第70話 決別
「ありがとう、美銀さん……」
「落ち着きました?」
「うん」
彼女の抱擁から脱したのは、時間にしておよそ三十分後だった。
時計を見てそんなに時間が経っていたことに驚き、改めて美銀と向かい直ると何故か額に汗をにじませて、苦しそうに見える。
「……ああっ! ご、ごめん! 重かったよね! そうだよね、ずっと男がもたれかかってたらしんどいよね!」
「へ、平気です……膝が笑って許してますから……」
「立てないぐらいしんどかった!? マジでごめん!」
フローリングの床に三十分も座り続けていたら、そりゃ表情が苦くなるのも仕方ない。
なんて負担をかけてしまったのかと自責の念が堪えないが、それと同時に感謝も湧き出てくる。
「……どんなお礼を言ったらいいか」
「当たり前のことをしただけです。大切な人が苦しんでいるのを見て、何も思わないわけないですから」
「そんな……僕みたいな男なんて……」
「こら、またそんなことを言う」
ぺしっと、デコピンされた。
「言ったでしょう? 和士の事を悪く言う人はたとえあなた自身であっても許さないと。自分を卑下してどうするのです。私まで馬鹿にされてるように思いますよ?」
「そ、そんなことない!」
「そう聞こえてしまうという話です。もっと自分を誇りに思ってください。あなたに惚れた人間が周りには居るのですから」
惚れたなんて、言われるのは筋違いだ。
僕の在り方に惚れたんじゃない。僕の借りた在り方に惚れてくれているだけだ。
御船和士の在り方ではなく、尊敬する人の在り方が魅力的なだけなのだと。
「いいえ、きっとそうではないのです」
「えっ?」
「あなたが思っている以上に、それはあなた自身の魅力に繋がっているのです。他人を心から尊敬して、その人のようになりたいと願う心持が、ただの真似事であるわけがないのです」
口には出していないのに、察したように言われる。
察したように、ではない。
本当に、僕の心と繋がっている……?
美銀は、あの写真に写っていた少女のように。
心の底から、誰かの幸せを願う屈託のない笑みで顔を明るくしつつ、言い放つ。
「そうだ和士! 小旅行に行きましょう!」
「……へっ?」
旅行?
どこに?
突然言い出した言葉に理解が追い付かず、彼女の次の発言を茫然と待っていた。
「散々連れ回しましたからね。今度は私が誠意をもって行動しなければいけません!」
「せ、誠意?」
「はい、あなたのお父様にご挨拶したいです!」
……本当。
読めない行動をする人であることは、たった数か月の付き合いでも十二分に分からされていたのだけど。
今となっては、彼女に振り回されるのが、どこか快感のように思い込み始めているのだから、うまーく調教されている。
ああ、僕、Mになっちゃったよ。
*
白刃家にお邪魔したあと、休養と夏休みの課題消化も兼ねて数日間は落ち着いた生活サイクルを送っていた。
それと同時に、夏休み最後の旅行も計画して。
八月二十八日。
朝の十時に僕の家で美銀と集合して、父親の御船蓮に電話した。というか、厳密にはされた。
「初めまして。私、和士君の彼女をさせていただいてます、白刃美銀と申します。突然のお電話失礼します」
『レンタル彼女って本当にいるんですね』
スピーカーで通話していた為、僕にも蓮の声は聞こえている。
うん、こんなツッコミが帰ってくるのは薄々分かっていたよ。なんせ僕の親だからね。
『うそうそ。初めまして、和士の父親の御船蓮です。息子は迷惑かけてませんか?』
「むしろ私の方が迷惑かけてばかりで、いつも助けられてます。わがままを聞いてくれる優しい人で、惚れ込んでます」
隣で愛の言葉を他人に向かって言われるだけなのに、顔の火照りが収まらない。
恥ずかしい。身内に聞かれる惚気ってこんな感じなのか……。
『良い彼女さんだねぇ、なあ和士? 一緒に居るんだろう?』
「あーうん。おはよう父さん。急な話なんだけど、今日実家に帰ろうと思っててさ」
『また突然だね……。ん、いや丁度いいか。構わないよ。父さんも今実家辺りに居るからいつでもおいで。迎えに行こうか?』
「えーと、じゃあ最寄り駅まで行くからそこで拾ってもらっても良い?」
『任された。じゃあ到着時間をまた連絡して』
なんか、トントン拍子で話が進んでることにこっちが驚いてしまう。
動揺も動転もしない、常に静かな波をキープしてる蓮に畏怖すらおぼえるけど、昔の美銀に似てる。
おおよその到着時刻を伝えて、了承した蓮は電話越しに独り言を発する。
『いやぁでもタイミングが良かったよ。今日じゃないと実家にはいないからさ』
「え、そうだったの?」
『明日は沖縄まで飛ぶからね。そこから九州を上がっていくから、実家に帰れるのは年末だと思う』
なんて……自由人。
本当にギリギリだったわけだ……。
『それじゃ、楽しみに待ってるよー』
そう言って蓮の方から電話を切った。
「ね? 今日で良かったでしょう?」
「美銀さんに疑いを持つ暇すら無くなってきたよ」
「案ずるより産むがやすし……あ、いえさすがに子供を産む時は緊張しそうですね」
……いや、多分その隣で一番あたふたしてるのが僕だと思う。
産む本人はむしろ「当然ですが」みたいな顔してそう。
「さて、じゃあちょっとだけ寄り道しましょう」
「……え? 寄り道? どこに?」
どの電車に乗って、どこで乗り換えをしてというのは相談したが、寄り道という話は全く聞いていないから首を傾げる。
「けじめは、つけておかないといけませんので」
「え、そんな怖い人達とつるんでいたの……!?」
「私が元ヤンだったら別れます?」
「元ヤンというより現病ンだよね」
「重いぐらいが丁度いいって再度分からせてあげようかしら」
「もう、もう分かってます。だから大丈夫、はい……」
別の意味で怖いんだよ。
壊れていた物が一周回って人間味を取り戻したって感じで魅力的だけどさ。
ノスタルジックな考えが抜けてないな、僕。
「……私を好きでいてくれている少年に、ちゃんと説得をしないといけないので」
何かに詫びるような、悲痛な面持ちで。
本当なら言いたくないようなことを絞り出して言い放った美銀は、自分の携帯を取り出し、誰かに電話をかけた。
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次回「星は自分の輝きを知らない」です。




