第61話 涙のわけ
「上がりました……って二人とも、何してるのですか?」
シャワーから上がり、半袖スウェットパーカーとデニムショートパンツというシンプルながら白い肌が眩しい私服姿で、美銀はこちらを訝しむように見つめてくる。
今見ている物に集中して周りが見えず、返答のできない僕の代わりに刀夜が声色を落ち着かせつつ、真面目に答える。
「美銀のアルバムを和士君に見せてます」
「ありえない、お父さん。きらいです」
「まぁまぁ。あ、それ初めて自分の描いた絵が入賞した時の写真だよ、良い笑顔でしょ?」
「さらっと説明しないで。和士も無言で頷かないで」
声色は静かなのに恥ずかしさによる焦りをひしひしと感じる。
そのまますたすたとこちらに歩み寄ってきたかと思ったら、ひょいっとアルバムを取り上げられた。
「誤算です、なんで娘のアルバムを見せるぐらい仲良くなってるんですか……」
「こうなるように仕向けたのは美銀だろう? どうやら心の距離接近スピードまでは計算できなかったようだけど。あっ、ほら和士君が取り上げられて泣きそうだよ?」
「目を潤ませないで和士、ドキッとするじゃないですか。だめです、これは本当に恥ずかしいのでまだダメです!」
「我が娘ながらデレデレだねぇ。そんなこと気にするような相手、今まで居なかったよね?」
「初彼氏だから当たり前でしょうが!」
逆ギレというか、ノリギレ?
怒られることは僕も刀夜も分かっていたが、秘密にする方がバレた時に痛いと考えたため、堂々と閲覧していた。
しゅんと落ち込む僕を見て美銀は良心と理性の葛藤に眉をひそめながら、ため息をついた。
「和士、お風呂を入れましたので入ってきてください。だからそんな顔しないでって……分かりましたよ、アルバムはまたいつか見せますから……」
「分かった!」
思わず子供のように元気よく返事してしまう。
嗜めるように優しく諭す彼女はまるで母親のようだった。
そんな彼女に風呂場のある場所を教えてもらい、僕はリビングから離れた。
*
「どうでした? 私の彼氏は」
「百点満点! って言いたいところだけど、あと一点足りないぐらいかな」
「あら、それは何か心配してることがあるとかですか?」
「うおぉ……まさにその通りで超能力でも持ってるのかって勘違いするぐらい娘が怖いよ……」
「なんでしたっけ、お父さんの好きなアニメにそういう人たちが居ましたよね。新人類的な」
「若者は新人類だよ。それはいつの時代も変わらないさ」
和士を風呂へ見送り、私は父親と一緒に積み上げられたアルバムを押し入れに戻していく。何冊も残るぐらいに、思い出や写真を大事にする家庭であったことを思い出しつつ、聞き出す。
「何か、彼の人生に思うところがありました?」
「過程をすっとばすなぁ……。普通『どこが不満?』とか『どこが気にいらない?』から少しずつ聞いてくると思うんだけど……」
「そこは私のお父さんですから、さらっと理解しているかと思いまして。多分ひっかかるのは、彼の生きてきた道ぐらいかと。辛い事を乗り越えてきた人ですからね、彼は」
「自分の勘を疑わないよねぇ。当たってるからさらに恐ろしい」
元々、お父さんとお母さんからの受け売りであることは、今は置いておく。
刀夜は一度深呼吸をして、独り言のように話を切り出した。
「和士君って攻めるところは攻める男気も甲斐性もあるけど、それを自覚してないんだよね。というか、あれって多分自覚してないというより、『持ってて当たり前』って考えてるのかな?」
「無自覚ではなく、自覚している上でそれが普通だと思い込んでいる……」
「なんだか、そんな気がする。だとしたらさ、その考えを与えてくれたのは誰なんだろうね。もしくはその信念を作りだしたきっかけとか。彼のお母さんなのかな?」
私は、思い当たる節が二つある。
和士の心の芯がどこで作り上げられたのか。いつから今の方向性に変わっていったのか。人生のターニングポイントとなった転機を。
それは、ただの勘だ。理解が足りていない。
けれどもし間違っていないのなら、きっと親しい人との死別だろう。
母親と、想い人との別れ。
その記憶がトラウマとなって、彼の中で蜘蛛の巣のように巣食っている。本人も気付かないうちに。
「私から言えることは、彼が言った事までです。彼の秘密を告げ口することはできません」
「そうか、和士君への愛を感じるよ」
「私、重いですかね?」
「えー……うーん……」
「否定しきらないところがいよいよもってやばそうですね」
「まぁ、受け入れてくれてるから良いんじゃない……? 重いのが好きって人もいるし……」
「ちなみに、お父さんはお母さんからどんな風に言われてました?」
「『愛は重いけど面白いから好き』って言われてた」
「男の病みが好きとかお母さん、特殊性癖ですね」
「ちゃーんと娘に引き継がれてるから心配ないよ」
手を上げておどける仕草と共に苦笑しつつ、私の父親は皮肉で返してきた。
「でも良かったね」
「ん? 何がですか?」
「楽しそうに話している姿を見て、安心したよ。入学式のあと、本当に心細い顔をしていたからさ」
「あれは……お父さんがまた海外に行くから寂しかっただけです」
「『なんで私から遠ざかるの』って愚痴ってたぐらいだもんね」
「でも入学式のあと、彼と出会ったのです。ぼろ泣きしていた私に声をかけてくれなければ、こんな事にはならなかったでしょうね」
「遠回しにお父さんが元凶だって言われてる……?」
「いえいえ、感謝してますよ? 良い出会いを作ってくれたことに」
「父親としては複雑だっ……!」
彼は海外で日本食の店を切り盛りしているから、普通なら帰ってくること自体が稀である。けれど私の高校入学式の日は無理して日本まで戻ってきてくれて、始まりを見届けてくれたまでは良かったが、「すぐ帰らないといけない」と言われた。
結局、私が炭酸が苦手な事も知らずに缶ジュースだけ奢ってくれて、刀夜はそのまま帰ってしまった。
苦手な物を無理やり飲んで涙を流したのは、余韻に浸りたかったのか、誰かに慰めてほしかったからか。
寂しく、独りで体育館裏に居たら、巡り合わせかのように彼が話しかけてきた。
私が運命という言葉を信じたくなって、それに身を任せてみようと思い始めたのはあの日。
それまでは、自分の勘しか信用してなかったのに。
「弱みに付け入られたましたよ。でもだからこそ、私の余裕を崩してくれる彼を信じてみたいのです」
「……そうか」
アルバムをしまい終えて、刀夜は満足気に表情を和らげた。
「なら、お父さんも美銀を信じよう。自分の好きなように、和士君を支えてあげなさい。彼は自信さえできてしまえば、迷わず進める男になるだろうさ」
「はい。ありがとう」
長ったらしい言葉選びはせず、感謝を一言だけ告げて話を終える。
父親の愛の深さに、ついつい甘えてしまうのは悪い癖だった。




