第77話 母の遺志
要点だけ抑えた言い方をするとしたら、「美銀は僕の母親である御船いろはを知っていた」
そこに至るまでの事情があまりにも複雑であったために、今は父親が一人で使っている御船家のマンションに着いて、母さんの写真が置かれた仏壇の前で手を合わしたあと、僕と蓮はリビングでおよそ一時間ほど美銀本人から説明を受けた。
美銀の母親である白刃雪乃は、僕の母親である御船いろはと、アマリリスの店長であるユリさんを合わせた女三人の大親友だった。
しかし、難産で体を壊したいろはと雪乃が些細な言い合いから大喧嘩して、疎遠となってしまった。
いろはは亡くなる一か月前に一度病院を抜け出し、アマリリスを訪れてユリさんに最後の挨拶をしたというのは、僕の父親である蓮からの情報。
点滴生活の体に外はあまりにも過酷で、最後は意識を無くした母さんを父さんが担いで病院まで連れ帰った。
そのあとは、またおとなしく病室で手紙を書くことを続けたそうだ。
しかし、アマリリスを訪れたあとは眠っている日の方が多くなり、筆もほとんど進んでいなかった。
無理をして外出をしたから、というのが理由かと言われたら、そうではないように見えたらしい。
まるで眠る日々がこれから始まると予感していたから、最後の力を振り絞っただけだったと。
死期を悟り、何を思ったのかはわからないが母さんは酸素マスクを付けて喋れない状態になっても、ペンと紙で思いを込めた手紙を書き続けた。
蓮が仕事と子育ての合間に病院を訪れても、眠っている日の方が多かった。
それでもお見舞いの花を添えるだけで、十分だったらしい。
病室に訪れて、サイドテーブルの上に書き終えた手紙の入った封筒があるだけで、起きていたことが分かったから。
最後の一か月間に書いていた手紙の封筒にある日付は、蓮向けには西暦2070年で和士にいたっては西暦2090年となっているので、忘れてしまいそうになるぐらい未来への手紙を書いていると、思わず笑ってしまったらしい。
そして、ここからが僕や蓮が知らなかった情報。
美銀の母親である雪乃しか持っていなかった情報を、娘である美銀が雪乃の死後もたった一人で受け継ぎ、僕たちに伝えてくれた、貴重で重要で大切な思い出。
いろはが亡くなる数日前。
蓮に母親としての最期のわがままを言った、さらにその数日前。
御船いろはは、仲の良かった親友がこっそりと病室へ訪れたことに勘付いたように、ふっと目を覚ました。
生きているか死んでいるかもわからない、あやふやな状態であっても寝顔ぐらいは見ておかないといけない。これが本当に最後になるかもしれないと。
絶縁状態をその日だけ解除し、雪乃は夕暮れ時に病室を訪れた。
起きるとは思っていなかったそうだ。
眠ってはいるが、生きている姿を見られたらそれで満足だった。
だからこそ、いろはが起きてくれて、最後のおしゃべりができたことはずっと記憶にこびりつくほど、大切な思い出であったとのこと。
それを、雪乃は娘である美銀に対して耳にタコができるほど、話していた。
僕が父さんから惚気話を聞いて、うんざりするのと似たような調子で。
けれど、美銀は『母親の親友』という一見すれば自分とあまり関わり合いのない人間の話を聞くたび、憧れにも似たような感覚を覚えたらしい。
いろはの話になるとより一層、寂しさなど感じないぐらい目を輝かせて話す母親の姿は『輝くばかりの美しさ』のように、眩しかった。
――お母さんを、ここまでおしゃべりにさせるいろはって人は、どんな人なのだろう?
