第23話 境界の世界⑥
ユズハは何も言わず、俯いた。
彼女は冒険者になって直ぐだから、鮮明に覚えている。
ただ、言語化出来ているかと言えば、嘘になる。
「……え?」
ノアは間違いなく、マリーのベッドメイキングをした。
「でも、それって」
ではなく、
ユズハがノアに、マリーのベッドメイキングをさせた。
その重すぎる事実を、ユズハは受け止めていた。
ディルクが苛立たしげに眉を歪めた。
「……は? 見えたって、何がだよ」
ディルクの問いに。
シャルルが静かに、しかし冷え切った笑みを浮かべて応じた。
「死の間際、境界線の向こう側が見えた。繋がったね、カリス」
資料は、空っぽになった大公の屋敷で集めたものだった。
カリスも面倒くさそうに腕を組んだ。
「アイアンループ全体の行動が変わった起点が、結局……ノアかよ」
シャルルは視線を上げ、窓の外に居座る不気味な天体を見据えた。
セレナは再びノアへ向き直り、逃れられない運命の糸を解き明かしていく。
「そのマリー様が何を思ったかはさて置き。……ノア君の存在も、朧げにでしょうけれど、彼女に見えたのでしょう」
ノアは呆然としたまま
ユズハは息を呑んだ。
「だからこそ、依頼を繰り返した」
早く、ランクを上げたいと思った。
父親の言う通り、ズルをした結果、見られる側になった。
「何度も、確かめていたのでしょう」
ノアという存在が何を「招く」のか、老婆は確信していた。
ユズハの翡翠の瞳がノアを捉えるが、唇は結ばれたままだ。
ノアは肯定も否定もせず。
ただ、立ち尽くしている。
「訳分かんねぇけど……俺らが行動は、あの婆さんには筒抜けだったしな」
ディルクが吐き捨てるように言った。
「で、ウチらは実験道具か」
「観測して、条件を揃えて、確信する。アルマンにはボクからのノア情報が先に行ってたしね」
「あの狸親父がシャルルを好きにさせてたのも……」
「ボクは勝手に追放された気になってたけど」
シャルルが肩をすくめ、淡々と結論を置く。
「アレが復活したことで、冒険者側の目になってた。ボクは単に、必要なくなった、……かな」
バルトが重い息を吐き、レオンは黙って情報を整理していた。
シャルルとカリスを除く、ここにいる全員はノアベッドの特異性を知っている。
そして最後に、セレナは確信を込めて突きつけた。
「あの依頼を達成した後の、全てが繋がっている。そう考えて良さそうですね」
「あたしは……偶然、適当に選んだし。……でも、あの依頼が。背伸びした依頼を、あたしが受けちゃったから」
ここで、ユズハが独白するように言葉を漏らした。
でも、その服の裾が引っ張られる。
「ユズハのせいじゃないよ」
ノアに、シャルルも続く。
「これが、“流れに身を委ねよ”って意味かもね」
「どの道、ノアのベッドは秘密ってわけじゃねぇんだろ」
シャルルの言葉が冷たく響く。
カリスの言葉も尤も。
そんな中、セレナがさらなる追い打ちをかける。
「お伝えした筈です。選別試験を用意されたのも、マリー様」
でも、セレナの声は静かだった。
僅かに自責の念が含まれる。
「騎士になれないランクCという評価を下したのも、動きやすくすると仰られたのも、マリー様です」
だが、ユズハを追い詰めていく。
セレナは受けてもいいし、受けなくてもいい。
「……国の在り方を憂い、くだらないと下野していた方です」
提案しただけ。
「その方を、目覚めさせたのは――。ノア君、あなたです」
逃げ場を完全に塞ぐ断言。
周囲の喧騒が遠のき、場には耐え難い沈黙が降りた。
ディルクが舌打ちをして否定しようとするが、その声に力はなかった。
シャルルは笑わず、ただ小さく頷く。
「ここまで来ると、起点って言葉じゃ、生ぬるいね」
「……ですが。一人で成し得る規模ではありません。マリー様お一人で、ここまでの現象を引き起こせるとは思えません」
セレナが静かに分析を続けると、シャルルがそれを引き取った。
「たまたま、ね。ボクたちの祖父、アルマンが不老不死の研究をしていたから」
「不老不死の研究……ふざけてんのか、それ」
「さぁね。重なった、ってだけじゃない? かたや、不老不死を。かたや、死ぬまでの暇つぶしを。たまたま、姉弟だっただけ。……それだけで、世界はひっくり返る」
カリスがその不条理な因果に、鋭い言葉を差し込んだ。
「共通点は――ノクス・マテールか」
「まぁ、そうなるね。どっちも、あっち側を見てる」
シャルルが肯定したその瞬間、ギルドの重厚な扉が乱暴に開け放たれた。
