第13話 マルシェリアギルドの再開
金羊毛ギルド。
かつては喧騒と汗の匂いが染み付いていたその場所は、今や冷徹な軍靴の響きと、壁一面を覆い尽くした王国騎士団の深紅の旗によって塗り潰されていた。
掲示板に残っていたはずの古い依頼書は剥がされ、代わりに厳格な軍規や騎士団の紋章が重々しく睨みを利かせている。
部屋の中央に置かれた巨大な円卓。
それは謁見という形式を避け、あくまで対等な対話の場として整えられていた。
だが、四方を囲む騎士たちの磨き上げられた鎧が放つ威圧感は、ここがすでに王の支配下にあることを無言で告げていた。
暁紅蓮隊の隊長であるライガ、そして青葉の剣を率いるハルト。
王国の精鋭たる彼らを含めた騎士たちの隊列には、呼吸の乱れ一つない。
その静寂を切り裂くように、玉座に腰を下ろした王が、低く、そして重い口を開いた。
「単刀直入に言おう。アルファよ。貴様らには王国騎士団へ入ってもらう。それが、この国を救うための最短の道だ」
「断る」
レオンは一秒の猶予も置かず、その提案を無造作に撥ね退けた。
部屋の空気が一瞬で凍りつく。
背後に控える元ギルド長がヒッと喉を鳴らして身を縮め、騎士団長の指が反射的に剣の柄にかかった。
しかし、アルファのリーダーであるレオンは微動だにせず、王の鋭い双眸を正面から射抜くように見つめ返した。
「王よ。貴様の目的は最強の戦力を手元に置くことだろうが、俺たちの目的は違う。名誉や領地で縛られるつもりはない」
「……不満か。騎士の称号は、この国における最高の名誉。それを拒む理由がどこにある」
王の重厚な問いに対し、レオンは冷ややかに鼻で笑った。
「名誉で飯は食えんし、腹も膨れん。それより条件がある。かつてマルシェリアの冒険者だった連中を、今すぐ冒険者に戻せ」
「……それは不可能だ。既に土地を与え、俸給も発生している。今更、冒険者へ戻すなど――国家の制度が持たん。貴族どもの面子も丸潰れだ」
騎士団長が、吐き捨てるように反論する。
その声には、制度を乱されることへの明白な拒絶が混じっていた。
だが、レオンはさらに言葉を重ねた。
「称号に縛られた途端、牙を抜かれた連中がこの街に溢れている。そいつらは騎士には向かない。政治の道具には、そこらで固まっている中身のある連中だけ残せばいい。それ以外の『数』は、冒険者として解き放て」
ここで空気が滞留する。
アルファ側の譲歩案は、王政府側の想定よりも圧倒的に容易い。
「中身のある者だけを残し、それ以外を戻す、か……」
王が目を細め、レオンの真意を探るようにその表情を凝視する。
レオンの主張は単なる反抗ではなく、戦力の劣化を見抜いた上での合理的な剪定だった。
「騎士に頼めない汚い仕事、あるいは小規模すぎて騎士団が動けない微細な依頼。それを請け負う『場所』がこの街には必要だ。騎士団という巨大な殻は重すぎて、足元の砂粒一つ拾えやしない。今まで通り、そいつらを冒険者として働かせろ」
宰相が驚きを隠せず、声を震わせながら口を挟む。
「……お待ちください。それはつまり、騎士団が抱える雑多な負担を、外部組織へ逃がすということですか。王権の外側に、再び力を戻すと?」
再び沈黙が部屋を支配した。
騎士たちが握る槍の柄が、緊張のあまり軋む音が微かに響く。
王は静かに目を閉じ、深く息を吐き出した。
思考の海に沈み、そして、一拍置いて目を開く。
その瞳には、ある種の決断の光が宿っていた。
「……成る程。ならば、余から提案しよう。冒険者ギルドを再開させる。王の名においてな。ただし、それはかつての無法地帯ではなく、余の直轄組織としてだ」
