第2話 仮面のサロン
父の商会は、ル=ヴァンの森をひた走る。
依頼を無事熟し、ユズハはノアを連れる。
いつものようにギルドに向かう。
いつものようにギルドの扉を抜けた瞬間だった。
「なーんか、キモくない?」
「いつもより静かだけど、キモいって気持ち悪いって意味?
「そーゆーんじゃないから」
「え、基準が分からない」
いつもとは違う空気。
いつもとは違う人の流れ。
静謐ではない。これは空虚。
「ノア君、ユズハさん」
肩が跳ねる。
背後から、落ち着いた声。
振り返ると、セレナが立っていた。
彼女の姿勢はいつも正しい。
いつも通りの、隙のない佇まい。
「少し、お時間をいただけますか」
畏まった言い方。
依頼だと、すぐに分かる。
でも、ユズハは首を傾げる。
「え、あたしたち?」
「はい」
短く、肯定。
カウンター越しではなく、その背後から。
「私と共に、来ていただきたい場所があります」
言葉のトーンはいつもと同じ。
だが、業務とは違う温度が、わずかに混じる。
「どうしてあたしたち?」
依頼は当然だが、依頼内容が疑問。
それでもセレナは視線を逸らさない。
「あの、セレナさん」
「現在、BおよびCランクの大半が、コンプライアンス研修中です」
「は?研修?」
「来週は、陛下の生誕祭です」
「生誕さい?」
「王様の誕生日よ。流石にあたしも知ってるし」
「そか」
「ノアはマルシェリア来たばかりだから仕方ないし。パパが物流止まったって焦ってたのってそういうことなの」
戦闘の勘は良いのに、こういうところはまだまだ。
「それで人がいない?」
セレナは淡々と続ける。
「騎士団としての振る舞いを、事前に整えておく必要があります」
ユズハが、少しだけ顔をしかめる。
「うわ、面倒くさそう」
セレナは気にしない。
「こちらは、ギルド長からの直接の依頼です」
わずかに言葉を切る。
「ですが、今回の件は別です」
視線が、二人に戻る。
「私個人からの依頼となります」
「え?セレナさんからって」
「あら。私が依頼してはいけませんか?」
「そういう意味じゃなくて!」
「……では」
空気が、少しだけ締まる。
ユズハが、ちらりとノアを見る。
ノアは、わずかに息を整える。
「分かりました」
即答。
ユズハも肩をすくめる。
「ま、いいけど」
そうして。
三人は、街を抜けた。
人通りが減る。
音が落ちる。
通りの質が変わる。
たどり着いたのは。
ひときわ静かな通りだった。
重厚な扉。
看板は小さい。
だが、余計な装飾がない分、質だけが際立っている。
「……ここ?」
ユズハが、少しだけ声を潜める。
「カフェ・ド・サン=ルイ」
セレナが答える。
「会員制のサロンです」
「え、入っていいの?」
「問題ありません」
即答。
そのまま中へ入る。
ぐっと空気が変わる。
外の光が全て落ちる。
室内だから?でも室内も薄暗い。
灯りはあるが、どれも抑えられている。
視界が、はっきりしない。
その代わりに。
匂いが満ちている。
甘い。
重い。
濃い。
香水。
あるいは、香木の煙。
喉に絡む。
肺に残る。
吸うたびに、少しだけ息が浅くなる。
それでも人の気配はある。
席は広い。
距離がある。
だが、その余白すら、匂いで埋まっている。
全てが、整っている。
整いすぎている。
視線が交差する。
だが、止まらない。
言葉が行き交う。
だが、触れていない。
「失礼ですが」
声はある。
だが、深さがない。
ノアは、瞳を揺らす。
違和感はある。
だが、形にならない。
その中で。
「こちらを」
「拝見しました。サンダルウッドさま」
ノアは、明らかに浮いていた。
藁の入った背負子。
場違い。
「ですが」
匂いと、質と、空気。
すべてが合っていない。
それでも誰も、見ない。
いや。見ている。
だが、反応しない。
処理されないまま、流されていく。
ユズハが、小さく顔をしかめる。
「……匂いキツくない?」
声を抑える。
「ちょい無理なんだけどこれ」
軽く鼻をつまみかけて、やめる。
「そちらの方は」
セレナは、静かに言う。
「私としたことが、いけまえんね。お二人、ここにはドレスコードがあります」
そう言って、二人に視線を向ける。
すでに用意されていた。
ユズハは問題ない。
着慣れている動きで整える。
ノアは。
「……苦しいです」
首元に触れる。
服だけではない。
空気そのものが重い。
わずかに瞳が揺れる。
「少しの間です」
セレナは流す。
そして。
小さなマスクを差し出した。
「こちらを」
ユズハが受け取る。
「……これ、何?」
「この場のルールです」
ノアも受け取る。
装着する。
わずかに息を呑む。
「……これ」
「はい」
「目が隠れていません」
「欠陥品じゃん」
ユズハが即ツッコミ。
セレナは、何も言わない。
「つけていてください」
それだけ。
「結構です。ようこそ、サンダルウッドさま」
すると三人は、角の席へと案内される。
全体が見える位置。
外れ。
だが、中心から切れてはいない。
セレナが、紅茶を淹れる。
三人分。
無駄のない手つき。
湯気が立つ。
だが、その香りすら、他に押し潰される。
そして、座る。
周囲。
会話が流れている。
「今日は良い天気ですね」
「ええ、明日は崩れるとか」
「紅茶は少し蒸らした方が――」
「ワインは温度が重要で――」
内容が、薄い。
だが、途切れない。
言葉が、滑っている。
重ならない。
意味が、残らない。
ユズハが、ひそめた声で言う。
「……井戸端会議?」
軽い調子。
「っていうかさ」
少しだけ笑う。
「これ、会話してる風じゃない?」
セレナは答えない。
カップを持つ。
一口。
それから。
ノアを見る。
ノアは、瞳を揺らす。
呼吸を整えながら。
「ノア君」
静かな声。
「何か分かりますか」
問い。
その意味だけが、重かった。




