第72話 失恋
「クラゲ、どこさ」
翔君は投げかけた質問にちゃんとした答えが返ってこなければ、いじけてそのまま門の中へ帰ってしまいそうな口調で言う。
「あーそこじゃよく見えないよ。ほらほらもっとちこう寄ってさ!」
ちょいちょいと手招きをするが、日差しの強い日中では見えるか見えないギリギリのラインだろう。
訝しみながら、翔君は門を開いてゆっくりと近づいてくる。
ふっふ、残念だったな翔君。
固く閉ざされた門をちょっとした興味で開いた時点で、ほぼ間違いなく勝ち確なのさ。
歩きやすいように手を取って、クラゲの下へ連れていく。
そして、触らせる。
触れることの出来ない、触れる事すら危ない。
普通のクラゲなら無理な、ふれあい。
それは、ただの布には無縁なお話であり、クラゲもどきのスカートは「どうぞいくらでも」と言わんばかりに、透き通ってさらさらと触り心地の良い布地を思う存分アピール。
「……あっ、え。さわれる……」
「どう? さわれるクラゲ。他には絶対ないよ」
ぺたぺた、さわさわ。
「あ、あの、くすぐったいです」
「ん? え、美銀さん……の、スカート……?」
どうやら翔君は何を触っていたのかまでは分かっていなかったらしい。
「え、うわっごめんなさい! ぼく美銀さんのスカートを!」
「いえ、別に大丈夫ですよ……。むしろ今しかこんなチャンスはないかもしれませんし、構いません」
頬を染め、恥ずかしがりながら言った美銀に便乗。
「そうだそうだ。好きな女子のスカートを大義名分で触れる機会なんてなかなかないよ。今のうちに一生分触った方が良いよ」
「えっ、そうかな……? ってだめでしょ! お兄さんやっぱりちょっとエッチじゃん!」
「翔君みたいなむっつりスケベではないよぉ~?」
「ぼくはむっつりじゃない!」
わーわーと叫んで自分の無実を主張する様は、なんとも可愛らしいものだ。
「て、ていうかクラゲってどこにあるのさ! お兄さん嘘ついたね!?」
「いやぁ? これはちゃんとクラゲだよ?」
そう言って僕は美銀の被っている麦わら帽子を取り、翔君に被せる。
帽子を被って目先が少し暗くなることで、ロービジョンの彼は物が見えやすくなるのだ。
青と白が太陽の光で眩しいクラゲのスカートが、彼の目にも見えるものとなる。
「……あ、きれい……」
ぽそりとこぼれたように彼は呟く。
美しい物に圧倒され、自然と言葉を無くし、ただ目を輝かせてスカートを見ている。
やっぱりそうだ。
翔君は、クラゲもそうだがキラキラした物が好きなんだ。
暗い中で映える物。
きっと彼は、宇宙とか海も大好きだろう。
だから、このスカートが生み出すファンタジックな雰囲気が、むしろ彼の心を掴み、見惚れさせた。
「翔君。特別に、彼氏であるこの僕が、今この時だけ美銀のスカートに触る事を許可します。もしこの時以外で、美銀に触ろうとしたのならその白杖を折りにいく」
宣戦布告に対して、こちらも徹底抗戦の意を示す。
けれど、彼はどこかあっさりと次の言葉を続けた。すっきりしたように、気分が晴れ渡ったように。
「……そっか。やっぱり、二人はもう付き合ってるんだ」
翔君は麦わら帽子で自分の目元を隠して、手でごしごしとこする。泣いているところを見られたくない見栄が、男らしい。
「諦めたくないし、諦めるつもりもなかったけど。お兄さんに脅されて、心をぼきぼきに折られちゃったら、仕方ないよね」
はは、と乾いた笑いのなかで、俯きながら彼は涙ぐんでいた。
諦めたのではない。
諦めさせられたのだと。
翔君はそう思い込み、自分を納得させようとしていた。
美銀の幸せを望むその気高さは、年上から見ても、先輩である僕だからこそ、光り輝く明けの明星のように力強く、美しいと感じる。
