第10話 続・キュプロス砦の番人⑥
目が覚める。
例の魔弾丸の着地音ではなく、小鳥の囀りで目覚める。
――何かが、既に決定的に違っていた。
「ノアのベッド……。古代遺跡ぶりか」
ハルトは、ゆっくりと上体を起こした。
呼吸が浅くない。侵攻を考えずに寝れたと。
肺の奥まで清涼な空気が驚くほど綺麗に通り、四肢には漲るような活力が満ちている。
まず最初に、三人増えたからだと考えた。
「あのユズハという少女はかなり強い。ディルクとかいう男の魔拳銃は有難い。ノアは……」
立ち上がり、一歩を踏み出す。
足が、脳の神経に導かれるように自然に前へ出た。
「ん?」
初動も決定的に異なった。
自身の身体に宿る一切の無駄が削ぎ落とされたような感覚。
脱皮したような感覚に、思わず息を呑む。
「足が……軽い」
しかも単衣ではない。
何度も脱皮を忘れた虫か蛇のよう。
そのまま歩き続けると仲間たちがいる。
「おい、なんだこれ」
「力の乗りが違う」
「……詠唱、短くなる」
「流れが整ってる。引っかからない」
ケインが笑いながら肩を回し、己の剛腕を振るったドルトが拳を握りしめる。
指先に魔力を乗せたルナの光は以前よりも鋭く、ミナもまた内側を流れる力の淀みのなさを認めていた。
「見張りしてたんだけどな」
「久しぶりに自分の肌を触った」
「分かる。ぷりぷり」
「肩に鉄塊でも乗っていたのか。いや、寧ろ今の方が」
熟睡して、キラキラしていた。
そして全員が、同じ異変を共有している。
「てかよ。これって上がってるな」
「うんうん。私の口から伝説のワードが出る。これってレベル」
「それも一段じゃないよ」
「複数の筋肉が言っている」
「気持ち悪い。一晩でレベルがぐんと上がった。なんていうか……」
リーダーの確信めいた感覚を、仲間たちが言葉を繋いで補完していく。
本来ならばあり得ない事態だ。だが、研ぎ澄まされた身体が何よりも雄弁に事実を証明していた。
青髪の青年の視線が、部屋の隅に置かれた藁束へと向けられる。
整えられたふっくらとした寝床。
形こそ簡易なものだが、不自然なほど崩れがなく、湿気も熱もこもっていない。
ノア曰く、拘り抜いた藁束。発酵がどうとか、防虫がどうとか。
とにかくそこには、清浄な空気が淀みなく流れ続けていた。
「……これか」
「ただの藁だろ」
「いや、違う」
仲間の疑問を、リーダーは即座に否定した。
理論よりも先に、魂が理解している。
戦士たちが低く呟き、魔導師が静かに名前を口にした。
「……あいつ」
「暁紅蓮隊……ね」
空気が一変する。
誰もが知っていた。
初期。異常な速度で戦線を押し上げたパーティの急成長を。
勿論、青葉も僅かに重なっている。
でも、漸く
「確信した。……同じ現象だ」
「おかしかったよ。やっぱり」
「これ、そういうことか?」
「あ。なんか、俺。気付いた。中央平原で」
「何、ブツブツ言ってんのー。前もあったでしょ」
そこでユズハが、軽い感じで会話に割って入った。
翡翠に輝かせ、少女は面白そうに口元を歪める。
そして、隣に座る少年を横目で捉える。
「ノアのレベルアップブースト!」
「レベルアップブースト?」
言い出しっぺを考えると、ユズハ的に複雑だ。
ただ、何より音が良かった。
白鷺の紋章の護衛ミッションで、その意味の深さを知った。
ぴったりの表現。
「経験がそのまま身になるんじゃん。偉いじゃん。ちゃんと努力してたってことだし」
そしてもう一度、振る。
「ね、ノア」
「えっと」
ノアが困ったように言葉を探すと、ディルクが立ち上がった。
「ユズハ姉の作戦勝ちだな」
「でしょ?つまりあたしのお陰」
「ノアのお陰だろっ……。いや、認めねぇし! 俺は別に強くなってねぇし」
「今回は、動いてないからでしょ」
「それはまぁ。……そこは認めてやる。すげぇけど、理に適ってる」
