第9話 続・キュプロス砦の番人⑤
キュプロス砦は、遠くからでも不自然に歪んで見えた。
崩れた外壁や削れた石材には、場当たり的な補修の跡だけが生々しく残っている。
放棄されたはずの要塞。だが、そこにはどす黒い生命の拍動が宿っていた。
「中央平原ぶりだな」
「あ、そうだっけ。って、ノアどした?」
「うん。前は定期的に冒険者が行ってた。意味があったんだなって」
「ダクネス現象が起きたら、砦が一番厄介だからなあ」
周囲を囲む森は密度が濃く、枝が複雑に絡み合い、陽光の一片さえ地上に落とさない。
湿った土は足音を吸い込み、踏み跡を残すことさえ許さなかった。
砦に近づくほど違和感は色濃くなる。
木々は低く、幹が不自然に歪んでいた。
それは、侵入者を正確に射抜くための「線」を確保すべく、意図的に切り取られた空間だ。
「その通りだ。正直に言う」
騎士団だけが着る白亜の制服。
真面目な性格もあって、キッチリと着ている。
「攻略に苦戦している」
ハルトは、一度だけ忌々しげに要塞を睨んだ。
「暁紅蓮隊は?」
「来ていない。別任務に回っているらしい」
「ギルドの話だと、暁紅蓮のが詳しいんだろ?」
「上が決めたことだ」
視線を戻し、簡潔に状況を告げた。
鈍色髪の少年は、少しだけ間を置いて言葉を反芻する。
「……別任務?」
「詳しくは軍法で伝えられない」
翡翠の瞳が僅かに光る。
少女は、周囲の森と砦の距離、そして不気味な空白を注意深く観察していた。
「砦からヤケに離れた場所ね」
「それ、俺も思ってた。全然砦が見えねぇぞ」
苦々しい顔をして、視線を切る。
「そこから説明が必要か。こっちへ来てくれ」
促された一行は、位置を変える。
密生する枝をかき分け、踏み固められた見えない道を進む。
やがて森が途切れる。
かなり遠いが、そこからなら砦が見える。
そして、不自然に切り取られた空間に影が動くのが見えた。
「……ゴブリン?」
「見た目はな」
「ただのゴブリンじゃない。ハルトとも共有しているけど」
「妙に正確な攻撃をしてくるの」
青葉の剣が集結している。
ケインが肩をすくめ、ルナが低い声で続けた。
「とにかく数が多い」
「射程距離が普通じゃないわ」
「だが削られるんだ。じわじわと」
「正直言って、回復に充ててる時間が多いの」
大剣を背負ったドルトが吐き捨て、ミナが静かに付け足した。
「回復ばっかってこと?あれってゴブリンじゃん?」
ユズハが確かめるように、一歩前へ出た。
「待て!」
即座に腕を掴もうと、制止したのはドルトだった。
その剛腕をすり抜けて、ひらけた場所へ踊りです。
そこで、ノアの鋭い声。
「ユズハ!」
少女は飛び退いた。
次の瞬間、少女がいた位置の地面が激しく抉れた。
遮蔽物を無視した、精密ではないが複数の攻撃。
間一髪で穴ぼこ、若しくは肉塊。
ユズハは、驚愕に目を見開いた。
「……は?」
「おい、今の……」
「距離と遮蔽物を無視してる」
ルナが表情を消し、茶髪の青年が抉れた痕跡を凝視した。
「ゴブリンアーチャーでも、こうはならない」
「そもそも魔法。ゴブリンのメイジ型?しかも複数……」
「いやいや、そうじゃねぇって……」
ディルクは確信を持って、その弾道を指し示す。
「……あ、確かに」
「何の話だ。そのゴブリンを」
「ゴブリンがどうとかじゃねぇよ。今のは魔法弾だ」
慣れた手つきでホルダーから取り出す。
青葉が首を傾げる中、パンと一発撃ってみせる。
「同じ攻撃!」
「いや、完全に同じじゃねぇが、系統は同じだ」
緊迫した沈黙が流れる。
騎士団としての守秘義務と、眼前の現実。
「どういうことだ?」
「いや。だが、しかし」
「もしかしてヴァンデル?職人ギルドが絡んでんのか?そんなことが」
「人間に使うなってパパが言ってたけどさ。そういうことじゃね?」
「ん…」
するとハルトは苦虫を潰す顔。
「それは……でも」
「ハルト」
そして迷うリーダーの背を、仲間たちの言葉が押した。
「いいだろ。こいつらには前、助けられている」
「隠しても意味はないわ」
「状況は共有した方がいい」
「判断材料になる」
ケインが軽く促すと、ミナとルナが短く頷く。
ドルトも腕を組んで、何度も頷いた。
青髪の青年は一度目を閉じ、決然と顔を上げた。
「その前に……ダクネス現象ではある」
ユズハとディルクは軽く目を剥く。
ノアは僅かに頷いた。
「だが、それだけじゃない。人間の動きがあった。間違いなく、アベリオン派の残党だ」
すると少女が苦々しく顔をしかめる。
「んー? 人間が渡したってこと? あそこ砦だし、詰みじゃん」
誰も否定しない。
一瞬の沈黙が場を支配する。
「いや、詰んじゃダメだろ。……中はどうなってんだ?」
「それが……分からない。そもそも侵入もできていない」
「入口まで行く前に削られる」
「中の情報が足りない」
「だから押し切れないんだ」
仲間たちが交互に窮状を吐露する。
ケインが顎で、静かに考える少年を示した。
「あ、でも。……こいつ、知ってんじゃねぇの」
視線が一点に集まる。
カルン冒険者ギルドで見せたミリアの目と同じ。
「え……と。昔、使われていた」
鈍色の髪が揺れる。
首を傾げて、俯きがちに話す。
「ノア?アイアンループの拠点だったんじゃん?」
「ん。えっと……居住スペースがあって。外から見える部分だけじゃなくて」
「ちょっと待て。作戦室に戻って書いてくれないか」
少年が足先で地面に線を引いた。
その瞬間に、ハルトが動いた。
皆、拠点に戻り、ボードの前に立つ。
するとノアが続きを書き始める。
「ここが外壁」
ノアは淡々と描く。
「中にもう一つ、壁があって」
そして、線が引かれる度に、青葉のみならず、ノアの仲間の表情が強張る。
「通路が分かれてる。逃げ道もあって」
外周。そして内周。
「多重構造……内部で分かれてて、そこから……」
ドルトがその情報を噛みしめ、ミナが静かに続けた。
「そこまで……。完全に籠もれる構造」
外で削られ、中で分断される。
そもそも、ディルクの武器を知ったばかり。
射線が通る場所しか見当たらない。
「どうやって攻略するんだよ」
「完全に詰みだな」
翡翠の瞳の少女は大きく伸びをして、乾いた笑いを漏らした。
「無理無理。詰んだ、詰んだ。詰んだし、取り敢えず、寝よ」
詰んだと宣言した少女は、軽やかにそう言った。




