第15話 諸侯連合分断戦⑥
戦いは、静寂の中に終わっていた。
感覚の麻痺した脳裏には、遅れて音が戻ってくる。
金属が擦れ合う残響、誰かの荒い呼吸、遠くで交わされる指示の声。
赤髪の剣士は、それらを他人事のように聞いていた。
ライガの指先は剣の柄を握っているはずなのに、感触はひどく遠い。
自分の身体が、まるで別人のもののようにズレている。
一歩踏み出そうとしても、地面を叩く振動が僅かに遅れて伝わってくる。
先ほどまでの死闘と同じ、致命的な違和感。
ほんの少しのズレが、すべてを崩壊させていく感覚。
それが、今もなお尾を引いていた。
「ライガ!」
フィナの声に、弾かれたように振り向く。
少女はすぐそこにいた。無事だ。傷も、浅い。
安堵が胸を打つはずだった。
だが、その感情すらも、幕の向こう側の出来事のように淡い。
視線が、吸い寄せられるように戦場の中央へと動く。
そこには、打ち倒された黒装束の男が横たわっていた。
ヴェイルと言う名の男。
その周囲を、五彩の面々が取り囲んでいる。
――そう、ファイブカラーは六人だった。
空間の歪みが完全にほどけ、一人の黒ずくめの男が姿を現していた。
その頬には、鮮血の筋が一本走っている。
ライゼンの顔が苦々しく歪んだ。
「……ちっ」
低く吐き捨てられた舌打ち。
赤の装束の男は、戦場の外縁に佇む一点を射抜くように睨みつけた。
岩陰。鈍色の髪。背負われた藁束。
ノア。その存在を認めると、男は言い訳を吐き出すように言葉を繋いだ。
「違うぞ。賃金分、働いただけだ」
余裕は、完全に崩れ去っていた。
「引くぞ」
短い号令が飛ぶ。
アルシアが一歩下がり、ハルドが周囲の安全を確認する。
ヴェルナが手早くヴェイルを引き起こし、ゼルクが苛立ちを隠さぬまま距離を取った。
一分の乱れもない撤退。
六つの影は、乾いた岩場を右手に、南方へと溶けるように消えていった。
「く……。役に立たぬではないか。所詮は冒険者……」
レジナルド・フェアクロフト卿の烏合の衆も散っていく。
残されたのは、荒涼とした風と、無残に踏み荒らされた戦場の跡だけだった。
◇
風が岩肌を撫で、砂塵と麦わらを舞い上げる。
その中で、一人の男が優雅な足運びで歩み寄ってきた。
漆黒の長い髪をなびかせ、無駄のない所作で近づく姿は、戦場の汚れを感じさせない。
レン。
だが、その冷徹な視線が向いているのは、満身創痍のライガではなく、その奥。
鈍色の髪の少年。えんじ色のポニーテール。油に汚れた作業服の男。
三人を正確に捉え、黒髪の少年は僅かに頭を下げた。
「お三方。大変、助かりました」
丁寧な声。礼としては完璧だ。
だが、その瞳の奥は一向に揺るがない。
軽く肩をすくめた笑顔。そして——
「私の想定より、ランクBの二チームが弱くて、どうしようかと思っていたのです」
静かに、当然の帰結であるかのように言い切った。
その場の空気が、瞬間的に氷結した。
「お前……何を言ってんだよ」
ライガの声が、低く震える。
怒りと違和感が混濁し、言葉にならない。
「アンタだって、苦戦してたじゃない!」
シエラが鋭い棘を含んだ声で言い放った。
それに対し、黒髪の少年は僅かに首を傾けてみせる。
そして、柔和な微笑みを浮かべた。
「全体の動線管理と誘導を行っていたつもりですが……。私の計算不足でした」
「計算……不足……?」
フィナも戸惑いで瞳が震える。
騎士養成学校で知り合った東方人。
地図を立体的に見ることが出来る男。
五人チームに拘ったライガは快く受け入れた。
確かに優秀で、でも
「でも、良かったではないですか」
穏やかな声音。
それは、戸惑いを強くさせる非情な宣告だった。
「諸侯連合は東西で分断。予定通り、作戦は成功したんです」
王政府が率いる騎士団にとって、それは正しい。
流した血も、味わった死の恐怖も、すべては結果を得るための過程に過ぎない。
そう断じる響きが、その笑顔にはあった。
青年の視線が、背負い藁を揺らす鈍色の髪へと滑る。