ここにはいないバルトの理屈だし、憶測。
努力や経験を取りこぼさないことで、起きる。
そして、青葉の剣といえば冒険者時代から真面目。
「あたしだし。んじゃ、帰ろっか」
「だな。ハルトだっけ? いけそうだろ」
ハルトは弾かれて頷く。
ドルトも筋肉を見つめて頷く。
ケインもニヤニヤと。
ミナとルナが短く頷く。
「暁紅蓮のように見違えたからな」
「あいつらのショック顔って、こういうことかよ」
「それは知らねぇが。マルシェリアに戻ろうぜぇ」
三人を見送る。
その視線の隣。
地図を広げたテーブル。
「いや、待ってくれ……」
ハルトは急いで、乱暴に叩いた。
「頭は軽くなった。作戦にも思考を巡らせられる」
「……で?どうすればいいの?」
「うん。その銃みたいなので魔法を撃たれる」
「攻撃されたら、また回復か」
青葉の剣の皆。
茶髪の青年もついでに頭を抱えた。
「強くなっても、あんま関係ねぇじゃねぇか」
遠距離にして、大量。
降り注ぐ魔法弾丸。
想像に難くなく……
「ここまで行っても、迎え撃たれて終わりだ」
「……だな」
「潰される」
「位置が悪い」
「退路もない」
「……無理だ」
戦士たちの否定が重なり、重苦しい沈黙が広がる。
「……やっぱ駄目か」
「無理なもんは無理だ」
「うーん。あたしもノアの声がないと当たってたし」
茶髪の青年が吐き捨て、希望のルーキーが首を傾げると、誰も否定できない。
だが、
その沈黙を穏やかな声が塗り替えた。
「いけそう……だけど」
全員の視線が、地図を見つめる鈍色の髪の少年に、再び集まった。
「……は?」
ベッドと少年の顔を交互に見る。
少年の顔は昨日と同じ。
「ノア。なんて」
「だってこの森、夜を過ごせるよ」
「いや……、無理だろ!」
「暗いとダクネス現象が出る」
「そこから砦、持たない」
少年は否定の嵐を柳のように受け流し、少しだけ首を傾げた。
地図にすっと指が滑る。
「前、この森で。バルカスさんの部隊から逸れたことあって」
ノア以外の時が止まる。
「ダクネスが出たけど。その日は、そのまま寝た」
「は?」
ゆっくりと秒針が一つだけ。
「朝になって、一人で砦に帰った」
「は?」
抵抗虚しく、空気が完全に止まった。
少年は気にする様子もなく、淡々と説明を続ける。
「次の日も、またバルカスさんの舞台から逸れて」
「また?」
「うん。僕が追い付こうとすると、いつの間にかいないんだ」
「え……、それって」
「で、寝て」
「いや!寝るなよ」
茶髪の青年の顔が引きつり、周囲も絶句する。
「朝になって、また一人で帰った」
ユズハのポニーテールも跳ねる。
「その次も、また逸れて。僕の背負子が」
「おい」
「その次の日は、夜にシャルルさんが来て」
リーダーの碧の瞳が、僅かに細められた。
「あのシャルルが?」
「うん。で、歩いてたら」
やはり昨日と変わらない表情で
「シャルルさん、危ない場所を踏んで、魔物が出た」
「だから、それって!」
ノアがやっと止まる。
「普通に、殺されかけてんじゃん!」
「どう聞いても、わざとだろ!」
ユズハとディルクの真っ当な指摘。
それに、少年は不思議そうに首を傾げた。
「ん、殺されてないよ?」
ユズハがはっ!と顔を上げた。
でも、止まった。
シャルルがノアに拘ってると気付いて、ディルクも閃き……かけた。
でも、止まった。
「森から砦までの安全なルートも、ちゃんと用意してくれてたし」
「魔物が出ない森……安全なルート?それはどこだ?」
「え?」
指し示された一点に、騎士たちの視線が吸い寄せられる。
「そこから、どうやって砦に行く」
「なんとなく?」
「……」
再び訪れた沈黙の中、少女が肩をすくめて笑った。
「商人の方の噂が本当って知ってたけど! 理解は無理っ! それなら、ノアが案内するしかないじゃん」
ディルクも同じく、肩をすくめた。
「……だな」




