第63話 風呂場でのご褒美
「ふいー……」
湯船に入り、墓参りで溜まった一日の疲労が抜けるように溢れだす。まぁ単純な疲労だけでなく、精神的な緊張もほぐされたような気がするのはこの場所が今日唯一の一人きりスポットでもあるからだろう。
一人の時間を確保できたことで、気力がじわじわと回復していく。
そのまま観察するように風呂場を見回し、色んな事に気が付く。
たとえば、消耗品であるシャンプーやボディソープのボトルが無い小奇麗な、というより使われていないような空間であること。
さっき刀夜が冷蔵庫から紙パックの麦茶を取り出した時にも察していたが、ここは家として残っているがあまり使っていないようだ。
それでも奇麗な状態が保たれているのは、家を空ける前にしっかりと掃除をしていた証だろう。
風呂場に向かう時、美銀から渡されたバスタオルや旅行用の使い捨てシャンプーから見ても、住んでいる家とは言い難い。
それでも整理整頓されているのは、大事な思い出が残っているから。
でも、まぁ……。
色々頭を回したら少し気が紛れるかと信じてやってみたが。
やっぱり、とある考えが、思考が頭から離れない。
「……さっきまで、美銀さんがここでシャワー浴びてたんだよな……」
恋人が、彼女がここで裸でいたなんて想像してしまうと。
いや、そんな遠回しなこと考えてる時点で思春期甚だしいよな、気持ち悪い。
もう少しましな思考回路は無いのか。
そう、例えば。
お湯が透明な緑色をしており、樹のような優しい香りがするのは、わざわざ入浴剤を入れてくれたとか。
ドアを開けたタイミングで丁度風呂が溜まっていたのは、タイマーを設定して僕の為に一番風呂を用意してくれていたとか。
献身的過ぎる、良いお嫁さんになる。
でも、風呂場の掃除をシャワー浴びた体で、もっと言えば裸で、そのままやっていたのかなとか予想すると。
ぺちんと自分で自分の頬を叩いた。
軽く、二回。さながら往復ビンタだ。
「はぁ……何考えてんだよ僕」
ざばっと湯船から上がって、不純な考えと体を洗うことにする。
シャワーの前にある椅子に座ったその時。
ガチャ。
浴場のドアが開く音がした。
「っ!? はっ、なん、なんでっ……!」
「あら、良い反応ですね」
咄嗟の出来事に動転して隠すべきところを隠さず、自分の口を手で抑えてしまう。
そこには、エプロンを付けて新妻感を漂わせている美銀が立っていた。
僕の一糸まとわない姿を見て、表情すら変えずに。
「裸の方が良かったですか?」
「読まれたっ!?」
「私は濡れても大丈夫なのですが、仕方ありません。和士が望むなら……」
言いながら、脱ぐためにエプロンの後ろに手を回す動作を見て僕はすっぽんぽんであることも忘れ、椅子から立ち上がり、美銀の腕を力強く掴む。
「何しに来たの? 刀夜さんいるでしょ? 僕の裸が見たかったの? 僕と同じぐらいドスケベだね?」
「まぁまぁ落ち着いてください」
「出ていかないなら襲うよ?」
「それは困ります。私はお背中を流しにきただけですので」
「誘ってるの? ねぇ?」
「大丈夫です、静かにしていればお父さんにもバレません」
不敵に微笑む美銀の顔は、悪魔の笑顔に近い。
たぶらかすのがお上手なこと。いつか本当に襲ってやろうか。
美銀は声を出さず僕の肩をとんとんと叩き、こちらへ背中を向けるように促してくる。正直、出ていってほしい気持ちよりこれ以上精神的な疲労を重ねるのが面倒になり、僕は渋々従う。
裸を見られて恥ずかしいはずなのに、風呂場で二人きりの状況が刀夜に知られてしまうことを恐れ、彼女が満足するまで付き合うことにした。
「はぁ……やっぱりあなた、良い身体してますね……」
背中を、僕の筋肉を見てうっとりした声を後ろから感じて、例えようのない恐怖心がちくちくと胸に刺さる。
嬉々とした声が貞操の危機を感じさせるなんて経験、初めてだった。こんな経験、二度とあってほしくない。
「では、まず上半身から洗っていきますね」
「まずって何さ、背中だけで良いって」
「いえ、まだ体洗ってませんよね? 全身くまなくいきますよ?」
「やめて」
「でも、これご褒美ですよ? しかもAランクの」
「あ、そうなんですか……。いや嬉しいけど、僕の理性が保てなくなるような事は本当におやめください……後生です……」
僕の願いを聞いて腕を組み考え込む美銀。
そんな彼女を目の前に掛けられている鏡越しに見つめ、熱い視線を送る。実際、本能と畏怖に挟まれ興奮状態で頭も体も熱い。
「そこまで訴えてくるなら、分かりました。けどそれだとご褒美としては弱すぎるので、他の事も考えておきます」
「あっ、はい……」
とりあえず目の前の問題は解決だ。
美銀は安心している僕をよそに、ぐいっと僕の前面を覗き込む。それは別に僕の体を見たいためでなく、洗面器やシャワーパッドを手前に持ってくるためであったことは分かっているが、思わず両手で恥部を隠してしまう。
「なんと言いますか、和士がそんなに恥ずかしがるとは思っていませんでした」
「いやいや……逆になんで慣れてるのか聞きたいぐらいですが?」
「慣れてるというわけではなくて、嬉しさが少し勝っているだけですよ。好きな人の為に尽くせるというのは、不思議と心が満たされるものです」
母性なのかこれ?
愛情が深すぎる、これを浴びているのが僕だというのが信じられないぐらいには。
スポンジで泡を立て、それを美銀は撫でるように優しく、静かに僕の背中へ這わせる。しゅわしゅわと小さな泡の音が聞こえ、こしこしと囁きのように擦れる音を背中と耳で味わう。
美容院や散髪屋で人に髪を洗ってもらうのと同じぐらい、人に肌を洗ってもらうのは気持ちが良い。
スポンジだけでなく、支えるために僕の肩に乗せている柔らかな手の感触すらも、どこか心地よい。まるで、彼女の幸せな気持ちが僕の中に流れ込んで来ているような気分。
「どうですか? もう少し強めにしましょうか?」
「あ、いや……できれば今ぐらい優し目で、長めに……」
「ふふ、はい」
この至福な時間を長く味わいたいという本音が、つい言葉に漏れてしまい美銀に拾われてしまった。
解放的な身になると思慮も浅はかになるのか開けっ広げになるのか、僕は欲望を続けて言ってしまう。
「あの……美銀さん」
「はい?」
「頭も……洗ってもらえたりしますか……?」
ほんの一秒ほど黙り込んだ美銀はくすりと笑い、嬉々とした声を上げた。
「はい、ご褒美ですからね。喜んで」
風呂場にふわふわと巡る樹の香りに、甘美な空気が混ざった気がした。