そんな疑問と、興味と、好奇心を強く抱いた。
心の中にふと湧き出た謎が、ずっと残り続けた。
それは、雪乃を交通事故で亡くした、そのあとも。
大好きな母親を亡くす、越えられないトラウマを抱えながらも、美銀は生き続けた。
物心ついた時からある疑問。こびりついてしまった記憶を紐解けるまでは、死ねないと。
鎖のように雁字搦めに縛りつける謎を解き明かすため、惰性で生き続ける手段として手に入れた生き方が、ポーカーフェイス。
感情を殺し、感性を信じ込み、感傷に浸らないことを決めた。
いつか答えに巡り合うと信じ、最短最効率の道筋を進むための機械的な在り方。
およそ人間らしくない、人形のような思考ルーティン。
それを、小学二年生という幼い少女のうちに、あっさりと、ばっさりと、ひっそりと。決めてしまったそうだ。
その時母親と二人で住んでいた家から、もっと家賃の安いアパートに引っ越しをさせてもらい、たった一人で生活をしていたというのだから覚悟が違う。
海外で軌道に乗ってきた父親の夢を壊したくないために、一人でも生活できるように家事スキルを上げていき、一人で家を回せるようになった。
父親を安心させるため。
父親を心配させないため。
そしてそれ以上に、自分の目的のため。
母親の遺したものを追い求めるため、母親の面影を知っている人を探すため。
大切な身内が死んだことを受け入れられないなら、誰か別の人にそれを求めればいい。
究極的に美銀の求めているのは母親の面影と、母性だった。
求め、探し続けた。
母親に褒められた勘を使って、父親に後押しされた勘を使って。
感性を信じ、勘を信じ込み、予感にただ身を任せる。
それは、ともすれば自分を顧みない在り方でもあった。
自分の持っている力に振り回されている――と、美銀は自嘲気味にそういった。
意志で動いているわけではなく、機械的な力に頼るだけ。
ソナーやセンサーに引っかかった獲物を、なんの躊躇もなく獲り漁る。
そこには自分の意志も意図もない。
ただの効率を求めた、最適解の構図。
それは最適解であっても、そうであるからこそ、なんの色もない。
真っ白なキャンバスのように、色のない世界。
見える景色に色はなかった。
見ている人に色は感じなかった。
感じることすらやめていた。
考えることすら終えていた。
だから。
御船和士という人間と入学式の体育館裏で初めて出会ったとき、その人間から感じ取った虹のような多色性は、真っ白な美銀にとって恐ろしいぐらいに眩しかった。
いつしか、自分の母親にもあった眩しさ。
星のようで、光のような輝き。
そしてどこか、「いろは」と通じるような色と雰囲気。
――この人だ。この人が、私が会いたかった人だ。
心の奥底でそう確信した。
理屈で言い表せない己の勘だけが、そう信じた。
蝋燭に群がる蛾のように。
この身と心が焦がれ、燃え尽きてしまっても、それでも良いと思えるほど尽くしたいという自分自身の確固たる意志が、燃え上がるようによみがえった。
御船和士が持つ懐かしい面影と色に。
白刃美銀は、一目惚れした。
そしてようやく。
その一目惚れが何の理由もなしに起きたことではなかったのが、それぞれの母親のつながりが明らかになったことで証明できた。
いろはが雪乃へ託した最後の想いと願いがあり、引き継いだ娘の美銀はそれがどこにあるのかを無意識のうちに探し続けていた。
この願いを、この想いを伝えるべき相手は誰なのか?
歩き回り、探し回り、調べまわり。
けれど結局、当人同士が惹かれ合うことが最短の道のりだった。
わざわざ動き回らずとも、来るべき時が来るまでただ生きていればよかっただけ。
それが一番単純でありながら、難しい問題であったことは言うまでもない。
妻を亡くすことを知り、後追い自殺を考える父親。
母親の愛情を手紙越しにしか感じられず、中学生で想い人と死別して心にぽっかりと穴が開いた少年。
訃報を受けて、軌道に乗っていた仕事から一時撤退することになり、悲しみに明け暮れた父親。
大好きだった母親を亡くし、生きる気力と精気を殺された少女。
二人の母親が、残される家族の生きる力をどうにか奮い立たせ、自分たちの想いを残すためには策略と、運が必要だった。
人生を賭けた、最期で最大の大博打。
いろはが賭けた博打に、雪乃は乗った。
乗らなかったら、誰かが欠けていた。
いろはは和士へ手紙を遺し。
雪乃は美銀に想いを遺した。
子供が自分のことを忘れることがないように。
ずっと記憶に残り続けたいという母親のわがまま。
それは、僕と美銀が出会ったことで偶然とも暗号ともいえる形で、叶えられた。
どこにあるかもわからない、あの世にいる母親二人の大勝だった。
きっとほくそ笑みながら、お互いがどれだけ貢献したかを言い争っていたりしそうだと。
リビングで話していた僕らは、そんな母親二人の姿を想像して笑いあい、長い話を終えた。
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次回「ルシッド‐ドリーミング」です。