「それにしても。素晴らしいです。状況の違和感に気付き、藁の軌道で不可視の人間を見抜くとは。私もおかしいとは思っていたんですが」
ほんの一瞬、暁紅蓮と青葉の顔が固まる。
レンは気にせず、隣に立つ翡翠の瞳を持つ少女へと視線を流す。
爽やかな笑み。
「ユズハさんでしたっけ。素晴らしいお仲間をお持ちですね」
その言葉が冷たく落ちた瞬間
ライガの視界が大きく揺らいだ。
膝の力が抜け、支えを失ったように身体が崩れる。
音もなく、戦士は石畳の上に崩れ落ちた。
「で、君は。その技術はヴァンデルですよね」
「あ?……そうだけど」
「ま……君はいいですね」
「はぁ?どういう意味だよ。ってか誰だよ」
◇
ディルクの絶叫が、張り詰めた空気を叩き割った。
戦場に停滞していた余韻が、一気に世俗の喧騒へと引き戻される。
えんじ色の髪を揺らし、少女が肩をすくめた。
「って! 魔法石! どうすんだよ! 何も解決してねぇぞ!」
「アンタも見たじゃん。あのカリスって人」
ユズハは軽く顎で、西を睨む。
「ノアに顔面パンチされて、怒り狂ってるんだし。ね、ノア」
「え、だから。……あの時は、アルファに捨てられたショックで。どうかしてて……」
鈍色の髪の下、僅かに目を逸らして呟く。
一拍の沈黙。少女が翡翠の瞳を細めた。
「どうかしてて、ね。謝りに行く?」
「謝ったら許してくれる……かな」
「えー、あたし分かんなーい」
「いやいやいや! そこじゃねぇだろっ!は?アルファ?」
ディルクが即座に噛みつく。
張り詰めていた空気が、霧散するように飛んでいく。
少年は、いつものように力なく肩をすくめた。
「そもそも。僕はその武器に反対です」
「え?そこ?」
淡々と、ノアは視線を落とした。
「その武器、危ないし」
「いやいや。待てって。アルファっていや」
「あの人、当たりどころが悪かったら死んでましたよ」
「ん-。確かに?」
「は?ユズハ姉まで何を言ってんだよ。って、もっと説明しろ!」
ディルクは叫ぶ。
その声が届く場所。
少し離れたところで、黒髪の少年が静かに踵を返す。
「さ。帰りましょう。これで分断は成立しました」
レンの声は穏やかだが、有無を言わせぬ合理の響きがあった。
「この隙に兵を送り込めば、完全に切り離せます。報告が優先です」
「……あぁ。そういう作戦だったな」
ハルトの短い頷きが、すべてを決定づけた。
青葉の剣が動き出し、暁紅蓮隊もそれに続く。
ライガは、まだ足元が覚束ない。
それでも、フィナに支えられながら泥を払って立ち上がる。
「形はどうあれ、作戦は成功……」
シエラは一瞬だけ目を閉じ、決然と顔を上げた。
これは個人的な栄光を掴むための戦いではない。
冷徹な任務なのだと、全員が少しずつ理解していく。
ただ、一度だけ、三人の影を振り返る。
ノア。ユズハ。ディルク。
交わされる言葉はない。
ただ、その存在を網膜に焼き付けるように確認し、背を向ける。
歩き出す冒険者たちの背に、迷いはなかった。それが正しい選択だと知っているからだ。
「ガストン騎士団長も泡を吹かせてやりましょう!」
◇
ノアは、遠ざかる背中をじっと見つめていた。
呼び止めることも、手を振ることもない。
ただ、静かに。どこか、僅かな寂寥を瞳に宿して。
「皆様も!早くここから退避してください!反逆者にされてしまいますよぉおおおお!」
足音が遠のき、風がまた一つ吹き抜ける。
乾いた地面を撫でて、一本の細い藁をさらった。
舞い上がった藁は、青白い空に弧を描いて、ゆっくりと地面へ落ちていく。
少年は、それだけを追っていた。
「そういえば、ノア。結局、今回のあたしの武器ってなんだった?」
ユズハがふと思い出したように口を開く。
少年は視線を戻し、僅かに首を傾げた。
「え? 蹴ってたじゃないですか」
「はぁ? 用意してなかっただけじゃん」
「いえ。何でも使えるということは、徒手。格闘技もいけるということです」
さらりと言い切る少年の言葉に、一瞬の沈黙が訪れた。
茶髪の男が、ぼそっと呟く。
「やっぱ……ユズハ姉、ぱねぇな」