王の宣言により、室内の空気が一変した。
ハルトやライガが僅かに視線を動かし、互いの顔を見合わせる。
それは現状の行き詰まりを打破する、王としての最大限の譲歩だった。
「実力で上がった者はそのまま騎士に置き、貴族たちの反発を抑える。一方で、現場の柔軟性は再開させたギルドに持たせる。これが、今の王国における最善の落とし所だ」
「……陛下」
「条件は今、レオンが提示した通りだ。騎士団からの再編入制度も整えよう。一度騎士になった者でも、冒険者として生きる道を選ぶことを許す。これで不満はあるまい」
王の言葉は、もはや決定事項としての重みを持っていた。
レオンは短く「決定だな」とだけ応じ、それ以上の言葉を費やすことはなかった。
騎士団長が号令をかけると、巨大な扉が左右に開かれた。
◇
境界の世界が、眩いばかりの外光と共に冷え切った室内へと流れ込んできた。
マルシェリアの街並みは、一変していた。
公式なギルド再開の発表前だというのに、人々の足取りには活気が戻り、市場の喧騒には以前のような力強さが滲んでいる。
王は宰相を連れ、変革の兆しを見せる街を静かに歩いていた。
「……随分と、変わりましたな。商人も冒険者も、以前の顔つきに戻っております」
「そうでなければ、意味がない。余の権威だけでは、人の腹は満たせん」
王が答える。
視線の先には、街の中心に聳え立つ冒険者ギルドの威容があった。
騎士団の駐屯地から、冒険者ギルドに戻すための足場が組まれ、活発な槌音が響いている。
「大公には、後で礼を言っておかねばな。あの好々爺、隠居してなお策を弄する。余は、ああいう食えない男を嫌いではない」
「ヴァルケン大公ですな。陛下が彼を重用される理由も、今なら分かります。この変革の裏には、間違いなく彼の知恵が介在している」
宰相が薄く微笑を浮かべるが、王の表情はすぐに厳格なものへと戻った。
「だが、時は待たぬ。余の力が衰える前に、次代が育つ土壌を整えねばならん。レオンの言う通りだ。真に強い者を、騎士という名の不自由な殻の中に閉じ込めておくわけにはいかんのだ」
その時、人混みを縫うように一人の文官が駆け寄ってきた。
「失礼します! 陛下! 宰相閣下! マルシェリアギルドにて、既に妙な動きが確認されております。正式な手続きを待たず、依頼が受理された模様です!」
「報告しろ。何が起きた」
宰相が促すと、文官は僅かに困惑した表情で、懐から写しの紙を取り出した。
「報酬は……『古の羽毛布団』。安眠を約束する至高の逸品だそうです。既に多くの冒険者たちがこの依頼に注目し、街中がその噂で持ちきりです」
「古の羽毛布団だと?」
宰相が言葉を失い、鸚鵡返しにその単語を繰り返す。
「安眠を……。それはつまり、この混乱が収束し、平和が訪れるという比喩でしょうか。陛下、これは……」
「分かっておる。プロパガンダだな。誰が考えたかは知らんが、悪くない趣向だ。殺伐とした騎士団の論理ではなく、冒険者らしい諧謔に満ちている。……祝賀会の代わりか」
王が、愉快そうに独白した。
王直轄としてのギルド再開。
その不自由な一歩を祝うには、あまりに風変わりで、それでいて冒険者の魂を刺激する依頼だった。
文官が、一息ついてから厚みのある封書を差し出す。
「それから、こちらも。陛下宛てに、至急とのことで預かっております」
封の切られていない、重厚な封蝋が施された王への封書。
王はそれを受け取り、指先でその重みを確かめるように撫でると、誰にも内容を悟らせぬまま懐へと仕舞い込んだ。
「……後で確認しておく。今は、この街の風をもう少し感じていたい」