ホールを支配していたざわめきが、一瞬にして凍りつく。
入ってきたのは二人。
重厚な鎧に身を包み、冷徹な威圧感を放つ騎士団長ガストン・ベルンブルグ。
そして、装飾過多な衣装を纏い、不快げに周囲を見渡す宰相オルレック・グランブルジュ。
ベルンブルグは一直線に歩を進め、セレナの眼前で足を止めた。
「報告を」
「現在、未確認の天体が上空に出現しています。市民からの問い合わせが殺到しており、詳細は不明です」
セレナの応対に、グランブルジュが扇を激しく動かしながら割って入った。
「不明で済ませるつもりかね! 街が混乱しているのだぞ!」
ベルンブルグは宰相の言葉を無視し、ユズハたちの集団に鋭い視線を向けた。
「……お前たち」
「ですが、一つ」
セレナが言葉を繋ごうとした刹那。
シャルルが迷いのない動きでノアとユズハを横へ突き飛ばした。
床を滑る音に遅れて、周囲の視線が追いつく。
「理不尽なのは、嫌いでね」
シャルルが静かに、しかし明確な敵意を持って騎士団長の前に立ちふさがった。
セレナは動じることなく、解決策を口にする。
「……ノア君、シャルル様の話を聞き、状況を整理しました。現時点で考え得る、明らか事象は一つ」
シャルル隊、カリス隊の報告。
アルマンとマリーの発言。
それらを合わせると、どうしても見えてしまう。
言わなくとも、きっと誰かが辿り着く。
だから、セレナは苦々しく、報告した。
「——あの天体はノア君を核としています」
そしてその宣告に、ギルド内が凍りついた。
ユズハが即座にノアの手首を掴み、問答無用で引き寄せる。
「行くよ」
一分の迷いもなく出口へと走るユズハとノア。
その背を追い、レオンが影のように動き、騎士団長たちの進路を塞いだ。
「……退け」
「できません」
ベルンブルグの命令を、レオンが即座に拒絶する。
グランブルジュが激昂し、「王命に従え!」と叫ぶが、レオンは微動だにしない。
「……だからなんだ。俺がマルシェリアに戻った時に、約束させたはずだ。今は、通せません」
「カタリーナから聞いております。冒険者ギルドは、王命には従いません」
セレナが静かに、しかし決定的な反逆を告げた。
グランブルジュの顔が怒りと焦燥で歪む中、周囲の冒険者たちから野次が飛ぶ。
「……いや、どう考えてもガキの方じゃね?」
「あの空、どう見てもヤバいしな。宰相の言うことなんて信じられるかよ」
不信の連鎖が場の空気を変えていく。
カリスがその流れに乗り、不敵に笑った。
「ま、普通に考えりゃそうだな」
「同感だね」
「って、どうした? いつもは目立つのを嫌うじゃねぇか」
いつもは細められた瞼の奥で光る瞳が、すっと現れる。
「決まってるよ。……こういう時の為。バルカス!」
シャルルの合図で、巨漢のバルカスが巨大な布を広げた。
視界が遮られた一瞬の後、布が落ちた。
巨大な布の内側は、金色の布で縫われていた。
仮初の姿が隠れ、そして……黄金の幕が開く。
そこには粗末な装いを脱ぎ捨てた、洗練された貴族の衣装を纏う、敢えて言おう。
洗練された、美男子が現れた。
女たちの息が僅かに漏れる。
そして、この場に圧倒的な静寂が訪れる。
「でしたら――先ずは、私が依頼しましょう。
シャルル・フォン・ヴァルケンブルグとして、
黒色の天体の調査を、ね」
シャルルは傲岸不遜な笑みを浮かべた。
王にも引けを取らない姿で、鷹揚に手を広げた。
「大公の資産は現在、私が管理しています。今回、その一部を由緒あるマルシェリア冒険者ギルドの、その報酬として提示しましょう。桁が違うことくらい、君たちなら解りますよね?」
爆ぜるようなざわめき。
冒険者たちの瞳から恐怖が消え、強欲な光が灯った。
「無秩序極まりない。このままでは国が滅ぶぞ!」
グランブルジュは吐き捨てるように叫び、屈辱に顔を歪ませてギルドを去った。
ベルンブルグは動かず、レオンの前で立ち止まる。
「……貴様らの行動は、王命に対する反逆と見なす。だが、王命は遂行される。我ら騎士団は全戦力を以て、上空の異物に対処する」
騎士団長は振り返ることなく、重厚な鎧の音を残して去っていった。
セレナは即座に書面へとサインを刻み、その声を響かせた。
「皆さま!」
政治家に負けない、質の違う通る声。
「マルシェリア冒険者ギルド――別名、金羊毛ギルドに、その名に相応しい依頼が舞い込みました」
空気が変わる。ここは
「特別ミッションを開始いたします」
——上級冒険者の街、マルシェリアだ。




