 少年は音もなく一歩下がり、いつものように壁際へ身を寄せた。


「パパの方は?」

「ギリギリだよ。あの森は馬車を選ぶ。道が、最悪だからな」


 吐き捨てるように言った男が、次に視線を向けたのは壁際の少年だった。


「で、そっちはなんだ? やけに静かだが」

「でしょ?」


 少女がすぐに食いつき、隣のノアを指差した。


「さっきからずっとこれなんだけど」


 少年は否定せず、ただゆっくりと顔を上げる。


「……考えてます」

「見りゃ分かる。で……何をだ」

「……中央平原です。あそこの配置が、目的に対して過剰でした」


 その言葉を聞いた男は、不機嫌そうに眉根を寄せた。


「……気乗りしねぇな。こういうのはよ。表と裏がある時点で、ろくなもんじゃねぇ」

「またそーゆーの? 潜入なら面白そうじゃん。かっこいいし」

「面白いで済む話じゃねぇって言ってんだよ。冒険者の仕事じゃねぇだろう」

「もー。冒険者はなんでもありだよ? しかも炭鉱。絶対なんかあるじゃん」

「あーもう。あるから嫌なんだろうが」


 男は苛立たしげに吐き捨て、再び少年へと向き直った。


「で、お前はどう思う」

「ん……情報が少ないです。なので、現地で見ます」

「それしかねぇか」


 男は短く頷き、一つ重い息を吐いた。


「ノア。お前を信用しているからな」


 それまで黙って聞いていた少女が、即座に声を張り上げた。


「もう! だから、なんでいつもノアなの?」

「結果を出してんのはそいつだ。冒険者としても先輩はノアだろうが」

「そうだけどさ!」


 納得しきれない表情ながらも、少女はそれ以上の反論を飲み込んだ。

 少年は何も言わず、ただ深く、一度だけ頷いた。


「……行ってこい」


 父親は背を向け、それ以上は語らなかった。



 待機していたのは、既に手配されていた馬車だった。

 幌すらない簡素な造りは荷運び用そのもので、実用性以外の全てを削ぎ落とした「そういうもの」だと一目で理解できる。


「うわ、これ……。ほんとにこれで行くの?」

「うん。僕もよく乗ったし。カルンだと、こういうのが普通だったから」


 毛を揺らしながら乗り込んだ少女に続き、何故崩れないのか分からないほど積み上がった藁束を背負う少年乗り、隣に静かに置いた。

 馬車が動き出すと同時に、激しい振動が突き抜ける。

 冒険者向けの粗末な造りは、車輪が石に当たるたびに身体を不自然に浮かび上がらせた。


「下位感、すごいねこれ……」

「整って……はないかな」


 少年は、ガタガタと震える車体から外へと目を向けた。

 道の状態。土の質感。草の密度。そして、肌を撫でる風の通り方。


「ね。何があると思う?」

「……白鷺の紋章の人以外?」

「むー。面白くない」


 少女の不満げな声とともに、馬車は同じ揺れを刻みながら荒野を進んでいく。



 やがて、視界を遮っていた木々が途絶え、荒涼とした大地が姿を現した。


「あれ……?」


 ユズハが、少しだけ身を乗り出す。

 遠方に見えるのは、仮設の討伐拠点だった。

 本来ならありふれた簡易施設のはずだが、そこに漂う違和感は隠しようがない。


「ねえ。ここ、じゃないよね。炭鉱って、モンテ・アギラでしょ?」


 少女が西側の峻険な岩山を指差した。

 目的の場所は、明らかにさらに西へ位置している。

 だが、拠点は南北と東西が交わる十字路のど真ん中に、居座るようにして建っていた。


「……意味わかんなくない?」

「一週間前にバルトさんが言ってたよ。馬車道を押さえたら、流れは止まるって」

「あ、あれってここの話?」


 少年の静かな指摘に、彼女の声がわずかに沈んだ。

 近づくにつれて、拠点の不自然さはより鮮明になっていく。


 周囲を固めているのは、柵というよりバリケードだ。数が多すぎる。

 さらに、内部の様子を一切窺わせぬよう、不自然な角度で布が垂らされていた。

 風に揺れるその布地は、何かを必死に隠匿しようとしているようにしか見えない。


「これ。怪しいって言っているようなもんじゃん」


 ノアは答えず、バリケードの配置と布の角度、そして兵士たちの動線を無機質な瞳で記録し続けていた。


 馬車は止まらない。

 入口が目前に迫り、武装した人影がはっきりと見えてきた。

 一人の兵士が、こちらへ向けて手のひらを掲げる。


「そこの馬車、止まれ!」

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