「星の王子さま……」
「え、お兄さんなんか言った?」
「いや、なんでも。それよりスカート触らなくていいの?」
ぺしっと美銀から頭を叩かれる。
「少年になんてこと吹き込むのですか……」
「年上の男が教えるのは、大体悪知恵なんだよ」
「こら、開き直るんじゃありません!」
ぺし、ぺしと今度は肩を軽くたたかれる。
ぷんぷんと怒る彼女は気にせず翔君を覗きこもうとするが、彼は深く被っていた帽子を外して、まっすぐに僕を見据える。
「お兄さんが居るのに、そんなことできないよ」
「……へぇ、僕が居なかったらするの?」
「この世から居なくなったら」
「はは、これは簡単には死ねないなぁ」
その掛け合いが、お互いの男を認め合った瞬間でもあるのだが、きょとんとしている美銀を見ると、やはり女の子には分からない重大な話もあるものだ。
「はい」
翔君は美銀の方へ、麦わら帽子を両手で差し出す。
が、彼女は首を横に振ってそれを受け取らない。
「和士が私から取って、翔君に渡した物ですから、受け取れません」
「えっ? ……じゃあ、はいお兄さん」
今度は僕の方に差し出すが、それも断る。
「あげるよ」
「え、でもこれ美銀さんのじゃ……」
「翔君、二度目は言わない」
ただその言葉で、僕の意志を伝えた。
健闘を称え、お見事あっぱれと。
芯の強い男気に報いる、誠心誠意を込めた贈り物。
「……ありがと……」
そう言って、彼は麦わら帽子を深く被った。
「クラゲ、ありがと。すごく綺麗だった」
「うん、よかった」
「じゃ、和士さん、美銀さん。スケベェなことはほどほどにね?」
かん、かん、かん。
白杖を鳴らし、涙は麦わら帽子で隠し、櫻野翔は自分の住む家へ帰っていく。
夏の日差しが強く照り付けるこの日。
少年はたくさんの思い出を作る事ができる夏休みを、失恋で終えた。
だが、別れ際に閉じかけた門から見えた少年の姿には、まだ見ぬ可能性と強い意志を感じた。
そうでなくては、張り合いがない。
迷いなく、決して諦めない不屈の根性。
だからこそ。
そうであるからこそ。
美銀の彼氏として、男として負けられないって、奮い立つのだから。
「さっ、じゃあ行こうか、美銀」
「和士から呼び捨て……嬉しくて死にそう……」
「あそ。美銀さん、到着時間が変わったことをメッセージで父さんに送っとくよ」
「ねー和士!? なんでそんな意地悪するんですかぁ!」
「うるさいなぁ、いいじゃん可愛らしく拗ねる顔を見れてるんだから」
「それはあなたの都合で、私にメリットありませんよね!?」
「僕がより一層君に惚れたままでいるっていうメリットはあるよ」
「なら良し。存分に私をいじめなさい。そして恥ずかしい顔もあられもない姿も情けない裸もその目でこじ開けるぐらい貫き通しなさい」
寒気で真っ白に冷めた視線で、彼女の目と心をぶっ刺す。
「あ、だめ……それいいかも」
「嘘でしょ……」
前々から怪しい性癖してるなと思っていたけど、これは重傷で重症だ。
直して、治して、矯正して、嬌声もあげられないぐらいにしてやろう。
そんな他愛もない情事を細々と慎ましくできる時間は、これからたっぷりあるのだから。
そう考えて、美銀の手を握り駅へと歩みを進めた。
普通に握っただけなのに、美銀は指を絡めてきたのを「暑いよ」と言って振りほどけば、さらに可哀想で可愛いリアクションをしてくれるだろうけど、ここは鞭ではなく飴の出番。
絡めてきた細い指を包むように握り返したら、嬉しそうに腕に頬ずりしてくる彼女の姿が、いとおかしいぐらい愛おしかった。
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次回「トラウマとの和解」です。




