第52話 立ってほしくないフラグ
……嘘だろ?
父さんが、僕の家まで来ている?
しかも、美銀が居るこのタイミングで?
放たれた言葉を理解すると、じわりと冷や汗が全身を駆け巡る。
自由人で、色んなところを転々と駆け巡っていて、今どこに居るのかは聞かないと分からない人。
そんな父親が、僕のマンションまで来ている。
これが特に何もない日であったなら問題はなかった。
しかし今この家には美銀がいる。女の子を家に連れ込んでいるという、完全にまずい状況だった。
「……そっか、近くまで来てるの?」
『もうエレベーターに乗ったからすぐ着くよ。家には居るんだよな?』
目前まで迫っている危機的状況に頭が真っ白になりかける。
父親だから当然この家の鍵も持っている。もし今美銀を家に返そうとしたら、僕の家の扉から出てきた場面をマンションの廊下から見られる可能性が高い。
「えーっと、どうせならお茶でも行かない?」
『まぁそれも良いが、抜き打ち検査だ。お父さんは和士の生活力は信用しているが、ちゃんと一人暮らしできているかどうかのな』
「……わかりました」
電話では相手の表情が見えないことが、今の状況では幸いだった。なんとか言葉をひねり出して、通話を切る。
実家で父親と息子の二人暮らしから、誰にも監視されない一人暮らしになって生活が堕落していないかどうか。もちろん心配して見に来てくれたのもあるのだろうけど、奔放でありながら疑り深い性格が、絶妙に背水の状況を組み上げてきた。
急いでリビングに戻ると、美銀は切迫した僕の顔を見て不思議そうに首を傾げながら、尋ねてくる。
「何かありました?」
説明する時間すら惜しかったために、僕はすたすたとソファーに座っている美銀へ歩み寄り、彼女の軽い体をお姫様抱っこの形で抱え上げた。
「えっ、急にどうしたのですか!?」
彼女はほんのり頬を染めて、恥じらいと驚きの混ざった顔でこちらを見つめて声を上げる。僕は無視して、寝室のドアに手をかける。
「あ、え、ここあなたの寝室ですよね……?」
そのままベッドに近づくと、美銀をできるかぎり優しく下ろす。しかし焦りが混じっていた所為か、ベッドのスプリングが軽く跳ねるぐらい、乱暴にも情熱的にも見える降ろし方をしてしまった。
美銀が僕の腕を掴んで、必死に訴えかけてくる。
「和士! こういうことは学生の内はやめておいた方が良いと思うのですけども! いえ、嫌というわけではないのですけど、ほら、まだ早いと言いますか時期尚早と言いますか! お互いの家族の了承も得てからの方が危なげなく済むと思うと言いますか!」
「美銀」
「ひゃい!?」
何故か言い訳じみた言葉をつらつらと並べて喋りまくっている彼女を制止するため、呼び捨てをして目線を合わせてじっと覗き込む。改めて向かい直ると、美銀は顔が真っ赤になっていた。
「父親が、来ます……」
「……私とベッドにいるこの状況をお父様に見せるのですか!?」
「いつか紹介はしたいけど、今は隠れていてください。気配を殺すのは、美銀さんだったら造作もないでしょ?」
「……え? ……ああ! そういうことですか! さっきの電話、あれは今から来るといった要件でした?」
「理解が早くて助かります」
「そういうことなら、はい……わかりました」
なんだかさっきまで変な勘違いしていた気もするが、とりあえずは納得してくれたようだ。
お互いの焦りはなんとか収まり僕は安心で緊張が和らいだが、美銀はなぜか不服そうにむすっと頬を膨らましている。
どうしてそんな顔をしているのか、という疑問を悠長に考える暇も無く、玄関からがちゃりと鍵の解錠音が聞こえた。
「来たか……。寝室には入れないようにするから、ちょっとだけ耐えて下さい。寝てても良いから!」
「は、はい……」
掛布団に手を伸ばし、それで自分を隠すように身を包んだ恋人を背に、突然の来客から彼女を守るため、僕はリビングへ移動した。




